第7話 真夜中の特別授業の怪

「犬童先生」

「あ、筑紫くん。どうしたの?」

 筑紫に小声で呼ばれた犬童は、珍しく目を丸くした。

 ここはいつもの社会科準備室ではなく、県下一の蔵書を誇る図書室だった。あまり人気のない最奥の天井まで届く本棚に掛けられたハシゴの上で、犬童は本の整理をしていた。


「社会科準備室に行ったんですが、いらっしゃらなかったのでこちらかと」

「ああ、そうだったんだ。ちょっと前に読んだ本が気になってね。探してたらつい片付けたくなっちゃって」

「ここの本、古書なんですね。犬童先生の時代の本ですか?」

 犬童がいる場所は作者不詳も多い古書棚だった。かなり年季の入った本がずらりと並び、筑紫も一冊手に取るがタイトルから読むことが難しい本だった。


「うん、たまに読みたくなるんだよね。最初は字も読めなくてさ、公文書を理解するの凄く大変だったよ」

「都督府学園の前身の学校院でしたか、そこで学ばれたのですか?」

「そうそう、これとか懐かしい。白日別も本が好きだった」

《徒然日記》と書かれた本を手に取り、犬童は優しい目で微笑む。軍毅となった犬童も、最初は防人だったのだろうか。当時庶民の識字率は今よりはるかに低かったはずだが、それでも何となく筑紫は違和感を感じる。


「伊達に永く生きてないよ僕は。ここにある大体の本は頭に入ってる。知識は己を裏切らないからね」

「凄いですね。俺ももっと頑張らねば…そろそろ期末試験が近いですし」

「はは、頑張ってね。厳しそうだったら防人の任務は一旦お休みにできるから」

 犬童の言葉に苦笑しつつ、筑紫も手に取っていた本を戻すと、本棚の古書を眺めはじめた。古書は背表紙が無いものが大半で紐で綴じられている。

 その中で筑紫は何となく気になる古書があり、それを手に取ってみた。表紙は真っ白で中央に《白》と書かれている。本自体も編み込まれた白い紐で綴じられていた。


「これは……」

「ん?どうかした?」

「…いえ、何でもありません」

 何となくこの本の事は伝えない方がいい気がして、筑紫はそっとそれを鞄にしまった。


「そう言えば用があったんじゃないの?」

「あ、そうなんです。健さんが怪談の噂を聞いたらしくて。この後お時間いただけますか」

「うん、わかった。携帯にかけてくれてもよかったのに」

「図書室にいらっしゃる可能性が高かったので。いらっしゃらなければかけるつもりでした」

 マナーモードになっていなかったら、あの着信音(単音)が静かな図書室に響いてしまう。筑紫の気遣いに笑みを浮かべつつ、犬童は梯子からひらりと飛び降りた。

 音もなく着地すると、横に並んで歩き始める。


「まだ人も多いし、歩いて戻ろうか」

「分かりました。二人で歩くのもなかなか新鮮ですね」

 スキップしそうなぐらい機嫌が良い犬童は、筑紫と本の話をしつつ社会科準備室へと向かった。


「やあ防人たち。二週間ぶりぐらいかな?今回は健くんが噂を聞いたんだって?」

「はい、今回もよろしくお願いします」

 健からの連絡ですでに集まっていた三人は、犬童に一礼すると早速怪談の噂を話しはじめた。


 ――曰く。

 真夜中にどこかの教室で死人達による授業が行われており、そこの教師に見つかると強制的に授業に参加させられ囚われてしまう。


「学校の怪談って感じーもしかして怪異もいっぱいいるー?」

「うへぇ。生徒棟だけでも教室いくつあると思ってんのぉ」

「また虱潰しに探さなければならんな」

 学園の見取り図を確認しつつ、四人はどこから行くか思案する。これまで上の階から探索していたが、今回は下から回ることで意見が一致した。


「生徒棟ってことは休みの日になりますかね」

「うーん。期末試験まで半月ぐらいだし、試験学習期間って事で下校を早めるようにするよ。部活の停止も被るしね」

「じゃあ明後日金曜日ですけどぉ、その夜にしますかぁ?」

「うん、じゃあそれで。僕は後で職員室に行って、教頭先生に話してくるね」

 全員頷くと、ここからはまったりしたおやつタイムだ。今日の筑紫のお菓子はくるみ餅だった。あまり食べたことがない犬童の目が輝く。


「くるみ餅!これ美味しいよね!!すっごい久しぶりに食べるよ!」

「お好きなようでよかったです。一口サイズに切ってありますのでどうぞ。合う茶葉も持ってきました」

 す、と差し出される茶筒をにこやかに受け取ると、犬童は鼻歌混じりに急須と湯呑みを準備する。


胡桃くるみが美味しいよねぇ。これ筑紫が育てた胡桃なんですよぉ軍毅殿」

「えっ胡桃まで育ててるの!?」

「誤解を招く表現をするな隼人。山が近いからか色々庭に自生してるんです。秋になったら柿を持ってきますよ」

「そうなんだ。楽しみにしてるね!」

 きび砂糖でほんのり甘いくるみ餅を頬張りながら、五人は暫し歓談を楽しんだ。



 二日後の金曜日の夜、満月の光が淡く廊下を照らしている。五人は生徒通用口に集まると、そのまま三年生の教室から回りはじめた。


「えーと、今は七組まであるんだっけ。扉から中を見ていけばいいかな」

「そうですね。一組はハズレか…サクサク行きましょう」

 扉の窓から中を見つつ、武具を持つ手に力が籠る。一階の教室は全てハズレだった。

 声を潜めて話しつつ階段を登り、二年生の教室に差し掛かった時、健は一組の扉の前でぴたりと動きを止めた。


「…この教室、何かの気配がするね」

 三人もそれを感じるのか、無言で頷きあう。

 そっと後ろの扉から教室を覗くと、そこには何十人かの生徒と、黒板の前に立つ教師がいた。


「おービンゴぉ。絵に描いたような怪談の再現だねぇ」

「なんか制服違わないー?昔の制服かなー?」

 灯りもつかない教室で、静かに授業が行われている光景は不気味でしかなかった。

 初めて怪談らしい怪談に遭遇して、四人の顔が若干強張る。


『この古典が伝えたいことはー』

「あれ、伊都いと先生?」

 教師の顔を見た犬童が、驚いたように名前を呟いた。

 書生服を着た教師は美しい字で板書していた。生徒たちと違い、犬童に視えていることに筑紫は驚く。


「軍毅殿にも視えるのですか?あれは怪異じゃないんですか?」

「あの先生、大正頃にここで教鞭を取ってた古典の先生だよ。怪異に囚われているみたい。魂だから僕にも視えるんだね」

 筑紫の質問に犬童は眉根を寄せながら答えた。生徒たちは焦点の合わない目で、黒板をじっと見つめている。


「生徒は視えますか?」

「ううん、それは全く。伊都先生だけしか視えないな」

 健と豊国はそれぞれ武具を構える。筑紫はその後ろに続き、隼人が扉に手をかけた。


「今日はオレの番だねぇ。扉開けたらすぐ奏上するのでぇ、よろしく頼みますねぇ軍毅殿」

 ゆっくり扉を開くと、生徒たちの顔がぐるりと五人を見た。ちょうど板書していた教師だけは五人に気づいていないようだ。

 柏手を一つ打ち、隼人は慣れた様子で祓詞を奏上し始める。


「犬童の神に かしこみ畏みもうす」

「…どうぞ、聞きましょう」

『掛けまくも畏き(口に出して言うのも畏れ多い)』とは言わず、祓詞を奏上しはじめる隼人に内心苦笑いしつつ、犬童は詞の続きを待つ。


「諸諸の禍事罪穢まがごとつみけがれ有らんをば 祓え給い清め給えと⽩す事を 聞こし⾷せと畏み畏みも⽩す」

「……いいでしょう。君の願いはしかと聞き遂げました。禍事罪穢全て祓いましょう」

 犬童の言葉に四人は目を瞑る。柏手を打つと場は青空の広がる草原へと変化し、犬童も狩衣姿に変装した。


「さて、先生を怪異から分離させて根本退治といこうか。生徒の形を取っている怪異たちは防人に任せるよ」

 虚な目で見つめていた怪異たちは、筑紫たちの方に向き直ると黒い人型に変貌していく。


「二十体ぐらいかな、俺と豊国、筑紫と隼人で組んで足止めしていこう」

「おけまる!ウチの剛弓が火を吹くよー!」

「指示するなよタケルぅ。さっさと倒しちゃおうねぇ筑紫」

「分かった。油断するなよ」

 四人はそれぞれ散開すると、怪異たちが襲いかかってきた。剣や弓、拳でそれらを叩きのめしていく。

 犬童はその様子を横目で見ながら、大刀を地面に突き立て五芒星を描いた。


「重畳、重畳!我、《犬童の神》の名に於いて穢れを祓い、魂を開放せしめんとする」

 犬童は口上を述べると、柏手を一つ打った。五芒星から蔦が湧き出て教師の元へと向かい、その体を拘束した。身を捩りながら、教師はがくがくと揺れる。


『ア、ア、授業中、に、私語は、いけませン、よ』

「…伊都先生、あなたは素晴らしい教育者だった。そんなあなたを利用するなんて許せない」

 犬童はゆっくり歩み出すと、教師に近づいていく。拘束を無理矢理引き千切ると、教師は両手で犬童の首を掴んだ。


「軍毅殿!」

「大丈夫。伊都先生ちょっとだけ我慢してね」

『グア、あ!』

 犬童は教師の胸の中心を右手で貫いた。貫かれた胸元から黒い靄が一気に噴出する。犬童の首から手を離して踠くも、すぐに動きが止まる。


『あ、あ…い、ぬどう、せんせ、い…?』

「伊都先生久しぶりだね。さあ穢れを祓ってしまおう」

 胸から手を引き抜くと、その手には骨片が握られていた。虚だった教師の目が正気の光を取り戻していく。


『グゥ、う!犬童ぉお!!!』

「気安く名を呼ぶな。縄瀬のうぜの残滓が」

 素早く符を取り出し黒い靄を纏う骨片を包むと、真っ黒な火柱が上がる。怨嗟の叫びを残して怪異は灰燼に還った。

 犬童の目の前に残るのは、自身を取り戻した教師だった。犬童は正気になったその顔を見て、懐かしそうに笑みを浮かべる。


『犬童先生、ありがとうございました。輪廻がありましたらいずれまた』

「ええ、伊都先生。いずれまた」

 教師は犬童と挨拶を交わすと、一礼して消えていった。


「さて残る怪異ども。《犬童の神》が、お前たちの存在を赦さない」

 防人たちに足止めされて姿を顕にした怪異は、犬童の言葉に耳を劈くような叫声を上げる。

 犬童は目を細めると、再度柏手を一つ打った。途端に二十を超える怪異は、燃やされたように塵となってざらりと崩れ落ちていく。


「軍毅殿…」

「みんな良い働きだったよ。よし、場を戻そう」

 少し淋しそうに笑むと、犬童は柏手を打ち場を元の教室に戻した。


「今回数が多かったのに素晴らしい手腕だったね!週末は休んでね!」

 にこりと笑うと犬童は早々に四人に帰宅を促した。三人が武具を片付ける中、筑紫は鞄からお守りと本を一冊を取り出した。


「軍毅殿、お一人で過ごされる夜は寂しいでしょう。これが少しでも夜のお供になれば」

「…うん、ありがとう筑紫くん」

 泣きそうな、それでも嬉しそうな笑みに筑紫の胸が痛む。どうか少しでも心安く過ごせるように。筑紫は願いを掛けてお守りと本を手渡した。


「軍毅殿少し淋しそうだったな」

「そうだねぇ。元同僚だろうし、色々思うところがあるんだろうねぇ」

 心配そうに呟く筑紫の言葉に返しながら、後で慰めにでも行こうかと隼人は考えていた。


「軍毅殿に手渡した本、あれ図書室から借りてきたのぉ?」

「ああ、先日昼に軍毅殿を探しに行ったときに…ああ、そうだ」

 筑紫はおもむろに鞄から古書を取り出した。隼人はそれを見ながら首を傾げる。


「背表紙がないねぇ。古書?それも図書室で借りてきたのぉ?」

「ああ、古書棚の本は背表紙がないものが多いんだが、何か妙に気になってな」

「地域の人限定とはいえ、古書を貸出してるのが凄いよねぇ都督府学園。ちょっと見せてもらってもいい?」

「ああ、ほら」

 筑紫は《白》と一文字書かれているだけの、そのシンプルな作りの本を隼人に手渡した。隼人はその本を開き最初のページに記された文章を読むと、驚いたように糸目を開く。


「は!?こ、これ白日別の日記じゃないか!」

「え?そうなのか?」

 驚愕しすぎて普段の口調も吹っ飛んでしまった隼人だったが、筑紫はそれには気づかずまじまじと本を眺めた。


「ンンッ、”この書はわが日々の思ひを記すものなり。われは白日別、この地の幸あれかしと”…って書いてあるよぉ」

「よく読めるな…達筆すぎて読めん」

 眉根を寄せる筑紫を見ながら、隼人は苦笑する。同時代を生きていたため、苦も無く読めて当然なのだがそれは言えない。


「こういうのはまあ、コツがあるんだよぉ。今度教えようかぁ?」

「ああ頼む。白日別の日記なら俄然興味が湧いてきた。時間があるなら明日はどうだ?期末試験前に手をつけたい」

「もっちろん!なんならぁ、今夜泊まりに行ってもいい?」

「構わない。軽く夜食も食べるか?」

 珍しく子どものように目を輝かせる筑紫を見てダメ元で尋ねた宿泊が叶い、隼人は筑紫に見えないように拳を握る。


「食べる食べるぅ!やったぁ言ってみるもんだねぇ。んじゃ準備したら行くねぇ!」

「ああ、あまり遅くならないようにな」

 喜びに満ち溢れた隼人の頭から、犬童のことは完全にすっぽ抜けていた。



 全員を送った後、犬童は屋上に場所を移していた。

 辺りの風景や建物はこの千数百年の間に大きく変わっていったが、空だけはいつも変わらない。

 百余年前の同僚に会ってしまったことで、犬童はかつての仲間を思い出していた。

 徴兵されて還ってこなかった教師、学園ができる前の学校院の官僚たち、そして白日別や渠帥者。


 千数百年経っても人間だった頃の記憶が、一番色褪せずに残っている。



 犬童が白日別に拾われたのは、今のように満月が昼間のように輝く星空の下だった。

 当時夜の明かりは月明かり以外なかった。無理やり従軍させられていたそこからは逃げ出せたものの、空腹のあまり動けなくなった犬童は死を覚悟して道端で蹲っていた。

 月明かりでできた自分の影すらボヤケて、いよいよかと目を瞑ろうとした時、犬童は両肩を掴まれてがくがくと揺さぶられた。


「…ぃ、おいっ、しっかりしろ!まだ生きてるか!?」

「……な、に、だれ」

 少し低めだったが、女だと分かるその声に犬童はゆっくり瞼を開いた。

 誰がどこで野垂れ死のうと目もくれないような、死がすぐ近くにあったその時代に、女は小汚い子どもの自分に手を差し伸べた。


「おお、生きていたか。よかった、ほらこれを喰え」

「…めし…!」

 震える腕を必死で伸ばし、渡された干し芋にかぶりつく。慌てて食べていると芋が喉に詰まりそうになる。竹筒に入った水を渡され、一気に流し込みながら激しく噎せた。

 空腹を満たせた安心感と、芋で噎せたせいで涙が出てくるのを必死で拭う。


「ごほっげほっ!…なんで、めし、くれた?」

「お前、前の戦で唐から来た兵士だろ?いや、奴隷かな?言葉は分かるようだな」

 鎖の千切れた鉄輪を指差しながら、女はニヤリと笑む。図星を指されて犬童は少しだけ後退る。この女も奴隷として自分を使おうとしているのだろうか。


「…だったら、なに」

「私は唐にとって敵将、白日別と言う。お前が良い働きなのを見た。兵士として育ててやるから私のところに来い」

 白日別は太陽のように微笑んで、犬童に手を差し伸べた。


 それは思いも寄らない出会いだった。

 そしてどれほど時が過ぎようと、犬童はその奇跡を忘れることができない。



 筑紫から受け取ったお守りと本を抱きしめ、犬童は強く目を瞑る。


 今夜はこの本を読みながら過ごそう。

 寂しい感情を誤魔化すように頭を振ると、犬童は図書室へ移動した。

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