賢者を引退して山小屋暮らしの私が訳ありエルフを嫁にするまで

ささやん

第1話 初めての朝

ドサッっと屋根から落ちる雪の音がした。

その音で私は目を覚ます。

天蓋越しでも窓の向こうが少し明るくなっているのがわかった。

起きた以上、小便でもと私は腹の上のあった足をのけて、えっ足?

思わず半身を起こして横を見た。

「誰だっけ?」

そこには足をのけた勢いで背中を向けた女が寝ている。

正直、焦った。妻になんと説明すれば・・・・・

そこでハタと気が付いて溜息をついた。

妻は既に亡くなっているのだ。

少し記憶を探るとこの女の事も思い出した。ああそうだ昨晩楽しんだ相手だ。

やたら声の大きい女だったが山の中じゃ問題ない。


安堵した顔が冷気で強張る。

日の出前となると天蓋の中もさすがに冷えている。

私はベッドの横の魔石に触れて発熱させる。

じんわりと天蓋の中が暖かくなっていく。

昨晩は、この女のおすすめの秘薬を飲んで身体から発熱していた。

だから半裸のまま事を済まして眠ってしまったのだ。

その秘薬の効力はとっくに切れている。

「寒いな」

当たり前の話、外は雪景色なのだから。


私は女を起こさぬように天蓋を一気にくぐる。

脱ぎ散らかした下着を着て居間への扉を静かに開けた。

居間とはいえ冷気に包まれて吐く息も白い。

丸太でできた壁の向こうは外なのだ。

小さな小窓は半分雪に覆われている。

そう言えば昨晩は吹雪いてたな。

薄いガウンと下着だけでは寒すぎる。

膝まである粗目の毛糸のガウンを羽織って暖炉の薪を整える。

そして暖炉に書かれた魔法陣に指を触れると薪から小さな炎が出始める。

しゃがみ込んで小さな炎に手をかざす。

部屋は狭いが温まるにはもう少しかかる。

こういう暮らしも悪くない。魔法ですら最低限しか使わない素朴なやつだ。

ガスも電気も普及していないが多少魔法があるのがこの世界だ。

色々あって帝都を離れて引退した私はこういう生活をしてみたかったのだ。

などと語っている余裕が無くなってきた。

小走りに裏口から外に出る。

朝日が樹々の向こうから差し込み、降り積もった雪に跳ね返ってまぶしい。

素足にサンダルは足が痛いくらい冷たいが我慢して小屋に沿って歩く。

この苦痛も最近の朝の日課になっている。

小屋の横に、雪の積もっていない細い筋を見つけるとガウンの前を開く。

少しして黄色い放物線がその筋の近辺に落ちて湯気が少し上がる。

この爽快感は男の特権だが放尿による体温の急激な低下は心臓によくない。

もしもの場合、ナニを出したままの天に召される場合もある。

町では、これを嫉妬の魔女の仕業と信じられている。

魔女には申し訳ないが、民間伝承による注意喚起だなそれは。

朝の日課を終えて屋根から下がったつららを折りながら手を清め小屋に戻る。

部屋はほんのり暖かくなっている。

「おはようございます」

部屋から分厚い茶色のガウンを羽織った女が出てくる。

私がいないのに気が付いて慌てて起きた感じだ。

化粧もとれて、すこし疲れたような顔をした女は私に笑顔を作る。

ただ顔は見えているが、全く覚えられない。身体ははっきり覚えているんだが。

「便所なら、そこの扉を出た所の・・・・・」

木で囲っただけの部屋だ。

下は小川だ。手水鉢の水は凍っているだろう。

「ありがとうございます」

女はそそくさと、裏口の扉の向こうに消えた。

暖炉の真上は鉄板が敷いてあり、煮炊きもできるが今は鉄瓶が置いてあり湯気が出ている。

小屋の中は狭いので特に冬場は便利だ。

木の桶の水に沸いたお湯を入れる。程よい温度になったところで顔を洗う。

外で氷を割る音がしてほどなく女が戻ってくる。手が冷たそうだ。

私は湯気のまだ出ている木の桶とタオルを女に渡す。

「ありがとうございます」

女は驚いたような、納得したような顔をしたが、覚えられない。

私のつばとがくさいと思っただけで朝から再戦という気はない。

女は裏口の近くでタオルで椅子に座って全裸で身体を拭いている。

見る気がなくとも視界に入ってしまう。

この小屋はいわゆるダイニングキッチン(玄関兼居間兼食堂)と寝室しかない。

衝立があるのを教えてなかったが、今更近づく訳にもいかない。

脂肪ののった熟した女性の背中と尻、時折すこし垂れた大き目の乳を

部屋にいる私に見せている。ただ小便以降、私もナニも冷静だ。

木の幹にでも興奮するガキではない。単なる歳かもしれないが。

女を見たのはほんの少しの間で、本当に少しの間で朝食の準備に取りかかっていた。


私は豆を煎ったお茶を淹れてパンを焼き直す。

チーズを小さな鍋で白ワインで溶かしてテーブルに乗せる。

あとは、オリーブ油に浸った数匹の小魚が朝食の全てだ。

ドライフルーツやナッツも多少あったが、それはいいだろう。

「一緒に食べよう」

私は服を着始めた女に声をかける。

顔は思い出せないがグレーの厚めのセーターにダサい膝まである紺色にスカート。

その下に黒いタイツの女性が私に礼を言った。

「ありがとうございます」

他人との朝食はひさしぶりだ。この女、ああ名前を思い出した。

「セルケトさんは、あの街の人?」

街とは言えない、せいぜい町か村だが。

「いいえ、この一年は町で働いていますけど」

私はこれ以上、踏み込む気はない。

いちいち情が沸いてたら身がもたない。

「あの、私、声大きかったですか?」

私は、パンの上にチーズを垂らす手をとめてセルケトさんを見る。

30の半ばかな、情が沸く前に視線をパンにおとす。

「いや、ここだと問題ないし。情熱的だったし」

演技かと思ったが違うらしい。そりゃあの声なら町じゃちょっとね。

そう言えば森の獣が応えて遠吠えしていたな。

「ありがとうございます」

セルケトさんは、何かにつけ礼を言う癖があるらしい。

「お客様もなかなか情熱的でしたよ」

「ありがとうございます」

あ、癖が移った。思わず苦笑する。

小さな町でも、こういう女性を斡旋する商売はある。

小さな町がゆえ顔の認識を不確かにする魔法はそういう商売で重宝される。

この女性、セルケトさんも断続的に発動させている。

一方、男はその魔法はほぼ使えない。

見た目の悪い魔女が男を誘惑するために作った魔法だと言われる由縁だ。

私の住んでいる小屋は山の中腹なので日用品の行商も兼ねてが多い。

「遅れて済みません」

セルケトさんは昨夕小屋にやってきてお泊りした女性の一人だ。

ふいに、セルケトさんの手が私の口元にのびた。

「?」

私の口から垂れたチーズをつまんで、おいしそうに口に入れてその指を舐めた。

そして、テーブルの下では足の指で私をつんつんと挑発してくる。

金に困っているのだろうか、それとも・・・・・

「どんな契約だったかな?」

優しく少し若めの声でセルケトさんは応えた。

「二泊で、それで・・・・・」

指を二本立てて見せて、三本目を動かしている。

「あとは、その時次第ですね」

「そうか」

私はゆっくりお茶を飲んで答えた。

朝からって、機会があればいつでもって歳じゃないんだよな。

情が湧くのは、ほどほどにと思っている。

それでも、今回はちょっと甘いかもしれない。

実は前回の来た女性が、、、がそれは言うまい。

済んだ話だ。

挑発を断る代わりに彼女の持ってきた商品をほぼ言い値で全て買った。

銅貨、銀貨で彼女の巾着袋がパンパンになる。

「ありがとうございます。助かります、フィアス様」

笑顔のイメージだけが、さすがに印象に残った。

「冬はまだこれからだからな、買いだめだよ」

商品を二人で片づけていく。

セルケトさんは年齢よりテキパキ動く感じだ。

若い娘までとは言わないが小屋の匂いが少し変ったのを感じる。

少なくとも私の巣の匂いではない、悪くはないが・・・・・

最後に商品を棚に置いて、ふぅっと声を出して立ち上がったセルケトさんを可愛く思ってしまった。というか懐かしい感情に不覚にも囚われていた。

思わず手を引いて抱きしめてようとするが勢い余って後ろから抱きしめてしまった。

とりあえず黙って呼吸を整える。セルケトさんは抱きしめられたまま動かない。

グレーのセーター越しに抱きしめた彼女には、少し違和感がある。

それを確かめたいのだが、先にやるべき事がある、いや言うべき事があった。

「す、すまない、つ、つい」

慌てて抱きしめた手を解く。

確かにセルケトさんの仕事はそれも有りだし私は上客だし断らないのは頭でわかっている。そういう自分の思考の上での衝動に嫌悪感を覚えたからだ。

ところが解いた左手を追いかけるように彼女に握り返された。

「捕まえましたぁ」

繋いだ手を上にあげて心なしか楽しそうな声がした。

「すまない、これも一回分だ、だから」

セルケトさんは自由な左手で私の心の隙を突いて別のモノを握ってきた。

その手を払いのけようとすると、肘でブロックされる。

「もう少し気の利いた事言えませんか?」

「例えば?」

間抜けにもそんな質問をすると、彼女の指がなんとも言えない動きをした。

「愛おしく見えたとか、思わず見蕩れたとか」

例をあげられたにも拘わらず黙っていると、溜息をつきながら言葉を足した。

「やっぱり、おばさんは、そう見えないんですね」

そもそも顔が見えていないのだが。

「違う、昨晩会ったばかりの女性に愛おしいとか見蕩れるっておかしいだろ」

「フィアス様って、根はまじめなんですね、・・・・・男だけど」

セルケトさんは、小声で可愛いと聞こえるように呟く。

しかもお客様では無く名前を呼ばれる。

何か久しぶりに褒められた感じがして、ぽろっと本音が出てしまった。

「ただ、懐かしい感情を思い出してさ」

出してさ、に言ってから顔が赤くなった。

くっそ、このおばさん、いや、セルケトさんの術中に嵌まってしまったのを今更ながら自覚する。

セルケトさんは赤くなった顔を見逃すはずはなかった。

「このおばさんにですかぁ?それは、ありがとうございますですね」

セルケトさんは私におおげさに礼を言った。

「・・・・・」

とにかく一旦彼女と身体も心も距離を取らねばと焦る。

握られた掌を開いて体を開きながらそれに合わせて手を引く。

「!」

すると彼女はそれに合わせて体を回す。

相変わらず握ったままで居間で立ったままだ。

続けて、手を引きすぎて彼女が足をもつれさせた。

何の事はない、私は慌てて彼女の身体を片手で支えていた。

気が付けば手を握ったままだ。

それから何度か試みたがが同じだった。

さすがに股間を握りっぱなしではない。

とまればそっと添えてくる。

なにかがおかしい、私はその疑問を口に出しかけた。

「セルケトさん、まさか」

「舞踏会みたいですね、行ったことはないですけど」

男の股間を握る舞踏会なぞ無いわ、少なくとも私は知らんと思わず苦笑した。

「私はフィアス様が可愛いと思いました、ノーカンでいいです」

そう言って彼女を解放してくれた。

こんな事はサービスと言うことでいいのか。

それはそれでありがたい。というか私の疑問はなんら解消していない。

数年前まで私は元帝国の賢者なのだ。

それが可愛いと言われ翻弄されているのだ。

元賢者がこのざまでは、騎士団の連中なぞあっさり篭絡されてしまうだろう。

帝国存亡の危機になりかねない事態だ、定期的に彼らの身体検査を具申しておこう。

ただ今の私としては、このおばさん、もといセルケトさんの身体検査をする必要性を感じていた。


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