第65話 あゝ無情

 準々決勝となる三回戦の試合前、控室にもどったドストエフスキーを弟子たちが囲みました。

 弟子の四天王、ハルク、トミー、ハリーが師に声をかけます。


「先生次のアレクセイとの試合が山です!」


「これに勝ったら優勝まちがいなしです!」


「がんばってください!」


「おいおい、もしアレクセイに勝っても、その次にわしはイオリ殿と戦わねばならん。おまえたちもイオリ殿の強さはよく知っておるだろう?」


 師にそういわれた四天王は、たちまちバツが悪そうな顔になりました。

 先日道場でイオリに木剣で叩きのめされたことを思い出したのです。


「イオリ殿との勝負のほうが、アレクセイよりよっぽど厳しいと思うがのう」


「大丈夫です。準決勝で先生と戦うことになったら、おれ棄権しますから」


 イオリの言葉を聞いたドストエフスキーの顔がみるみる輝きます。

 実はこの老剣豪はさっきからずっと「イオリと戦いたくない」と弟子にごねていたのです。


「本当かイオリ殿!」


「本当です。先生にはだれも勝てない。ジェイムズ退治は先生にまかせます」


「おお、まかせなさい!」


 にわかに活気づいたドストエフスキーと弟子たちの会話を眺め、イオリはこれでいい、と得心しました。


(ジェイムズは死んだ母親を甦らせる契約をカミと結んだ。その条件は今大会で優勝すること。彼の野心を阻むにはおれよりドストエフスキー先生が適任だ。どれほどジェイムズが強くても先生には絶対勝てない。それに先生は剣を折るだけでジェイムズを殺しはしない。兄が無事ならブルックもきっと喜ぶ)


 とイオリが考えているころ


「ドストエフスキー先生とアレクセイ・ネクラーソフの勝負、どっちが勝つと思います?」


 貴賓席のブルックは目をキラキラ輝かせて、となりのマリアに尋ねました。

 因縁の勝負を前に興奮しているのです。

 すると意外な答えが返ってきました。


「ドストエフスキー先生です」


「え? でもアレクセイはあなたの愛弟子でしょ?」


「はい。しかし今の先生はあまりにも強い。わたしが立ち会っても勝てません。

 ……剣技だけでは」


 マリアの最後のつぶやきは、クロとしゃべり始めたブルックの耳に入りませんでした。





「では、始めぇ!」


 ボォオンと銅鑼が鳴り、準々決勝の四試合が始まりました。

 まず第一試合でジェイムズが、続く第二試合で青いキモノにポニーテールの剣士ゼンキが勝ちました。

 第三試合に登場したイオリは傭兵あがりの戦斧使いロック・ハートを小手の峰打ちに仕留めました。

 準決勝に進出する四名の内三名が決まりました。

 そしていよいよ最後の進出者を決める第四試合が始まります。


「名門ネクラーソフ一族の血を引く最後の人物アレクセイ・ネクラーソフと、アレクセイの祖父アレクサンドル皇帝の首を刎ね、ネクラーソフ王朝を終わらせた剣豪ドストエフスキー。祖国の革命を巡る因縁の大一番です!」


 ジミー・バッファーの口上を聞いた十万大観衆がドッと盛りあがります。


「がんばれよアレクセイ!」


「おじいさんの敵討ちだ!」


「なにいってやがる。ネクラーソフ王朝は滅ぶべくして滅びたんだ!」


「ドストエフスキー先生返り討ちにしてやって!」


「先生」


 ゲートからグラウンドに出る直前のドストエフスキーにイオリは声をかけました。


「勝負に情けは禁物です」


 この道の大先達に失礼とわかってはいましたが、それでもイオリはいわずにいられません。

 なぜならこれから対戦するアレクセイはドストエフスキーがかつて殺めた皇帝の孫で、さらにドストエフスキーの愛弟子マリア・バタイユの一番弟子つまり孫弟子、すなわちアレクセイという若者はドストエフスキーにとって二重の意味で孫なのです。

 情が湧いてもしかたがありません。


「大丈夫じゃよ」


 老剣豪は慈愛に満ちたまなざしをイオリに向けました。


「『荒野のオオカミはわが子を食らって生き延びる』わしのふるさとカラミル帝国のことわざじゃ。『過酷な環境にある者は人倫にもとるふるまいをしてもゆるされる』という意味じゃよ。ひどいことわざじゃ。カラミルの大地を人は『女神に見捨てられた土地』と呼んだ。極寒の地にあって作物が実らないからのう。緑豊かなゼップランドとはちがう。人が人を食うことは珍しくなかったし、親が子を食うこともあった。まったく呪われた土地じゃよ。

 しかし、わしのふるさとじゃ。

 わしはそういう土地で生きてきた。だから心配無用じゃ」


 イオリの肩に手を置いて歩き出し、ドストエフスキーはすぐ振り返りました。


「百年物のカラミルワインを手に入れたんじゃ。今夜一杯やろう」


 そういって軽く手を振り、老剣豪はグラウンドに向かいました。 





「アレクセイおじいさんの仇を討て!」


「ドストエフスキー先生がんばれ!」


 観客の大声援が飛び交う中、白い僧服を着た長身のドストエフスキーと、黒い僧服を着たスマートな体格のアレクセイは静かに向き合いました。


「殿下、どうかお気をつけて」


 祈りを捧げるように両手を組み、震えながらブツブツつぶやく細面の老人をフリオは横目に見ました。


(すごい。ルーさんよっぽどアレクセイを推してるんだな)


 ドストエフスキーの白髪と、アレクセイの赤い髪を風が撫でます。

 ドストエフスキーの手にあるのはいつもと同じ名剣鋼鉄スターリです。

 対するアレクセイが持っているのは二回戦まで使っていたバスタードソードではありません。

 アレクセイが持っているのは、黒い鞘に込められた刀です。


(あれは)


 試合場をそばで見つめるイオリは、頭を棒で殴られたような衝撃を受けました。


(不知火丸!)


 イオリは自分の腰にある刀を見ました。


(不知火丸は一振りだけではなかった)


 先生! と叫ぼうとしたとき、青い光がギラリとイオリの目を打ちました。

 アレクセイが鞘を払ったのです。

 抜き身の刀をかざし、十七歳の少年剣士は若々しい声で叫びました。


「ヴィクトル・ドストエフスキー、一族の仇をとらせてもらうぞ!!」


 この勝負が敵討ちであることを明確に宣言し、それからアレクセイは胸もとのブローチをそっと撫でました。


「では、始めぇ!」


 ボォオンと銅鑼が鳴り、遂に祖国の革命を巡る因縁の勝負が始まりました。





 異変は試合が始まってすぐ起きました。

 アレクセイの構えは一二回戦ともに正眼(中段)でした。

 それが変わりました。

 アレクセイが見せたのは刀を右肩の上にまっすぐ立てる八双の構えです。

 一方ドストエフスキーはいつもと同じ正眼に構えています。

 両者はそのままピクリともせず、ただグラウンドを弱い風が吹き過ぎました。


「ふむ」


 ドストエフスキーはまっすぐ突き出していた剣を、軽く斜めに傾けました。

 観客がどよめきます。


「あれは先生の勝利の合図だ」


 貴賓席のブルックがかすれ声でささやきます。

 王子のいう通り、剣を傾けるのはドストエフスキー必殺の斬剣戟【罪と罰】の合図です。


「……」


 ブルックのとなりでマリアはやや青ざめた顔で、無言でじっとグラウンドを見つめています。


(先生がアレクセイの剣を見切った)


 これで一安心、とイオリがホッとしたときです。

 またしても異変が起きました。

 アレクセイの全身から、突如ユラユラと青白いオーラが立ち昇り出したのです。

 イオリは慌てました。


(いかん、奥義を使う気だ!)


 イオリは今大会一度も不知火流奥義を披露していません。

 剣士の大会なので刀の力に頼らず、純粋な剣技だけで勝負しようと思ったからです。

 しかし復讐心に燃えるアレクセイに、そんなスポーツマンシップはありません。


「先生気をつけて!」


 そうイオリが叫んだときでした。


「不知火流奥義

あゝ無情レ・ミゼラブル】」


 アレクセイは術名を叫ぶと、八相に構えていた刀を振りおろしました。

 袈裟斬りの軌道を描く刀の先端から、青い稲妻がほとばしります。

 すると


「う」


 ドストエフスキーのうめき声と、ボトリという鈍い音が聞こえました。


「先生!」


 スタンドの弟子たちが一斉に悲鳴をあげます。


「さわぐでない」


 肩のところで切断され、地面に落ちた自分の右腕を見おろし、ドストエフスキーはおだやかな声で弟子をたしなめました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る