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第19話 信じる勇気

 改めて拓翔と「会わない恋人」になることを決めてから一週間が経った。


 私の中で、なにかが大きく変わっていた。毎朝鏡を見る時間が、以前ほど苦痛ではなくなっていた。確かに私は美人ではない。でも、拓翔が愛してくれている私がここにいる。


『おはよう、紀子。今日も一日頑張ろうね』


 朝のメッセージを見ると、自然と微笑みが浮かんだ。拓翔はいつも私を励ましてくれる。会ったことがないのに、こんなにも私のことを想ってくれる人がいるなんて。


「おはよう、拓翔。あなたのメッセージで、今日も元気になれる」


 返信を送ってから、私は改めて自分の変化を実感した。以前なら、こんなに素直に気持ちを表現することはできなかっただろう。


 学校に着くと、やはり一部のクラスメイトからの視線を感じた。彩音の件で、私と拓翔の関係は多くの人に知られてしまった。でも、不思議と前ほど気にならなくなっていた。


 授業中、彩音が嫌がらせの手紙を回してきたけれど、私の心にはなにも響くことはない。ただ、拓翔の言葉を信じていればいい。手紙はすべて丸めてゴミ箱へと放り投げた。


「神林さん」


 昼休み、図書室で本を読んでいると、後ろから声をかけられた。振り返ると、クラスの委員長をしている蜂谷隆史はちやたかしが立っていた。


「……なに?」


 彩音のこともあり、私は警戒しながら答えた。今度はなにを言われるというのか。


「あの、変なことを聞くかもしれないけど……神林さん、最近変わったよね?」


 隆史の言葉に私は目を見張った。


「変わったって……私が?」


「なんというか、前より自信があるように見える。表情も明るくなったし」


 隆史は少し恥ずかしそうに続けた。


「実は俺も、ネットで友だちを作ったことがあるんだ。最初はみんなに理解されなくて辛かったけど、でも本当に大切な友だちができた」


 私は驚いた。まさか隆史が私の気持ちを理解してくれるなんて。隆史もネットで知り合った友だちとは、住んでいる地域が遠すぎて、会ったことがないと言う。

 会わなくても毎日のように互いの近況を話したり、悩んだときには相談し合う間柄だという。


「神林さんの気持ち、少しわかる気がする。大切な人ができたんだね」


 私は頬が熱くなった。


「うん……とても大切な人」


「それは凄いことだよ。形は違っても、人を大切に思う気持ちに変わりはないから」


 隆史の言葉に、私の胸が温かくなった。理解してくれる人が、思った以上にいるのかもしれない。


 放課後、家に帰ると、拓翔から電話がかかってきた。


『紀子、お疲れさま。今日はどうだった?』


「拓翔、聞いて。今日ね、クラスの蜂谷くんが私たちの関係を理解してくれたの」


 私は嬉しくて、隆史と話したことを拓翔に伝えた。


『そうか、それはよかった。紀子の変化を、周りの人も感じ取ってくれてるんだね』


「変化?」


『うん。君、前より明るくなった。声のトーンも、話しかたも、全然違う』


 拓翔の言葉に、私は自分でも気づいていなかった変化を意識した。


「それは、拓翔のおかげだよ。あなたが私を愛してくれるから、私は強くなれる」


『違うよ、紀子。君が自分自身を受け入れ始めたからだ。僕はただ、紀子が自分の美しさに気づくきっかけを与えただけ』


 話ながら、涙があふれて止まらなかった。


「拓翔、私、最初はあなたの言葉を信じきれなかった。本当に私を愛してくれるのか、外見を見ても変わらずにいてくれるのか、不安だった」


『今は?』


「今は信じてる。あなたの愛を、疑わない」


 私の声は確信に満ちていた。


「あなたが私の心を愛してくれるように、私もあなたの優しさ、思いやり、全部を愛してる。会わなくても、こんなに深く愛し合えるなんて」


『紀子……』


 拓翔の優しい声が私の耳に届いた。


『僕も紀子を信じてる。君の愛を、君の心を。僕たちの関係は、誰にも壊せない』


 私たちは長い時間、お互いの気持ちを確かめ合うように話し続けた。


 その夜、私は久しぶりに鏡の前に長時間立った。今度は自分を責めるためではなかった。確かに私は美人ではない。でも、この顔の奥にある心を、拓翔は愛してくれている。そして、その愛によって、私は自分自身を受け入れ始めていた。


「私は神林紀子。拓翔に愛されている私」


 鏡に向かって小さくつぶやいた。初めて、自分の名前を誇らしく感じた。

 スマホを手に取り、拓翔にメッセージを送った。


「拓翔、今日は本当にありがとう。あなたの愛で、私は変わることができた。あなたを心から信じてる」


 すぐに返信が来た。


『紀子、君が自分を受け入れてくれて嬉しい。僕も君を信じてる。僕たちの愛を信じてる』


 メッセージを何度も読み返して、私は微笑んだ。

 信じる勇気。それは拓翔がくれた、最も大切な贈り物だった。



*****



 翌日の朝、教室に入ると、彩音が私を見つめているのに気づいた。でも、以前のような意地悪な視線ではなかった。どこか複雑な表情をしている。

 私は彩音を見返した。もう彼女を恐れてはいなかった。


「おはよう、桧葉さん」


 私から声をかけた。彩音は驚いたような顔をした。


「……おはよう」


 小さく返事を返して来たけれど、彩音が私の目を見ることはなかった。


 授業中、私は集中して先生の話を聞いていた。以前のように、周りの視線を気にして縮こまることはなかったし、拓翔のメッセージを待ってスマホばかり気にすることもなくなった。


 昼休み、一人で弁当を食べていると、クラスメイトの平沢由美ひらさわゆみさんがやってきた。


「神林さん、なんか最近すごく綺麗になったね」


「綺麗?」


 唐突にそんなことを言われ、私は驚いた。


「うん。表情が明るくて、自信があるように見える。内面の美しさが外に現れてるって感じかな」


 由美の言葉は、隆史に言われたこととほとんど同じだ。そんなにも変わって見えるんだ……。


「ありがとう。大切な人に愛されて、自分を受け入れることができるようになったんだ……」


「いいじゃん、素敵だね。愛されることって、人を綺麗にするんだね」


 私は深くうなずいた。本当にその通りだった。



*****



 一方で、拓翔にも変化があった。

 学校で、やはり紀子と同じように、みんなから「変わった」と言われるようになった。


 ――あの日、電話で話してから、紀子はどんどん明るくなって、僕は心から嬉しいと思っていた。紀子の変化を、電話越しでも感じることができる。声のトーン、話しかた、すべてが前向きになった。


 僕が愛しているのは、もともと美しかった紀子の心だ。でも、彼女が自分自身を受け入れることで、その美しさがより一層輝いて見える。

 会ったことはないけれど、僕には紀子の笑顔が見えるような気がする。きっと、とても美しい笑顔だろう。


 紀子が自分を信じる勇気を持ってくれたことが、拓翔にとっても大きな喜びだった。

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