エピローグ
──目を覚ました瞬間、頬にひんやりとした感覚が広がっていた。
柔らかい布団の感触。見慣れた天井。静かな、いつもの……、そして、「久しぶりの」朝の風景。
彼は、無意識にスマホを手に取った。 電源ボタンを押して、スリープを解除し、画面を眺める、手に染み付いた流れ作業。
画面に表示された時刻は、土曜日の朝5時──。
「……戻ってきた、のか」
そう、異世界の熱と戦いの余韻をまだ感じていたのに、気がつけば、ここは自分の家だった。
まるで夢から醒めたように、しかし、記憶はあまりにも鮮明すぎる。
ゆっくりと身体を起こし、ぐっと伸びをする。布団を抜け出し、寝室を出た。
廊下を抜け、リビングを抜け、和室を覗き込む。
和室には、彼の家族──、妻と、まだ小さい息子が静かに寝息を立てていた。幼い子供が深夜に起きて泣くため、妻と息子は寝室ではなく和室で寝るのが、そのときの常であった。
息子は、子供用の小さな布団から外れ、畳で寝ていた。彼は、いつも通りの寝相の悪さに少し微笑み、抱っこして、布団に戻した。
──まずは、良かった。
率直に、安心する。
でも、どこか別の感情も胸に広がる。
──本当に、帰ってきたんだな。
異世界での戦いの痕跡は、どこにもない。
魔法も、もう使えない。
(だが、俺が過ごしたあの日々は確かにあった、ような、気がする。)
そう思いながら、彼は、寝室の隣、PCを置いてある家族共有の作業部屋に向かった。
デスクの上には、いつものPC。
電源を入れ、デスクトップが表示されると、──。
見慣れないtextファイルが、一つだけそこにあった。
……。
クリックして開く。そこに記されていたのは──、
彼が過ごした、異世界での物語。
召喚屋のポタル、黒曜岩龍オン、<<薔薇と月>>、ハピサキの面々、カーロウ、リトル・ウィンター達、フギリ。
彼が出会い、戦い、笑い、そして最後に消えたあの世界が、まるで”彼自身”が記したかのように綴られていた。
「……マジかよ」
思わず、言葉が漏れる。
女神ギムの言葉を思い出す。
──あなたのPCに、あなた自身の感受性と能力で記した“なろう小説”として、今回の冒険譚を記録してあります
「はぁ……」
(まさか、本当にこんな形で残っている、なんてことがあるとは。)
PCのブラウザを開き、検索バーに打ち込んだ。
(……言われたまま、やってみるほかないな。)
「カクヨム」 公式サイトが表示される。会員登録を済ませ、アップロードの方法を確認する。
プロローグをアップロード。最初の数話を投稿。
後の話は予約投稿。章を設定。
「……誰かに、届くのかな。」
一通りの作業を終えて、独り言のように呟いた。
(いや、そんなことは関係ないのかもしれない。)
ポタルとオンと、彼と、異世界の住人達の思い出。
(……そもそもこれって、面白いのか?)
ふと、小説として投稿したことで、不安になる。
textデータを読み返し、何が書かれているか振り返ってみる。
世に溢れるなろう系に、少しうんざりしていたこと。
女神ギムに、人生の目標は自分で見つけろ、と言われたこと。
ポタルと出会い、格言に面食らったこと。
異世界の生活は、思っていたより快適で、そして思い通りにはいかなくて。
それでも、現実世界で培った人並みの人生経験が、自分を支えてくれた。
(え……?リトル・ウィンターって……?そうなの?)
そこには、彼の知らない事実も書かれていたが。
そして、魔法と決別して。
最後には、犠牲も払ったが、守るべきものを、なんとか守って、笑顔で、別れた。
一通り読んで、彼の口から、言葉が漏れる。
(うーん、これは……。)
「だいぶ、読者を選んじゃうんじゃないかな?なぁ、ポタル、オン?」
そのとき。
『楽しんで、やるべきことを、やりなさいっ!』
今度は、あのポタルの元気な声が、頭の中で蘇った。
(ああ、そうだな。)
そして……。
ここから先は、彼の人生。
この物語も一つの思い出として歩んでいく、彼の人生。
そして、”あなた”の人生。
それらは、誰に読んでもらえる物語でもない。
だが。
──物語は、終わらない。
なろうモノ嫌いの異世界記 <完>
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