第3話 新しい扉
高校生活も数カ月が過ぎた。
高校生になっても、私の立ち位置は中学のころと、まったく変わらなかった。休み時間は一人で本を読み、昼食も一人で食べる。話しかけてくれるクラスメイトもいるにはいるけれど、どこか遠慮がちで、深い関係になることはなかった。
わかりやすいいじめのような嫌がらせなどはないけれど、きっと私の顔を見て、関わりを避けているのだろう。そう思うと、新しい環境でも現実世界では、希望を持つことができなかった。
――ネットの世界は違った。
最初は恐る恐る触っていたけれど、だんだん使いかたがわかってくると、楽しさが込み上げてきた。インターネットで好きなアニメの情報を調べたり、新刊の発売日を確認したり、たくさんの事が出来るようになった。
そして、SNSというものの存在を知ったときに、私の世界が大きく変わったのだ。
メッセージアプリの『
最初に手を出したのは、アニメの感想を書き込める掲示板のサイトだった。
『魔法少女リリカル・ナナ』という私の大好きなアニメについて語り合える場所があると知って、興味を持ったのだ。
書き込みをするには、まずアカウントを作らなければならない。
「ユーザー名を入力してください」
画面にそう表示されたとき、私は手が止まった。
なんて名前にすればいいのだろう。本名は絶対に嫌だった。もしも現実の知り合いに見つかったら、恥ずかしくて死んでしまう。想像しただけで、恐怖を感じてしまう。
しばらく考えて、私は「NORI」と入力した。
「
「アイコンを設定してください」
次に表示されたのは、プロフィール画像の設定画面だった。
顔写真なんて絶対に無理。本名を使うことより恐ろしい。だからといって、なにも設定しないのも味気ない。
そこで私は思いついた。自分で描いたイラストを使えばいいのではないだろうか。
中学時代から、趣味で漫画やアニメのキャラクターを模写するのが好きだった。特に『魔法少女リリカル・ナナ』の主人公・ナナちゃんを描くのが得意だった。
スマホのお絵描きアプリで、ナナちゃんの顔を描いた。不器用な指での作業だったけれど、それなりに可愛く描けた。
これを私の「顔」にしよう。
アイコンを設定して、ついに私は初めての書き込みをした。
「今日の第十五話、めちゃくちゃ泣きました……ナナちゃんとレイナちゃんの友情シーン、最高でした!」
投稿ボタンを押した瞬間、心臓がどきどきした。
これで私も、この掲示板の住人の一員になったのだ。顔を知らない誰かと、好きなアニメについて語り合える。こんなに素晴らしいことがあるなんて。
しばらくすると、返信が来た。
『分かります! あのシーン本当に感動的でした。ナナちゃんの「友達だから」っていうセリフ、何度聞いても泣けます』
『同感です。作画も今回は特に力が入ってましたね』
『NORIさん、初めまして! よろしくお願いします! 十五話、ホントに良かったですよね!』
私は興奮した。
知らない人たちが、私の投稿に返事をくれている。しかも、同じアニメを愛する仲間として、対等に接してくれている。
現実では、誰かと深い話をする機会なんてほとんどなかった。クラスメイトとは当たり障りのない会話しかできないし、家族ともアニメの話はしない。
でもここでは違う。
みんな私の顔を知らない。私がどんなに醜いかも知らない。だから、私の言葉だけで判断してくれる。
『皆さん、ありがとうございます! このアニメが大好きで、でも周りに語り合える人がいなくて寂しかったんです。ここでお話できて嬉しいです。』
そう返信すると、また温かい言葉が返ってきた。
『ここはそういう場所ですよ。遠慮しないで、どんどん語り合いましょう!』
『NORIさんのアイコン、ナナちゃんですよね? とても上手に描けてます』
『自分で描いたんですか? すごいです!』
自分で描いたイラストを褒められるなんて、初めてのことだった。学校では、絵を描いても誰も興味を示してくれなかった。でもここでは、見ず知らずの人が私の絵を褒めてくれる。
これが、インターネットの世界なのか。
私は夢中になって、その掲示板で過ごすようになった。学校から帰ると、まずスマホを開いて新しい投稿がないか確認する。面白そうな話題があれば参加するし、自分でも新しいスレッドを立てることもあった。
『今日発売の新刊読みました! ナナちゃんの新しい魔法、かっこよかったです!』
『来週の予告見ました? ついに黒幕の正体が明かされそうですね』
『皆さんは、ナナちゃんとレイナちゃん、どちらが好みですか?』
どんな些細なことでも、ここでは誰かが反応してくれる。私の投稿を待っていてくれる人もいるようで、「NORIさんの考察、いつも楽しみにしてます」なんて言ってもらえることもあった。
現実では誰からも必要とされていない私が、ここでは確かに存在している。
でも同時に、複雑な気持ちもあった。本当の私を、誰も知らないという事実。私のことを知られたら、みんなどう思うのか……。
『今度オフ会やりませんか?』
ある日、そんな提案が出た。
オフ会――。
つまり、ネット上だけでやり取りしていた人たちが実際に会うということ。
『いいですね! 都内で集まりましょう』
『参加したいです!』
『楽しそう!』
みんな乗り気だった。私も、この人たちに実際に会えたらどんなに楽しいだろうと思った。
でも、私は……。
現実の私を見られるのは絶対に嫌だった。
きっとみんな、ネット上での私の印象と、現実の私のギャップに驚くだろう。そして失望するかもしれない。せっかく築いた関係が壊れてしまうかもしれない。
「すみません、私は参加できません。都合が悪くて……」
結局、私はそう返事をした。嘘だった。本当は時間はあったし、みんなに会いたい気持ちもあった。それでも、会うことができなかった。
『残念です。また機会があったらぜひ!』
『NORIさんも都合がつくときがあったら教えてくださいね』
みんな優しく返事をしてくれたけれど、私は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
この世界は素晴らしい。でも、そこには一つだけ大きな問題があった。
いつか、「会いたい」という話になる。
そして私は、その度に関係を断たなければならない。
せっかく仲良くなった人たちとも、結局は別れることになる。
それでも、この世界は私にとって大切な居場所だった。現実では得られない、温かい交流がここにはあるから。
たとえ会えなくても、心を通わせることはできる。
そう信じて、私は今日もスマホの画面を見つめている。
新しい扉を開いた私に、どんな出会いが待っているのだろう。そんな期待を胸に抱きながら。
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