第91話 騎士の誓い
ときを少しさかのぼります。
昨日ブルック一行が異教徒の町【戦闘】に着いたころ、町を見おろす丘の上に三人の人影がありました。
「どうやら無事に着いたようだな」
ブルックの到着にホッと安堵したのは黄金騎士団の副団長で、今や三人になった隠密部隊を率いる黒人騎士カイ・セディクです。
「おれたちはここで野営だ」
カイの言葉を聞いてジャックはすばやくシートを広げ、乾パンと豚の干し肉と山菜の夕食を準備しました。
「すいません。火を使うと町の住人に気づかれるんでこんなのしか用意できなく
て」
「上出来さ」
「いただきます」
最年少騎士のエヴァンがさっそく肉にかぶりつきます。
十六歳の食欲を目の当たりにして、三十七歳のジャックは笑いました。
「デザートに果物もあるぞ」
「最高! ……」
夕食を終えた一行はていねいに歯を磨き、それから丘の上で休みました。
ていねいな歯磨きは騎士の心得です。
本当は町の宿で旅装を解きたいのですが「王子の護衛は剣士と魔法使いのみ」というカミとの約束を破っての隠密行動なので、人目につくふるまいはできません。
エヴァンは丘から町を監視しました。
丘の上から町はよく見えますが、町からエヴァンたちの姿は見えません。
やがて町の中心にある尖塔から、夕刻の祈りの声が流れてきました。
本当はこの声は人々を服従させるジュドーの魔法ですが、その効力の範囲は町に限定されるので、丘の上にいるエヴァンやジャックには効きません。
「異国の言葉ですな。副団長、意味わかりますか?」
「砂漠の民の言葉だ。おれにはなにもわからない」
「わしもです。それにしても連中の言葉には音楽的な響きがありますなあ」
「王子なら意味がわかるかな?」
エヴァンの言葉を聞いたカイの脳裏に、ふいにブルックの姿が閃きます。
カイの脳裏に浮かんだブルックの姿は、驚くべきことに裸でした。
一年前のできごとです。
その夜カイは城の見回りを担当しました。
外回り終え、次に中庭を歩きます。
王族が居住する本城に近づくと、カイはいきなり建物の影にかくれました。
バルコニーに人影が見えたのです。
人影はブルックでした。
「……」
ブルックは華奢な体に一糸もまとわず、裸で夜空を見あげていました。
満月の光を全身に浴びているのです。
月光浴は広く知られた王族の習慣です。
霊感を高めるため、王族の人間は裸になって月の光を浴びるといわれています。
(今すぐここを離れよう)
そう思うのに、カイの足はピクリともしません。
バルコニーのブルックから目が離せないのです。
(美しい)
ふだん騎士同士の会話で「美しい」なんて言葉は使いません。
そんな言葉を使ったらオカマあつかいされるからです。
しかし今は禁忌の言葉が、すんなり胸に浮かびます。
バルコニーにたたずむ王子は、それほど美しかったのです。
ブルックは熱心に月を見つめていました。
(月の精だ)
ブルックの長い睫毛に、月の光が雫のように宿るのを見てカイは涙ぐみました。
(ブルック殿下、騎士カイ・セディクはあなたのためなら死ねます)
建物の影からバルコニーを見あげ、カイはひそかにそう誓いました。
「あれは魔法です」
突然背後から聞こえた声に、カイの夢想は破られました。
ジャックとエヴァンはすばやく抜剣し振り返りました。
「異国の祈りに秘密のメッセージが仕込まれているのです」
「あなたは」
カイはあっけにとられました。
黒い詰襟の制服を着た大陸最強の剣士がそこにいたからです。
「マリア・バタイユ殿?」
「はい。カイ・セディクさん、おひさしぶりです」
副団長と旧知の仲らしいマリアの笑顔に、ジャックとエヴァンは見とれました。
(いい女だ)
ジャックが溜息をもらします。
(すごくいい匂いがする)
エヴァンの鼻の下がだらしなく伸びます。
カイは剣を鞘にもどし、二人の部下もそれにならいました。
「おひさしぶりです。それでマリアさんは、ここへなにをしにきたのです?」
「『約束違反の騎士を斬れ』カミにそういわれてまいりました」
「え?」
「もうしわけありません。あなたがたのお命いただきます」
マリアはすらりと腰の剣を抜きました。
(おお)
カイはマリアがかざした剣に見ました。
陽炎のようにユラユラ立ち昇る殺意を。
カイは再び剣を抜きました。
「副団長?」
とまどう部下にカイは命じました。
「二人とも抜け。相手は美しい女に化けた
猛然と斬りかかる三人の騎士を目の目にして、マリアはニッコリ笑いました。
「わたしはジンですか? 光栄です」
次の瞬間、丘の上に剣と剣がぶつかる激しい金属音が轟きました。
町の人間はその音にだれも気づきませんでした。
戦闘を出発したブルック一行は夕刻、次の宿場町【灼熱】に着きました。
灼熱は宿以外なにもない寒村です。
ここで一夜を過ごした一行は、翌朝早く宿を発ちました。
「次の宿場町【午睡】までおよそ六十キロだ」
歩きながらブルックが語ります。
「平地ならたいした距離じゃないが山岳地帯だからね。午睡に着くまで三日はかかる。その次の町【崇拝】も午睡から六十キロの距離だ。そして崇拝はカルト教団クルシミの総本山がある」
「クルシミ」
その名を聞いたイオリの顔が険しくなります。
クルシミはカミを崇拝する宗教団体で、大地震直後の王都でカミに生贄を捧げようと、罪のない子どもを大勢殺した、いわばイオリの怨敵です。
「本当は崇拝を通るのは避けたかったが、今日は八月二十四日。カミとの約束である火の山の儀式の刻限が八月三十一日。時間がない。崇拝を通り抜けるしかないんだ」
「大丈夫」
イオリはブルックの背中を軽く叩きました。
「おれが必ずブルックを守る」
「ありがとう。じゃあみんな、ここからが正念場だ。気合い入れて行こう!」
「おう!」
クロとアンナの雄叫びが、山彦となって深山にこだましました。
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