第4話 白日別記

 初の任務を完了した翌日、筑紫は何事もなかったかのように早朝から自宅の庭で修行に励んでいた。

 危険な目に遭ってほしくないなら、自身をより鍛え守り抜ける力を付ける必要がある。それが筑紫が出した結論だった(脳筋)。


「―ふぅ、修行はこれぐらいにして、風呂入ったら飯作るか」

 汗を拭いながら独りごちると、軽く肩を回しながら裏口のドアを開いた。


「やっほー筑紫!良い朝だねぇ!」

「…朝っぱらから何の用だ隼人」

 入浴後早速卵焼きを作り始めていた筑紫の元に、テンション高く隼人が飛び込んできた。


「冷たいなぁ。せっかく幼馴染が訪ねてきたって言うのにぃ」

「こら、危ないから料理中にひっつくな」

 隼人は唇を尖らせながら不満気に筑紫に寄りかかる。筑紫の小言も物ともせずに振る舞う隼人に呆れながら、卵をかき混ぜる手は止めない。そのまま温めたフライパンに少しずつ流し込むと、すぐさま甘い匂いが立ち上ってくる。

 筑紫の卵焼きは砂糖の入った少し甘めのものだ。菜箸でゆっくり巻きながら形を整えていく。


「どうせ食べるんだろ?少し手伝え」

「はぁい。大根おろしつくるねぇ」

 隼人は勝手知ったる冷蔵庫を開けると、ラップされていた三分の一ほどの大根と醤油差し、浅漬けの胡瓜を取り出す。

 調理器具の収納された籠から卸金を掴み出すと、早速大根をすり下ろしていく。細かい目の卸金は、ふわふわの大根おろしが出来上がる。勿論これは筑紫拘りの調理道具だ。

 山盛りの大根おろしを入れたボウルを一旦テーブルに置くと、隼人は食器棚から汁椀と茶碗を二つずつ取り出す。

 卵を焼いている横の鍋には、あおさの味噌汁が出来上がっていた。鼻歌まじりによそいながら、汁椀を盆に並べる。続いてご飯をよそって同じく並べると、筑紫は卵焼きを俎板に乗せて切るところだった。


「鮭だけどいいか?」

「勿論!」

 グリルから脂の乗った鮭を二切れ取り出すと、卵焼きと一緒に皿に盛った。

 隼人は先に盆を持ってテーブルに茶碗と汁椀を並べる。筑紫は別の盆に卵焼きと鮭の皿を置くと、二膳の箸と共にテーブル持っていく。

 一通り配膳し終えたところで、すでに置いてあったコップにお茶を注ぐと、二人は向かい合って畳に座った。


「手伝ってくれてありがとうな。いただきます」

「どういたしましてぇ。いただきますぅ」

 大根おろしを好きなだけ卵焼きに乗せると、醤油を少しだけ垂らして食べ始めた。卵が口の中でホロホロほぐれて大根おろしと絡み合う。


「これこれぇ!筑紫の朝餉あさげ最高ぉ♡」

「美味いなら何よりだ。今度軍毅殿にも持っていくかな」

 学食で山盛りのご飯を美味そうに食べていた犬童のことを思い出し、筑紫は微笑みながら呟いた。


「そうだねぇ。喜ぶんじゃない?」

「あとおはぎも気に入られたようだしそれもだな。それから」

「何?餌付けしたいのぉ?」

 少し不服そうな声で糸目を更に細める隼人だったが、ふと思い出したように手を止めた。


「そう言えば、次の怪談分かったかもよぉ」

「早いな。もっと時間がかかるものかと思っていた」

「いやぁ今度のは厄介かもよぉ」


 ――曰く。

 三階の階段が何段あるか数えながら登っている時に段数が十三段になることがあり、そのまま四階まで登ると戻れなくなる。


「具体的に何が起こるんだか、よく分からないところが怪談らしいよねぇ」

「全くだ。というかどこの階段なんだ?確か階段は全部で四つあったような」

「う〜ん特別教室棟や非常階段も含めると、いくつあるんだか分かんないねぇ」

 はぁ、と二人して溜息を吐く。筑紫は一旦箸を置くとお茶に口をつけた。

 筑紫は転入して一週間、隼人も入学してからまだ一ヶ月ほどしか経っていない。学園の細かい見取り図は頭に入っているはずもなかった。


「まあ二人で考えても分からないだろう。今日明日は休みだし、週明けに相談に行こう」

「そうだねぇ。まったく、折角のご飯が台無しだよ」

「言い出しっぺはお前だろうが」

 その後は学園の試験についての話や、思い出話などをして過ごした。

 そのままちゃっかり昼餉ひるげまで食べた隼人は、そのままずるずると筑紫宅の道場に引き摺られていく。


「さあて。十分休んだな?夕方まで修行に付き合ってもらうぞ」

「ええ〜なんか嫌な予感はしてたけどぉ」

「こうなる事は分かってただろ?さ、行くぞ」

 意気揚々と右腕を回す筑紫に、隼人はそれ以上何も言わずむしろ楽しそうについて行った。




「こんにちは。犬童先生いらっしゃいますか?」

「こんにちはー!いるよー」

 月曜になり筑紫と隼人は、昼休みに社会科準備室の扉を叩いた。犬童の返事を聞きつつ扉を開く。先週と変わらず積み上げられた本の間から犬童がひょこりと姿を現した。


「やあ!しっかり休めた?防人たち」

「おはようございます。お陰様で。今日は卵焼きとおにぎりも持ってきたんでよかったら」

「わあ!ありがとう!後でいただくね」

 シンプルな紺の風呂敷に包まれたご飯を満面の笑みで受け取り、犬童は大事そうに抱えた。


「おはぎも入ってますので、食後にでもぜひ」

「ホントに作ったんだ。マメだねぇ筑紫」

 隼人は半ば呆れながら、少し羨ましそうに風呂敷を見やる。犬童は風呂敷を机に置くと、真剣な表情で振り返った。


「朝に隼人くんから聞いたけど、二つ目と怪談が発生したらしいね」

「そうなんです。階段にまつわるらしいですが、階段がいくつあるのかも分からないですし厄介ですが」

「はは、発生場所候補は多い事が普通だからね。学園の設計図を準備しておくから、とりあえず放課後にまた話そうか」

「分かりました、では失礼します…あ、犬童先生」

 ぴしりと一礼すると部屋を後にしようとした二人だったが、ふと思い出したように筑紫は犬童を呼び止めた。


「保冷剤は入ってますが少し暑くなってきたので、腐らない内に冷蔵庫にでも入れてください。体調崩されてはかないませんので」

「え、うん、すぐしまう、ね」

 戸惑う犬童に首を傾げつつ、軽くお辞儀をして筑紫は扉を閉めた。遠ざかっていく二人の足音を聞きながら、犬童はズルズルとその場にへたり込む。


「…ふふ、神相手に体調崩すって。相変わらず心配性なようで」

 犬童の貫かれた左手が瞬時に治るのを目の当たりにしたはずなのに、筑紫は普通の人間へ向ける感情と同じものを向けてくる。

 いつぶりか分からないその感情を、嬉しくもくすぐったく感じながら犬童は微笑んだ。



「さて、週明け早々だけど、次の怪談の話をするよ!」

 放課後に呼び出された四人に、犬童は学校の設備が掲載されている見取り図を広げて見せる。その見取り図はドアの数から非常階段まで、すべてを網羅していた。


「今回は階段の怪談で…ややこしいな。分かっているのはどこかの四階に続く階段ってことだけだね。非常階段も含むと全部で十箇所。数えて十三段になった瞬間に怪異が出てくる可能性が高いね」

「なるほどぉ?じゃあ出る瞬間、軍毅殿に場を変えていただく必要がありますねぇ」

 ふむ、と眉根を寄せる隼人の言葉に、犬童は無言で頷く。


「そうなんだ。前回みたいに場を変える時間があんまないんだよね」

「オッケー!じゃあ今回はウチが略拝詞りゃくはいしで奏上するねー!」

 指での輪のように丸を作りながら、豊国がにぱっと笑う。健だけは名乗りを上げた理由が分かるのか、呆れたように苦笑いを浮かべる。


「豊国、覚えてないんでしょ祓詞はらえことば

「てへっバレたかー略拝詞ならカンペキだしー」

「はぁーー…まあいいけどぉ、略拝詞失敗しないでよぉ?」

 バチコンと悪怯わるびれることなくウィンクする豊国に、隼人も深い溜め息を吐く。犬童も笑いながら豊国の肩を軽く叩いた。


「そんじゃ豊国くんよろしくね!ま、その前にどこが発生源か分からないから探索だね!」

「そうでしたね。まあ幸い十箇所ですし、一日掛けて一気にやりますか?」

 犬童は筑紫の言葉に、手を口元に持っていきながら思案する。


「今回は人払いの結界を三階から上全体にかけるつもりだから、一度の探索で時間かけられないかな。あと人が少ない時間にしたいから、夜になっちゃうけどごめんね」

「なるほど、分かりました。短期間で何度も全校清掃は不自然ですしね」

 犬童は無言で頷くと、ごそごそとポケットから携帯電話を取り出した。


「捜索範囲が広いからこれ持ちながら探そう。前の防人だった阿多ちゃんに貰ったんだよねこれ」

「ガラホ…いやガラケーですか?画面が白黒…??」

「阿多さんのなのー?やば!ガチエモ!!」

 銀色のはずのガラケーはカラフルなラインストーンで盛りに盛られて原型がない。

 オレンジがかったモノクロの小さな画面は、対照的シンプルでグレーの時計が表示されていた。下半分に配置された数字のボタンがレインボーに装飾されている。小さめな犬童の掌と同じぐらいのサイズだった。

 アンテナも加工されていて、花やらマスコットやらのストラップがゴテゴテと付いている。どうやってポケットに収まっていたのか謎だ。


「阿多さん平成のコギャルってやつだったからねぇ」

「他人事みたいに言うが、自分の母親だろ?」

「オレにはあのノリよく分かんないんだよねぇ」

 隼人の母親は先代の防人を務めていた。ノリの近い豊国とは勿論仲がいい。隼人も苦手なわけではないが、そこまでベタベタするような親子関係でもない。


「ま、通話しかできないんだけどねコレ!学園内だったら着信貰ったら、すぐ君たちの所に移動できるから」

「すごいですね。それなら分散して探せます」

「一人だと連絡しづらいだろうから、二組に分けて探そう」

「剣二人は別れた方がいいよねぇ!なのでオレは筑紫と組むねぇ」

 素直に感心する筑紫に、健が提案した瞬間食い気味に隼人が手を挙げる。ゲンナリした表情の筑紫に抱きつく隼人に、健はいつも通りニコニコと微笑む。


「いいよ、俺は豊国と回るね。ホント隼人は筑紫が好きだなあ」

「幼馴染なんでぇ。あげないよぉ?」

「俺に発言権はないのか…まあいいが」

 健は露骨に威嚇されるもするりとかわし、にこりと笑った。それすらも気に障るようで、隼人はじろりと健を睨んでいる。


「僕は最初は健くんたちと行動するね。じゃあまた週末かな、金曜の十九時ぐらいにここで待ち合わせで」

 全員が頷くのを見て、犬童は柏手を一つ打つ。全員のスマホが一度だけ着信した。


「みんなのスマホに僕の番号登録しておいてね。まあ架空の番号なんだけど」

「番号ですらないですね…*で表示される着信、初めて見ました」

「ホントだねぇ。なんか新手のイタズラ電話みたい」

 かつてワンギリは目の前の相手に電話番号を伝える手段でもあり、迷惑な電話ではない時代があったことをメールさえほぼ使わない彼らは知らない。


「今日はちょっと早いけどこれでお開きかな。筑紫くんにいただいたおはぎ食べるけどみんなにもあげていいかな?」

「勿論です。今日はきなことゴマもあるのでぜひ」

「何か初回より手が込んでる!?」

 いそいそと冷蔵庫から出して少し経ったおはぎの包みを開くと、三種類のおはぎが籠いっぱいに並んでいた。

 前回も入っていたウェットティッシュと、食べにくいと思ったのか黒文字楊枝が数本入っていた。至れり尽くせりすぎて、犬童はまた頬を赤くしていた。


「心尽くしが嬉しいね!それじゃお茶準備するね」

「軍毅殿、それも俺が」

「それぐらいやらせてよ。ちょっと待っててね」

 初日のときと同じく、机を囲んでおはぎを食べ始める五人。

 あまり広くない社会科準備室は、積まれた本も相まって部屋はぎゅうぎゅうになっている。


「そう言えば軍毅殿に『白日別記しらひわけき』の内容で伺いたい事があります」

「ああ、図書館で借りてきたのそれ?久しぶりに見たなあ」

「この本自体、誰かが借りたのは随分久しぶりのようでした」

 筑紫は白地に黒い文字で『白日別記』と書かれた本を、ぱらりと開きながら話し始める。



 ――今から千数百年前。

 この地に唐からの進軍や海賊と戦う防人と呼ばれる兵士たちと、それに指揮する軍毅と呼ばれる者がいた。

 防人は発足時からしばらくは朝廷の命により全国から徴兵されていたが、基本は三年兵役であり地元の兵力が最大戦力だった。


 当時軍毅だったのは「犬童」と言う青年であった。

 背の丈は五尺ほど、長い白髪を棚引かせ、数多の戦さで奮われる智将としての才覚と、彼自身の戦闘力は何度もこの地の危機を救っていた。


 ただ面白くないのは時の朝廷である。

 元々熊襲くまそなど朝廷に最後まで抵抗した者たちがいたのも同じこの地であり、それらと盟友関係にあった犬童軍毅は、如何に国益に貢献しようと(むしろ貢献しすぎたとも言える)邪魔者でしかなかった。


 天災が続いたある年、犬童軍毅は朝廷より禍ツ神まがつがみと成った産土神うぶすながみを鎮めるための人身御供を命ぜられる。それは明らかに天災にかこつけただけの、犬童軍毅を合法的に殺害しようとした朝廷の策略だった。

 だが犬童軍毅はそれを受け入れるしかなかった。朝廷の意に背けば領地に攻め込まれる可能性が高かったためだ。


 ――結論から述べると、犬童軍毅は防人たちと協力し産土神を討ち取った。

 いわゆる「神殺し」と呼ばれる行為だが、それが成された代わりに犬童軍毅は人神ひとがみとしてこの地に君臨することとなる。

 また、誰よりも率先して産土神に立ち向かい、これを討伐した最大の功労者の名を「白日別」と言った。彼女は当時珍しく女性でありながら防人を務めており(本来防人を務めなければならない白日別の夫が、病弱故に代わりに務めた説が有力)犬童軍毅が神と成った後、学校院(現在の都督府学園)を設立した。



「と、ここまでが『白日別記』ですが、伺いたいのは何故その学校院、都督府学園が封印の地となっているのかです」

 学園の中心、南天がある白洲の中庭がその場なのだが、わざわざ封印を置いた場に学校を設立した理由までは書かれていない。

 むしろ封印の地となる神域なら、通常は人が立ち入らぬ禁足地となって然るべきだ。それならば不定期に起こる怪談を発生源とした異界化も、関係者だけで防ぎやすい。


「ああそれはね、白日別の案なんだ。人が常にいる方が、忘れ去られずに済むからね」

「…信仰の問題ですか?」

「いや神にも色々あるけど、僕は信仰心が力になるタイプじゃない。ただ詳細はさて置き、産土神が禍ツ神に成った事実を忘れて、また同じ過ちを犯さないようにね」

 眉尻を下げながら、犬童は少し淋しそうに笑った。


「そうだったんですね。因みに白日別はその後も防人を?」

「うん、軍毅がいなくなった後も、彼女は他の防人を率いて戦った。ただ…数年後に朝廷が攻めてきてね、その時に亡くなったよ」

 強く両手を握りしめて、口惜しそうに犬童は語る。戦争などない今、友人や身内を戦いの中で失うなど想像を絶する。それでも死なせてしまった事への後悔と哀しみは察して有り余る。


「だからせめて、僕にできることをしている。白日別も愛したこの地を、いつまでも豊かに幸せにすることが僕にとっての供養だから」

 千数百年の月日が流れようと、哀しみは消えるようなことは無いのだろう。変わらぬ姿で存在し続ける神なら尚更だ。


「…俺たちは今回の任務では絶対死にませんから。軍毅殿が哀しまないように」

「うん、ありがとう。早く怪異を殲滅して、いつもの日々に戻したいね」

 そう言うと、犬童はにこりと微笑んだ。

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