第一章 浮気したい?死体

『まだ寝ているのかしら……。いつもならもう起きている時間だけど』 

 八月某日午前7時45分、東鶴久乃あずまつるひさのは株式会社あずまの正門のセキュリティをカードキーを使い解除する。

 未だ早朝だが昨日からの猛暑、いや酷暑で外気が下がりきっていない。車から降り少ししただけで額に汗が滲んでくる。

 久乃が建物内に入ると人感センサーが作動し、ホールに照明が灯る。建物内は空調が効いていて涼しい。……いや少し寒いくらいだ。

『もう慣れたけど設計ミスよね……勿体ない』

 久乃はしゃがみ込むとパンプスからスリッパに履き替える。

 設計ミスとは空調のことだ。本来なら別系統にしなければならない機械室今で言うサーバールームと社長室が空調を共有しているのだそのせいで社長室まで二十四時間冷暖房完備で室温が常に二十四度に保たれている。しかも漏れ出てくる冷気で廊下までひんやりとしていた。久乃は修繕する様に言うが久乃の夫、東鶴貴史あずまつるたかふみは「涼しくていいじゃないか」と言ってそのままにしていた。

 久乃と貴史は現在別居状態だった。とは言っても別段不仲な訳では無い。

 久乃が社長夫人となってから二十年、長男の幸矢ゆきやが生まれてからでも十八年になるが世間で言う仲睦まじい夫婦だった。

 別居の理由も不眠症でかなりの暑がりな貴史に室温を合わせると冷え性で喘息持ちの長女が体調を崩しがちになるため夏のうちはと一時的に貴史が会社に寝泊まりしているためだ。

 それでも昨日はせめて週末位は一緒に夕食をと、受験生の幸矢とスケジュールを合わせて場所は会社の応接室ではあったが家族全員で夕食をとり家族団欒かぞくだんらんの時間を過ごしていた。

 久乃は効きすぎた冷暖に身震いしながら会社の廊下を進むと廊下にもLEDが灯る。基本的に倹約家の貴史は廊下やトイレ等の共有部分には積極的に人感センサーを取り入れて節電に努めていた。最も廊下は南向きに大きな窓があるため日が昇ってしまえば陽光が差し照明が必要無いほど明るかったのだが。

「貴史さん起きてますか?」  

 久乃はトントントーンと社長室奥のドアをノックする。これより先は貴史の私室として利用しているスペースだ。四畳半ほどのベッドルームにそれぞれ一畳ほどのシャワールームとクローゼットが付いている。本来は自宅に帰れない時の非常用の宿泊スペースだ。内装は簡素の一言で表せる。木毛セメント板の天井に石こうボードむき出しの壁と壁紙くらい張れば良いのにと思わなくも無かったし置いてあるベッドも快適とは程遠い病室のベッドの様な飾り気の無い物だった。

 ノックに対する返事がない。久乃はやむを得ず、

「開けますよ」

 と声をかけ、ドアを手前に開く。ドアは抵抗無く開いた。

 久乃はベッドの上を見ると貴史の頭……後頭部が見える。

『!昨日は、お酒を飲んだから……もしかして』

 普段から不眠症で睡眠薬を飲む事の多い貴史だ。アルコールと睡眠薬を同時に服用すれば、副作用が出てもおかしくない。

「起きて!!貴史さん。大丈夫なの」

 久乃は貴史の肩に手を当てて揺らす。そこで久乃は異変に気が付く。

『冷たい……』

 久乃は貴史にかかっていた布団を跳ね上げる。

 そこには背中をナイフで一突きにされた貴史の亡骸があった。

 かなりの出血だったのだろう布団にもマットレスにも赤黒い血染み込んでいる。ナイフは心臓の真裏に垂直に突き刺さっていた。

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