第81話 女盗賊アンナ・レンブラント

「あんれまあ、こりゃあ臨終の町のオスカーでねえか」


「おじさん」


 たまたま空き地を通りかかった農夫にイオリは金貨を渡しました。

 オスカーの遺体と馬を臨終の町まで運ぶよう頼んだのです。


「金貨もらったら断れねえよ。引き受けやしょう」


「ありがたい」


 イオリは遺体をゼーロンの鞍へうつ伏せに乗せました。


ピストリークスも一緒に埋葬してくれ」


「あいよ、まかせときな」


「おじさんオスカーとゼーロンを頼む。オスカー、この仕事が終わったら墓参りに行くからそれまで待っててくれ」


 イオリは最後に師の頬にキスしました。


「クロ行こう。ワイバーン!」


「ペンナ!」


 イオリとクロはそれぞれ背中に翼を生やし、青空に飛翔しました。


「あんな別嬪さんにキスされてオスカー、あんたは幸せ者じゃて。ほう」


 農夫はゼーロンの手綱を取り、のんびり歩き出しました。


「クロ、アンナたち盗賊はブルックを連れて北へ逃げた。あとを追うぞ」


「アイアイサー」


 空を飛びながらクロは自分がさっき見た幻を回想しました。

 本来ベヒモスの幻は術をかけられた本人にしか見えません。

 しかし大魔法使いクロは、余人に見えないはずの幻を心眼で見ました。

 ベヒモスがイオリに見せたのは「カミ」の幻です。

 イオリの最大の欲望は「カミを殺すこと」だからカミの姿を見せたのです。

 クロはそれを盗み見ました。

 そしてもう一人、ベヒモスがオスカーに見せた幻もクロは見ました。

 ベヒモスがオスカーに見せたのは


 「裸のオスカーと裸のイオリが抱き合う姿」


 です。

 その幻を見て、動揺した白い天使に生じた一瞬の隙を、ベヒモスは突いたのです。

 

(あれがオスカーの欲望だったんニャ。たぶんオスカーは自分の欲望に気づいてなかった。だから動揺して不覚をとったんニャ。オスカーが見た幻は、イオリに秘密にするニャ)


 クロは自分にそういい聞かせると翼を羽ばたかせ、北へ向かいました。





 北の方角へ飛んだイオリとクロは上空から盗賊のアジトをさがしました。

 イオリは目を凝らしましたが足もとには森が海のように広がり、人家のたぐいはどこにも見当たりません。


「おれは北東をさがす。クロは北西を頼む」


「ラジャー!」


 イオリとクロは東西に別れました。

 その二人が別れた地点の真下に、ツリーハウスがありました。

 ツリーハウスは木上に建てられた、鳥の巣みたいな小屋です。

 屋根が枝で覆われているのでイオリたちに見えなかったのです。


「ひゃ~、まさか空から偵察にくるとはね」


 ツリーハウスの窓から空を見ていた少年は、革のチョッキを羽織った自分の半裸の体を抱きしめ、薄気味悪そうに首をすくめました。


「やっぱ王子さまの護衛となるとちがうね。お姉ちゃん、おれみんなに木に登るなって伝えてくる。空飛ぶ護衛に見つかったらやばい」


「頼みますケロ」


 女盗賊アンナ・レンブラントは腕組みしたままうなずきました。

 あぐらをかいた巨女の前に、縄で縛られたブルックが横たわっています。


「じゃあ行くよ……お姉ちゃん」


「なんですブライアン?」


「大切な商品だ。手ぇ出すなよ」


「さっさと行きなさいケロ! ちょっと待ちなさい。戦陣訓をいいなさいケロ」


「逃げ道を確保しろ。

 地の利をわきまえろ。

 その場でいちばん強い敵を見極めろ」


「忘れてはいけませんケロ。行きなさい」


 ブライアンは勢いよく飛び出し、ツリーハウスにアンナとブルックの二人が取り残されました。


「……」


 アンナはミニスカートから伸びたブルックの足を羨ましそうに見つめました。


(わたしより細くて白い)


 まだ十五歳で成長途中のブルックは百六十センチと小柄ですが、アンナは百九十センチ九十キロの巨体を誇り、また熊をも絞め殺す剛腕の持ち主でもあります。


(それになんていい匂い)


 アンナは鼻をクンクン鳴らし、ブルックが放つ高貴な香りに酔いました。

 そのとき長い睫毛を震わせ、ブルックが目を覚ましました。


「お目が覚めましたかケロ?」


 アンナは慌ててブルックから離れ、居ずまいを正しました。

 ブルックは声を出そうとしましたができません。

 猿ぐつわを噛まされているのです。


「しばらくご辛抱くださいケロ。お連れのかたが今空を飛んで殿下をさがしていますケロ。二人が見えなくなったら縄を解きますケロ。おトイレ行かれますか?」


 ブルックがかすかに首を振ります。


「そうですか」


 アンナはミニスカートからはみ出したブルックの足を、またチラッと見ました。


「あの、王子さまは男、ですよね?」


 しゃべれないブルックは何事? とふしぎそうにアンナを見ました。


「あ、いえ、失礼しましたケロ。なんでもないですケロ……ん?」


 アンナはいきなり立ちあがりました。

 虚空を睨み、鼻をひくひくさせる姿はリスのようで意外な愛らしさがありますが、そのときアンナの口から出たのは不吉な文句でした。


「火事ですケロ」





「失礼しますケロ」


 アンナは短剣で縄を切り、ブルックを解放しました。


「うわあ」


 ツリーハウスの扉を開き、アンナはため息をつきました。

 大きな火の手が南から迫っているのが見えます。


「この季節に暗黒大陸から吹く南風にあおられ火が大きくなっていますケロ。ここはもうだめだ。ご無礼つかまつりますケロ!」


 ブルックを軽々と背負い、アンナはツリーハウスから垂れたロープをつかんで一気に地上へ降り立ちました。


「怪物団集合!」


 女盗賊は手下に集合をかけました。

 すると大きな木の裏から、ふらりと七人の男があらわれました。

 七人とも大きな黒革の帽子に黒いマントを羽織っています。


「やれやれここがアジトか」


「どちらさまですケロ?」


 そう問いかけながらアンナはブルックを自分のうしろにさがらせました。


「おれたちのことはどうでもいい。王子を渡せ」


「あなたたちはタイタンの人ですね?」


 アンナの背後から発せられたブルックの言葉を聞いて、七人のリーダー格らしい中年男の顔色が変わります。


「なぜそう思う?」


「アンナのタイタン訛りを聞いて、あなたが一瞬懐かしそうな顔になったから。それからあなたたちの職業は暗殺者アサシンですね? 人殺しは北の大国タイタンの暗い伝統と聞いています」


「王子さま、なんてかしこい~」


 アンナはうっとりとブルックを見つめました。


「ばれちゃしようがねえ。その通りおれたちはタイタンのアサシンだ。女、王子を渡せ。そうすればおまえは見逃してやる」


「王子をどうするのです?」


「殺す」


「王子さまを殺したらカミの怒りで天罰がくだりますよケロ!」


「そのカミがおれたちに要求したんだ。ブルック王子を殺せと。ブルックが死んだら王子を生贄に捧げる約束を守れなかった天罰として天災が起きる。おれたちは神力で死なないように守られる。なにを考えてるかわからねえが、カミがそういったのはまちがいねえ」


「あなたたちへの報酬はなんです?」


 ブルックの質問に中年男は答えました。


「おれの名はオロフ。おれがタイタンの王になる」


「おめえは王の器じゃねえ」


 ロープのように蔦にしがみついて降ってきたのはブライアンです。

 ブライアンの手に短剣が握られています。


「ブライアンちがう! そっちじゃ……」


 悲鳴のようなアンナの声は、ぶきみな鈍い音にかき消されました。

 飛来したブライアンはそのまま平べったく地面に張りつきました。

 滑空する少年を斬ったのは、リーダー格の中年男オロフではなく、骸骨みたいに頬がこけた若者です。


「ブライアン!」


 アンナは慌ててブライアンに駆け寄りました。


「ごめんお姉ちゃん。『その場でいちばん強い敵を見極めろ』戦陣訓でそう教わったのに、また見誤った」


「ここで休んでなさいケロ。王子さまお願いしますケロ」


 ブライアンをブルックに託すとアンナは立ちあがりました。

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