第12話 神に至る日

「軍毅殿…!」

 筑紫たちは犬童と梅鹿ばいろうの神を交互に見つめる。怒りに満ちる二つの存在が放つ威圧感で、恐怖に震えが走り体が竦む。


『長々と神を気取っていたようだが、間違いを正してくれる。我がその力奪ってくれるわ!』

「間違っているのはお前らの方だ。何度あの日をやり直せたらと考えたことか。奪うことしか知らないお前たち神に、護りきれなかったことの後悔と苦痛が理解できるか?」

『カカカカ!!矮小な人間の戯言よの。貴様に護ることなど出来はしないのだ!!』

 犬童の強い怨嗟を孕んだ言葉も、意に介さない梅鹿の神は嘲笑を返した。黒い靄が犬童から立ち上り始めるが、まだ身動きは取れないのか、悔しそうに歯を食い縛る。


 犬童の血を吐くような言葉に、隼人の脳裏に犬童が神へと至った記憶がよぎっていた。

 その日の後悔を、当時この地にいた人間は生涯、死しても忘れることはない。


 無論、己も含めて。



 犬童と渠帥者いさおが生きた時代は、今ほど平穏ではなく様々な要因で容易く命を落とすような時代だった。

 白日別に拾われ数年が経ったが、そんな状況でも逞しく成長した犬童は頭角を現し、いずれは白日別の右腕になることを期待されるほどになっていた。


 自分たちを従わせようとする朝廷や、今より被害が大きかった天災などもあったが、それでも生活を守り幸せな日々を過ごしていた。


 だがその幸福は長くは続かなかった。


 秋が深まり周囲の山々は紅葉に満ちていた。その中で普段から食料を集めている山を、犬童は転がるように駆け下りていた。

 朝から何かおかしいと感じていた。いや数日前から異常は感じていた。

 周りの大人達が揃って落ち着かない様子で何かを相談している。だが、自分が尋ねても曖昧にかわされてしまう。


 最終的に果物を取ってくるように言われ、渋々それに従い何人かの子どもたちと山に入ったが、その中のひとりがポツリと漏らしたのだ。


「今日、白日別様が縄瀬のうぜの神の生贄にされるって」

「……は?何だその話!?詳しく聞かせてくれ!!」

 ついこの間訪ねてきたいけすかない朝廷の官吏が、獣狩をしたいと無理に押し切って禁足地に入り、あろうことか神の子を射殺いころしてしまったらしい。

 子を殺害され激怒した縄瀬の神は、その場で黒い瘴気を撒き散らし始めた。この地に禍を齎す禍ツ神へと変貌しようとしているのだと。

 必死の祈りなど、最早神の耳には届かなかった。


「なんで白日別様を生贄に!?悪いのは朝廷のやつだろ!」

「な、なんか偉いやつとかで、逆らえないんだって父ちゃんが言ってた。鎮めるために今日、白日別様を生贄にするんだって…」

 犬童の剣幕に子どもは今に泣きそうな表情を浮かべる。

 偉いやつがなんだ。元々朝廷に従わない白日別や、この地を疎んじていたことぐらい、犬童も知っている。


 白日別を生贄に選んだ理由など、邪魔者だった白日別を都合よく亡き者にするための奸計でしかない。


「己れは先に戻るっお前らは後から戻ってこい!」

 子どもたちの返事も待たずに、犬童は果物の入った籠を投げ捨てると一気に走り出した。



 集落まで戻ると男衆は殆どおらず、井戸のそばで不安げに集まる女衆がいた。犬童がかなり早く戻ってきたことに驚き、気まずそうに顔を背けてしまう。


「白日別様が生贄にされるって本当か!?」

「ど、どこで聞いたの?...あっ違うよ、そんなはずないじゃないか」

「嘘だ!じゃあどうして男衆がいないんだ!みんなどこに行ったんだ!?」

 犬童の剣幕に女衆は黙り込んでしまった。本音を言えば白日別との別れをさせてやりたい。だが犬童が別れを甘受するとは到底思えなかった。


「女衆を困らせるな、犬童」

「渠帥者!お前知ってたのか!?何故黙って受け入れる!」

 犬童を咎めるように声を掛けたのは渠帥者だった。糸目を薄ら開きながら、険しい表情で拳を握っている。


「オレ達には立場ってのがあるんだよ。この地を護るためならテメェの命は惜しまん」

「だからって!白日別様じゃなきゃダメな理由なんかないだろ!」

「それこそ立場の話だ。白日別も承知してる。だから…オイ、犬童!!」

 渠帥者の言葉を待たず、犬童は再び走り始めた。引き止めようとした渠帥者の手は届かず、思わず舌打ちする。


 禁足地が生贄にされる場所だろうと見当をつけ、犬童は走り続けた。近づくにつれ男衆が増えてくる。

 驚いた表情で犬童を見るが、犬童は捕まらないようにすり抜けていく。


 禁足地はこの地の端にある深い森だった。緑溢れる場所だったそこは、縄瀬の神が暴れ狂ったため無残に荒れ果て、岩や木の瓦礫しかない不毛の地となっている。

 普段は深い森の奥に鎮座している縄瀬の神は、今や禍ツ神と化し、ぬめる触手に塗れた姿となっていた。空は今に降り出しそうな曇天となり、遠雷が不気味に唸っている。


「白日別様ぁあ!!」

「犬童!?何故ここに」

 漸く見つけた白日別は、白装束を纏い、突き立てられた木の杭に括り付けられていた。その姿に犬童は歯を剥くと、白日別の側まで駆け寄った。

 驚く白日別を横目に、禁足地との境に打ちつけられているくさびを一本引き抜くと、目前まで迫る禍ツ神と化した縄瀬の神向かって叫んだ。


「白日別様をてめぇなんかに喰わせるか!己れを喰え!喰らい返してやらぁ!」

「犬童!!駄目だ、下がれ!」

 白日別の静止を無視して、犬童は縄瀬の神の眉間に白木の楔を打ち込む。縄瀬の神の絶叫が上がる。

 追いかけてきた渠帥者は、呆気に取られて思わず足を止めた。


「犬童止めろ!お前じゃ勝てん!!」

「己れは白日別様の犬だ!てめぇの喉笛噛み千切ってやる!!」

 縄瀬の神の怒り狂った叫声が耳をつんざく。振りかざした鋭い爪が犬童の右目に突き刺さり眼球を抉り取った。血を流しながらも犬童の手は楔を離さない。


 体中を嵐のような強撃が襲い、犬童の血飛沫が舞う。暴れる縄瀬の神の鎌のような触手が、犬童の胸を貫いた。


「うぅ…っ!」

「犬童ぉお!!!」

 それでも楔から手を離さない犬童の姿に、白日別と渠帥者は悲鳴を上げる。

 一瞬がくりと顔を伏せた犬童だったが、勢いよく顔を上げると楔を更に強く押し込んだ。


「縄瀬の神よ…ッ!往ませい!!!」

『ギイイィイアアアア!!!』

 断末魔の声が上がり、縄瀬の神の体からぶわりと闇色の靄が吹き出した。次の瞬間犬童は靄に包まれ、火花が散る。目や耳から血が流れるが、犬童は楔を押し込み続けた。


「ぐ、ぅう…あああっ!」

「犬童!!」

 犬童は吼えるように叫ぶと、トドメとばかりに縄瀬の神の喉笛に喰らいついた。黒い靄は犬童の体に吸い込まれるように消えていく。


「…ざまぁ、みろ!」

 ぐらりと犬童の体が傾ぎ、そのまま仰向けに倒れ込んだ。ぴくりとも動かない犬童の元に、ようやく縄を解かれた白日別が駆け付けた。

 犬童の頭を持ち上げるように抱きかかえた白日別は、その血塗れの顔を見て涙が溢れた。


「何故、何故私を庇ったのだ犬童…!」

「己れは貴方様に、生きて欲しくて…ああ、泣かないで。もう苦しくないですから」

 その言葉に白日別は死が近いのかと瞠目したが、犬童は胸元の血を拭うとにこりと微笑んだ。その胸には傷跡一つ残っていない。右の眼窩は虚のようで眼球は潰れたままのようだが、犬童は何ともないように立ち上がった。


「やった…己れの勝ちだ!己れの体の中にヤツがいるけど、どうにもできないみたいです!」

「………なんだと。神に勝ったと言うのか!?」

「そのようです!造作もない!!己れは白日別様の犬ですので!」

 得意げな表情を浮かべ、残った青い左目を輝かせながら犬童は鼻を鳴らす。仮にも神と呼ばれる存在に打ち勝ったという事実が信じられず、白日別は口をポカンと開けたまま犬童を凝視する。

 掌を握ったり開いたり、首をひねりながら自身の身体を確認していた犬童は、はたと気づいたように右目に触れる。眼孔からはまだ薄っすらと血が流れていた。


「ふむ、己れの血は今や神の呪物と同等で、先程の楔と合わせて地を鎮めることができると」

 犬童は呟くと足元にできていた自身の血溜まりに楔を突き立て、柏手を一つ打った。途端に血は意思を持ったように蠢き、楔を中心に五芒星を描き出した。


「木 剋 土。木は大地を剋す。産土神の穢れを浄め給え」

 楔が身の丈ほどの南天の木と変化する。それはあっという間に葉を茂らせ赤い実をつけ、風に揺れていた。


「白日別様。ここに白玉砂利を敷き、御影石で囲んでください。この場所を中心に俺ごと封印します」

「…あい分かった。渠帥者もいるな。すぐにでも準備させよう」

 白日別は何とか笑みを浮かべると、いつものように犬童の頭をわしゃりと撫でる。

 その体から熱が失われていることに即座に気づき、泣き喚いてしまいたい気持ちを抑えつけながら。


「お願いします!あ、渠帥者!見たか?神を喰ってやった!!」

「おい……本当に神殺しを果たしちまったのか?お前…神に成っちまったのか」

 得意気に話す犬童に、困惑しながら渠帥者が尋ねる。

 聞くまでもなく一部始終を見ていた渠帥者たちは全て理解しているが、なお尋ねずにはいられなかった。


「ああ!今この時から、己れがこの地を護る神だ!!」

「…そうか。頑張っちまったな、犬童」

 神に成ったということは、昼も夜も生も死もないという事だ。

 知った顔が死んでいく中、永遠にその気持ちを抱いて生きて、否、存在し続けなければいけない。十六になったばかりのわらべに、何ということをさせてしまったのかと渠帥者は拳を固く握る。

 それでも絶望を悟られまいと、努めて普段通りに渠帥者は笑う。自分達の後悔という想いまで、犬童に背負わせるわけにはいかない。


「封印の地となった今、お前はここから動けまい。永劫の時間、淋しい思いをさせたくない。なればこの地に学び舎を作ろう」

「学び舎ですか?確かに人が入っても、この場所に触れねば問題ないですが」

 白日別の唐突な提案に、犬童は首を傾げる。渠帥者は白日別の心中を察して黙っていた。


「官人養成機関、引いてはこの地の民すべてが学べる、学校院を作る計画は少し前からあったのだ。知識は己を裏切らない。お前も文字を覚え書を読み過ごすといい」

「はい!己れ、頑張りますね!」

 太陽のような笑みを浮かべ、犬童は嬉しそうに返した。神と成った事への後悔など、微塵も感じていない笑顔だった。

 白日別はぐ、と唇を引き結ぶ。だが直ぐに笑みを浮かべ犬童を抱きしめた。犬童は少し驚いたが、ニコリと笑いその体を抱きしめ返した。



 ――禍は避けられた。

 だが白日別の命を諦めていなかった朝廷は「軍毅が命を賭して神と成った」と言う偽りの報告を信じる事はなかった。


 数年後朝廷が大軍をもって、戦さを仕掛けてきたその時、犬童はまだ神として不安定な状態で、結界から出る事が一切できなかった。


 今でこそ犬童は注連縄の縛りはあれど、ある程度は結界から出られる。だが当時の犬童は結界の堺から手を伸ばす事すら出来ず、権能もその中でしか奮えなかった。


 神殺し自体も滅多に成し得ない事だが、人が神に取って代わる事など有り得ない事だ。

 それでもその知識だけは朝廷お抱えの陰陽師達が熟知しており、故に犬童が神と成り切らないその機を狙ったのだ。


 犬童の結界の中に、女や子ども、戦さに参加できない者たちが匿われたが、白日別は大将として先陣を切っていた。

 渠帥者たち熊襲も別部隊に襲われていたため、援軍は期待できない。そんな中何人もの兵士たちを屠った白日別だったが、力が尽きかけたところを矛で貫かれてしまう。


「白日別様!白日別様ぁ!!」

「落ち着け、犬童…私は死ぬ。それでも、禍ツ神になどなるなよ。私はまた戻って、くるから…」

 禍々しい黒い靄を纏いかけた犬童に、白日別は最期の力を振り絞って優しく話しかけた。

 結界に阻まれ、その手を取る事すら出来ずに犬童は慟哭を上げ続ける。


「白日別様…!己れは…貴方様を…貴方様が帰るこの地を護ります!!絶対に…!!」

「ああ、いい子だ。らばだ、犬童」

 禍ツ神に成りそうな悲しみと怒りを抑えつけ、血涙を流しながら犬童は白日別に誓う。

 白日別は満足そうに微笑むと、そのまま静かに目を閉じた。白日別を包む光がふわりと霧散し、犬童はその命が喪われたことを感じた。


「あああ…!!己れは絶対に、この地を護る…犬童の神!!」

 犬童は目を擦ると立ち上がり、柏手を強く打った。まるで鐘の音のように響くそれは、犬童を中心に白く光る五芒星を描き始める。

 それは一気に土地全てを包み込み、朝廷の兵士たちだけを吹き飛ばした。荒い息を吐きながら、犬童は祓詞を奏上する。


「己れは犬童の神。この地の災禍全てを祓う!!」


 そしてその瞬間、犬童は真に神と成った。




(お前が神に成ったあの日を、忘れるものか。二度とあんな思いは…!)

 隼人は強く拳を握る。止められなかった自分は、せめて犬童の友であり続ける。輪廻の話はしても、この想いを告げるつもりはなかったが。


「今度は。今生こそは!絶対、絶対に護りきってみせる!!」

『カカカカ!我を縄瀬のように喰らうか?我が力を舐めるなよぉ!!』

 哄笑する梅鹿の神は、取り憑いた健の体に再び黒い靄を纏う。靄は徐々に無数の触手へと形を成していく。

 その姿に犬童と隼人は目を見開いた。それは縄瀬の神と同じ姿だった。

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