CODE:SMILE

真上悠

前編

 ネオンの海がざわめく夜。熱と金を求め、俺はまたクソみたいなこの快楽と暴力の街に繰り出していた。


 新トーキョーの裏通り、濡れたアスファルトに赤や青のビビッドな光がざらざらと滲む。

 酒場から吐き出された巨体の酔っ払いが絡んできたかと思えば、汚い息を吐きながら俺の肩を掴もうと手を伸ばした。


 ――いいカモだ。


 俺は口の端を少し緩めると相手との距離を測りながらその顔を舐めるように見る。

「おいガキ! 何見てやがる! 気に入らねえな!」

「そっちから売ったケンカだ。負けたら有り金置いてけよ?」

  俺はニヤリと笑い、拳を握る。次の瞬間、男の鼻が折れる鈍い音が路地裏に響いた。男の巨体と血が宙に舞い、周りの通行人が騒ぎだす。

 俺の胸は熱くなるが、それは一時のこと。ぶっ飛んで動かなくなった男を見下ろすと直ぐにその熱は冷めていった。俺は男の懐をまさぐると財布の中身だけ頂戴し、また夜の闇へと消える。


 ――この熱は安物だ。俺が探してるのは、もっと深い、だ。





「カイくん! 今日は楽しかった?」

 朝方、ボロアパートに帰ると、リナが玄関で俺を迎える。

 外見年齢は二十歳前後で俺より少し上。清楚な白いワンピースが似合い、肩まで伸びた艶のある美しい黒髪、人懐こい笑顔はマネキンのように完璧に整っていた。リナはその完璧な笑顔のまま、俺を咎めだす。

 彼女は俺の汚れたジャケットを脱がせ、柔らかい声で続ける。

「もう、毎晩こんなじゃ、私の心臓モーターが持たないよ?」

「ふっ。嘘を言うなよ。心配なんて大してしてないくせに…」

 俺が自嘲気味に笑うと、リナは何が可笑しかったのかクスクスと笑い、キッチンへと消える。

 その笑顔はどこかプログラムされたものであるかのように整いすぎていた。


 でも、今の俺には関係ない。リナは俺の家であり、帰る場所だ。

 キッチンから消毒液やら何やら持ってきたリナは俺の右手を掴むと、優しくも手慣れた手付きで俺の擦り切れた右拳を手当てしだす。

 いつもの見慣れた空虚な光景。こんな時は大体――


 さっきまで笑顔だったリナの顔は無表情で、職務だと言わんばかりにただ俺の手を淡々と事務的に処置する――手助け機能発動状態サポートモード

 そんなリナの凍った顔を見て、俺は胸の奥で何かざわつくのを感じる。後悔だ。こんな感情の無いブレーカーの落ちたリナの顔、俺は見たくなかった。





 翌夜、リナが寝静まったあと、俺はまた街へ出る。

 歓楽街のダンスフロア。汗と香水の入り混じるイカれた匂いの中、LEDピアスを顔中につけた女が俺に微笑む。

 彼女の手が肩に触れ、心臓の鼓動が僅かに乱れる。「楽しい?」と囁く声に俺は首を横に振る。

 胸の奥で何かが潰える。虚しさ? いや、こんなものただの騒音ノイズだ。俺が欲しい熱は、こんなもんじゃないはず。


 だが次の瞬間、女の連れが現れ、俺の襟を乱暴に掴む。男の力は物凄く、恐らく腕力を機械化サイバネティクスで底上げしているのだろう。だが俺には――

「てめえ、俺の女に何して――」

 男が言い終わる前に、上空高く振り抜いた俺の拳が男の顎を砕く。フロアが騒然とし、たちまち警報が鳴り響く。俺はすぐさま路地裏へと逃げた。

 雑居ビルの屋根をつたい、追っ手を振り払って一息つくと、胸の熱はやはりすぐに冷めた。

 まただ。俺が探してる“”は、ここにもない…



 家に帰ると、リナがいつもの整った笑顔で迎える。

「カイくん、今日は楽しかった?」

 俺は黙ってソファに倒れ込む。リナは紅茶を淹れてくれて、俺の隣にちょこんと座る。

「ねえ、カイくん。毎晩、街で暴れて、何を求めてるの?」

 俺は目を逸らす。

「別に。リナには関係ねーよ…」

 リナの笑顔が一瞬、凍る。

「そう…」

 彼女の声は小さく、どこか遠い。リナが俺の言葉に、

 珍しいこともあるもんだと、俺はリナとの会話を続けることを試みる。


「なあリナ、いつも楽しいことばかりじゃねえだろ? なのに何故笑ってる?」

 俺の言葉を不思議に思ったのか、リナが小首を傾げてやはり完璧な笑顔で訊き返す。

「私、いつも笑ってる?」

「ああ」

「…そう。なんでだろう? そうプログラムされてるのかな? 嫌なときは笑えって」

「あ? 嫌なときは普通笑わねえんじゃねえか?」

「え? え……え…ッ!?」


 リナの笑顔が揺らぎ、目に見えて狼狽える。思考の負荷ショートだ。問い詰めすぎた。

「悪い、リナ。俺の勘違いだ。笑っててくれ。いつも通りでいい」

「そ、そう? うふふ、変なカイくん」

 なんとか思考の許容決壊オーバーフローを免れたリナは平静を取り戻し、柔らかく笑う。だがその笑顔を見ると、俺は胸の奥で反吐が出そうになる。

 偽物だ。この笑顔は、俺が見たいものじゃない……





 ある夜、事態が変わった。裏路地の闇市で『感情データ』を売る男に偶然にも接触した。

 闇市場じゃ、怒り、悲しみ、嫉妬――あらゆる人間の感情がデータパックで取引される。感情育成型アンドロイドに手っ取り早く“”を植え付ける、違法なアイテムだ。

 俺はストリートファイトで今まで貯めた金で『愛』の感情データパックを買った。リナに正しい感情を与えられると信じて。


 その時、突如背後から鋭い一刃が振り下ろされた。闇市に紛れて来る雑魚を狙うチンピラだ。ガタイはいい。

「若いの、ここで買い物出来るくらいの金があるのか? よこせよ!」

 俺は咄嗟に右腕で刃を受け、金属音が夜空をつんざいた。日本刀の刃は折れ、弾き飛びチンピラの目が驚愕に見開く。

「てめえ…! けんと――」

 何か言いかけた男の顔面には既に俺の鉄拳がめり込んでいる。

「…人違いだ。俺の名前は、カイだ!」

 俺は二度と手出しできないようチンピラを叩きのめし、誰のか分からない血とオイルにまみれて家路についた。



「カイくん! 今日は楽しかった?」

 いつものようにリナが駆け寄る。彼女の手が俺の傷に触れるが、血は流れていない。破れた服の隙間から俺の腕――ただの銀色のフレーム――が露出している。リナの瞳が揺れる。

「カイくん…また怪我してる…」

「リナ、大丈夫だから」


 俺は彼女を押しのけ、部屋の奥へ向かう。そこには古いモニターとアンドロイド用のメンテナンスシート。電源を入れると、アンドロイドのシステムアップデート画面が起動する。

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