第103話 クルシミの子どもたち

「野郎!」


 不知火丸をかざすイオリの脇腹にまたズキン! と痛みが走りました。


「う!」


 一瞬動きが止まったイオリは、ピューマの赤い目を間近に見ました。

 その目に涙が滲んでいます。


(泣いてる?)


 なぜ? と疑問を抱くイオリを、ピューマは前足で払いのけました。

 とっさに刀で爪の攻撃をふせぎましたが、地面に叩きつけられたイオリはそのまま動きません。


「うう……」


「立てイオリ!」


 ジェットの喝にも反応はありません。

 老人のようにうめくことしかできないイオリに、ピューマは飛びかかりました。


「イオリ!」


(ジェットの剣は届かない)


 イオリは妙にクールに状況を判断しました。


(カイとエヴァンも離れてるしルークの矢も効き目はない)


 ピューマの牙がみるみる眼前に迫ります。


(ちくしょう! こんなところで)


 痛みをこらえ、それでも片手で不知火丸をかざしたイオリの目に、ピューマの胸が見えます。

 胸に青く光る小さい玉がありました。

 暗い宇宙に一つだけある星のような玉が、そのとき突如爆発しました。


「お!」


 驚愕するイオリの目の前で、ピューマは熱い息を吐きました。

 ピューマの体は背中から貫かれていました。

 黒い巨大なクラゲの、先端が鋭く尖った触手に貫かれたのです。

 トカゲはゆっくり触手を持ちあげました。

 ピューマは血の混じった涎を垂らしながら、赤い目でクラゲを見ました。


「グルル」


 機嫌のいいネコのように喉を鳴らし、ピューマは真っ白な灰になりました。





「……」


 クラゲはピューマを貫いた触手をイオリに向けました。

 触手の尖った先端が、そろそろイオリに近づきます。


「気をつけろ!」


 地面に座っていたイオリはジェットの心配を無視して手を伸ばしました。

 なぜだか大丈夫な気がするのです。

 血に濡れた触手の先端に、イオリは指先でチョンと触れました。


(おお)


 そのときイオリに見えたのです。

 見知らぬだれかの、遠い過去が。









「ヤア! ヤア!」


 黒い道衣を着た子どもたちが隊列を組み、突きを繰り返しています。

 ここはクルシミの総本山【崇拝】の町にある野天道場です。

 親がいない、または親に捨てられた子どもたちはクルシミに引き取られると、みんな拳法を学びました。


「カミは唯一無二の存在にして偉大なり」


 コーチのかける言葉と同じ文句を子どもたちも叫びます。


「カミは唯一無二の存在にして偉大なり!」


「人々をアガルタへ転生させる。それがわれらの使命なり」


「人々をアガルタへ転生させる。それがわれらの使命なり!」


「転生!」


「ヤア!」


「転生!」


「ヤア!」……





 稽古が終わり、クルシミの制服である白い上着とズボンに着替えると、仲良し六人組は近くの森に集まりました。


「こんにちは」


 東方風の顔立ちの、黒髪と黒い瞳が美しい少女は笑顔で虚空に声をかけました。


「ナミ、だれかいるの?」


 少女に声をかけたのは少女と同じ黒髪に黒い瞳の少年です。


「だれもいないわ。風の妖精に挨拶しただけ」


「風の妖精? ナミはあいかわらずロマンチックだな」


「ねえエイジは今いくつ?」


 二人のそばで遊んでいた金髪の男の子が、唐突に会話に割って入ります。


「おれ? 十三歳だよ」


「十三歳。てことは十三引く……」


「ダミアンは何歳かしら?」


「七つ。えーと、十三引く七は……」


 ダミアンは指を折って数を数えました。


「ごめんねナミ。この子今日引き算習ったばっかりで、さっきから計算に夢中なの」


 そう大人っぽく答えるのはダミアンと同い年ぐらいに見える金髪の少女です。


「いいのよアニー」


「えーと、わかったよエイジ!」


 ダミアンが指を折るのをやめて顔をあげます。


「答えは五つ!」


「惜しい! どうしたマックス?」


「組手しようぜエイジ!」


 エイジと同い年ぐらいに見える坊主頭の少年は勇んで腕まくりしました。


「いいよ。さあかかってこい!」


 エイジはすばやく靴を脱いで裸足になりました。


「よっしゃ行くぜ!」


「マックスがんばって!」


 赤髪の少女が声援を送ります。


「まかせとけってノーラ、行くぞ!」


 マックスが左の正拳突きを放ち、エイジがそれを受けました。


(今だ)


 マックスはほくそ笑みながらその場で急旋回しました。


「バックハンドブロー!」


 とダミアンが歓声をあげたとき、マックスはすでに地面にあお向けに引っくり返っていました。

 エイジの足払いで足もとを払われたのです。


「なんでおれの奇襲がわかるんだ?」


 お尻を撫でながらぼやくマックスに、エイジは得意そうに答えました。


「おれには一秒先の世界が見えるんだ」


「お~いエイジ、マックス」


「リュウさん」


「リュウ!」


 エイジの五歳年上の先輩信者リュウの太鼓腹に、アニーとダミアンが飛びつきます。

 子どもたちはみんなリュウが大好きです。


「こらこら。エイジ、在家の信者から寄進が届いた。倉庫に運ぶから手伝ってくれ」


「わかった」


 エイジとマックスはその場を去り、あとに残った者たちは日が暮れるまで森で遊びました。





 エイジたちは毎日暗いうちに起きました。

 鳥より早く目覚めるのは信仰者の習いです。

 クルシミの子どもたちは起きるとすぐ聖典を朗読し、朝食を終えると午前中にカミの教えを学び、その後拳法の稽古に励みます。

 午後男の子は森や川で獲物をとったり、薪を集めたりして、女の子は炊事洗濯に務めます。

 成績優秀な子は池で飼っている生きものの世話を焼きました。

 飼われているのはセーメンと呼ばれる生きもので、今はナミが面倒を見ています。



 夕食はクルシミの信者みんな集まって食堂でとりました。

 食材は自分たちでとった獣や魚や山菜のほかに、在家の信者が寄進した野菜や果物、そしてカミが与えてくださった「聖体」が使われます。

 カミが与える食材はすべてカミの体の一部なので聖体と呼ぶのです。

 聖体は箱詰めされた肉や魚や小麦となって、いつの間にか倉庫にうず高く積まれています。

 聖体が出現する瞬間を見たものは一人もいません。

 調理の責任者はリュウで、彼の指示のもとさまざまな料理が作られました。

 いろんなメニューがありますが、ダミアンはとくにイノシシ肉のシチューが大好きで何杯もお替りし、最後に空になったお皿をペロペロ舐めてアニーやナミにたしなめられました。

 夕食を終えると子どもたちは後片づけの前に歯磨きをやります。

 歯磨きと手洗いをていねいにやる。

 それは聖典の精読とともに、クルシミでもっとも口うるさくいわれることでした。

 これは教祖アレクサンダーの教えで、クルシミの信者はしきたりにより、病気になっても医者に診てもらえません。

 だからあらゆる病を予防するため、歯磨きと手洗いを徹底的にやるのです。





 就寝時間は夜の九時です。

 子どもたちは男女一緒に広間で雑魚寝しました。

 昼間さんざん体を使っているから男の子も女の子もあっという間に眠りにつきます。


「エイジ、起きてる?」


 ナミが小声でささやきます。


「起きてるよ。今夜も行く?」


「ええ」


「むにゃむにゃ」


 ナミは毛布を蹴散らすダミアンに毛布をかけ直し、それからエイジとこっそり宿舎を出ました。

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