第38話 時代の移り変わり
(簡易人物メモ)
糸瀬貴矢(12): 黒船SC 代表
細矢悠(12): 黒船TA 代表
森田梢(5): 黒船TA 社員
小山修造(初): ホテル海楽荘 会長
原田(初): ホテル海楽荘 支配人
小山修治(初): ホテル海楽荘 社長
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「やっぱり白良浜はいつ来てもいいですね」
新たに黒船グループの一員となった
2019年6月。海開きには少し早い時期となったが、幸い梅雨の合間とも言える天候に恵まれ、約620m続く遠浅の浜が黒船グループを出迎えてくれた。
白良浜の魅力は、90%の珪酸を含む石英砂でできた、きめ細かく真っ白な砂浜と、エメラルドグリーンに輝く透明度の高い海である。またハワイの姉妹浜提携を結んでいることも影響しているが、浜を囲む椰子の木の範囲も合わせてさながら南国リゾートのようだった。
その白良浜から通りを挟んで向かいに建つのが、本日の目的地であるホテル海楽荘である。150室の客室数を誇るこのリゾートホテルは、バブル時代には南紀白浜の代名詞的な存在のひとつであったらしい。
しかし時代は変わり、海楽荘は資本主義の波に飲み込まれた。海楽荘の周辺には続々と新しいホテルが建ち並び、国内の有名ホテルチェーンや、大金を投じて建設された外資系のホテルブランドとの競争を余儀なくされ、徐々にその存在感は薄れてしまったのだ。
「昔は平日のこの時間でもチェックアウトに並ぶカップルや、チェックインの時間よりも早く来て、荷物だけ預けて海に行くファミリーで賑わっていたものです」
糸瀬、細矢、森田の3名を引き連れて。人もまばらなホテルのエントランスフロアを案内しているのが、会長の
「で、でも立地は本当に素晴らしいですよね。まさに白良浜の目の前って感じで!」
「ありがとうございます…」
森田のフォローにも丁寧にお辞儀して返す会長の姿は、これまで何万人もの宿泊客を迎え送り出してきた歴史を感じる。
一同は館内の設備を一通り確認した後、会議室に集まった。
「それで、そのタイの投資家?ですか。彼らはどうやってこのホテルを知ったのですか?」
森田とともにホテル海楽荘のDDを終えた細矢が開口一番に疑問を投げかけた。
「身内のゴタゴタでお恥ずかしい限りなのですが…息子の修治が連れてきたのです」
「あ、そうだったんですね。それは、その…ホテルを売るため、だったんですか?」
「始めはそういう話ではなかったです。なかなか経営がうまくいっていませんでしたので…外部の専門家の方から何かアドバイスをもらおうという、そういう話でした。しかし蓋を開けてみると…」
ホテルを乗っ取るつもりであることがわかったと、そういうことらしかった。
ホテル海楽荘は未上場会社であり、その株式は親族が100%保有している。初めから乗っ取りに来ましたなんて自己紹介して株式を譲ってもらえるわけがないので、入りとしては柔らかく始まったということなのだろうと、細矢は理解した。
「海楽荘は1950年創業の白浜町でも有数の歴史あるホテルなのです。会長の私としてはなんとかその名前を残していきたいと考えています。ここで働く従業員の多くが子供の頃に海楽荘に泊まった思い出のある子たちばかりで、愛着を持って働いているんです」
「いいですね、そういうの…」
「なんとか海楽荘の名前を守って頂けないでしょうか…よろしくお願いいたします」
会長と支配人の二人が改めて細矢と森田に対して頭を下げた。すっかり感情移入している森田が恐縮するように姿勢を低くする。
「その、息子さんとはお話し合いはされているんですか?」
「もちろんです。修治は私達が納得しなければ勝手に株式を売却したりしないと、約束してくれています…。息子は社長ですから、今日もホテルにいると思いますよ。その…揉めているのは事実ですが、話もできないほどの関係ではありません」
「あ、それは良かったです」
その話が本当であれば、とりあえず急に資本関係が変わって身動き取れなくなるようなリスクは少ないとみていいだろう。となれば、根本的な収益の回復に絞って議論を進めればよいということになる。
「決算書をはじめ頂いた資料、拝見しました。それで会長や支配人はこのホテルの収益をどうやって改善していくおつもりでしょうか?」
細矢の問いに会長と支配人はお互いに顔を見合わせて再び頭を下げた。
「日々多くのお客様がいらっしゃってくれるよう従業員一同、努力しておりますが、なかなか結果に表れず。皆様のお力を頼っている次第でございまして…」
そりゃ自分たちで何とかできるならとっくに何とかしていますということらしく、それはそうだと思う一方で、頭ごなしにこうしろというわけにもいかなかった。
「…では会長はこのホテルをどのようにしていきたいと思っていますか?」
「昔のように、多くのお客様で賑わい、従業員のみんなが日々に感謝しながら元気に働くことが一番だと考えております」
「うーん…抽象的ですね。では会長、支配人でもよろしいのですが、ホテルで最も重要なことはなんだと思いますか?」
「それは、もちろん。お客様にご満足頂けることですよ!」
会長に変わり、よく通る声で答えたのは支配人の原田であった。年齢は50歳くらいだろうか。資料によれば勤続年数20年を超える大ベテランである。
「えーと、それは何に対しての満足でしょう。例えばホテルの価格なのか、サービスなのか、食事なのか、設備なのか」
「どれかひとつでも欠ければご満足は頂けないかと思っております」
「なるほど。ーーーでは支配人。全部タダにすればいいのではないですか?」
細矢の問いに支配人の表情が固まる。
「ちょっと、細矢さんっ」
「もしこのホテルが無料で泊まれて、美味しい食事も食べられて、温泉にも入れれば、お客さんは殺到しますよ。最高に満足頂けると思いますけれど?」
「それは無茶というものです。それでは私達が生活できなくなってしまいます」
何を言ってるんだこいつは、という視線をひた隠しにして丁寧に回答していることが伝わる。そしてもちろん支配人の答えには細矢も同意するところだ。
「その通りです。先程支配人はどれかひとつでも欠ければ満足頂けなくなると仰いましたが、昔は、お金を取っていてもお客様は満足して帰って頂けていたと思ってるんですよね?」
「そう、ですね」
「ということはですよ、ホテルの全ての要素が完璧に満たされていることが顧客満足のポイントではないんですよ。どれかひとつでもこのホテルでしか味わえない魅力があれば、他に欠けている要素があってもお客様は満足して頂ける。そういう話だと私は思いますけど」
細矢の言葉に会長も支配人も、そして森田も押し黙る。
時代は変わった。バブル時代の「なんでもある」「なんでもできる」という魅力は、現代においては魅力ではなくなった。
サッカー選手もそうである。器用貧乏はプロにはなれない。なれたとしても大成はしない。多少の欠点はあっても、それを補って余りある長所、光るものを持っている一握りの選手がプロになれるのである。
「会長、従業員の皆さんに聞いてみてください。彼らは日々お客様と接しているはずですから、何が魅力でお客様はこのホテルを選んでいるのか。それが分かれば、そのポイントを磨くことが収益改善の鍵になると思いますよ」
「ーーーないんですよ」
唐突に扉が開き、オールバックに髪を整えた中年の男性と、それから糸瀬が会議室へ入ってきた。糸瀬が細矢と森田に対して男を紹介する。
「
「あ、はじめまして。細矢です」
修治はかっちりと整えたスーツを靡かせて椅子に座った。
「細矢さん、ぜひご自身でお客様に聞いてみてください。値段と立地っていうコメントを飽きるほどもらえるはずですよ。…そんなもの、魅力でもなんでもない。魅力がないから値段が安いんだ」
「修治、なんて言い草だ! おまえは社長なんだぞ」
「そんなの、名ばかりじゃないか。従業員はみんな親父、会長を親のように慕っていて、息子の俺の言うことは誰も聞きたがらない」
修治は反抗期の子供のように愚痴ると、細矢に向き直った。
「さっき糸瀬さんとも話しましたし、いま扉の向こうで細矢さん、あなたの話も聞いていました。さすがは企業再生家です。…ようやく話の分かる方が来てくれて私は嬉しい」
「はぁ…」
まさか敵対する相手方といきなり対峙することになるとは想定しておらず、細矢も戸惑いながら修治の話に相槌を打つ。
「私から言わせれば、このホテルを守ろうとしている人間は私ひとりだけだと思っています」
「なんだって?」
「親父も原田さんも、従業員を引き連れて仲良く自殺しようとしているようにしか見えない」
「社長、言っていいことと悪いことがあるでしょう!」
憤慨する会長や支配人の様子を受けて、修治は立ち上がった。
「何かといえば名前だの歴史だの…あんたたちは何を守ろうとしてるんだ? あんたたち役員だろ。まずは従業員を守れよ。あいつらにだって生活があるんだよ」
「その従業員のクビを切ろうとしてるのはお前だろう、修治」
「全体を救うために少数を犠牲にするのは当たり前だ。首を切ったやつが悪いんじゃなくて、それは事業に必要ない人間を雇ったり、彼らに満足する給料を払えるだけの収益を生み出せていない経営の責任じゃないか」
修治は吐き捨てるようにそう言うと、再び細矢に向き直った。
「今度時間をください、細矢さん。どうも私の言葉は彼らには伝わらないようだ。糸瀬さんは最後に決めるのは貴方だと言った。ウォンキットグループもご紹介します」
細矢は扉の前で彼らのやりとりをずっと眺めていた糸瀬に視線を送ると、糸瀬は肩をすくめた。
なるほど、社長をここに呼んだのは糸瀬の差金だったか。
「分かりました、社長。時間をください。…あ、会長。勘違いしないで頂きたいのは、私は双方の意見を聞いて判断したいというただそれだけです。他意はないですので、先程の話の続きはまた別途しましょう。それまでに従業員の皆さんに話聞いておいてくださいね」
「かしこまりました…」
話を終えた細矢は森田を連れて会議室を後にする。慌てて後を追う森田が細矢に並ぶと、覗き込むように視線を送ってきた。
「細矢さん、いいんですか?」
「チェックアウトするお客さん全員にヒアリングして。雑誌の記者ですとか、なんでもいいから。答えてくれるような感じで。何が理由でお客さんはこのホテルに来ているのか、知る必要がある」
当社想定していた流れとはだいぶ違うが、これはこれで話は早くなった。何よりこれが最善だと糸瀬が判断したからこそ今こうなっているのだろう。
「もし社長の言うようなコメントしか取れなかったらどうしますか?」
「それならそれで考えるよ。でもね、もう70年もずっとホテルを経営し続けて、お客さんもちゃんと来ててさ。何の付加価値もないなんてことはないと思う」
もちろんこれは想像や直感の類でしかないが、たぶん会長も支配人も、そして社長も気づいていないこのホテルの魅力があるはずなのだ。
それが分かれば再生への道が開くと、細矢は考えていた。
つづく。
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