第7話:浮遊空母


 瓦礫が重なり合い、かつての喧騒を飲み込んだ地下鉄の廃墟。崩れたコンクリートの隙間から、錆びた鉄骨が不気味に軋む音を立てる。


 薄暗い通路には湿った空気が漂い、どこからか響く水滴の音が静寂を破る。ひび割れた壁には黒ずみが這い、色褪せた広告看板の残骸が風に揺れる。


 天井の裂け目から差し込む月光が、舞う埃を青白く照らし出す。この廃墟は、まるで滅びた文明の墓標のようだ。


 その静寂を切り裂くのは、少女の軽やかな足音。


 小さく、リズミカルに響くその音は、この場にそぐわない不協和音のよう。


 パンデモニウムと呼ばれる少女は、12歳ほどの外見を持つ魔法師。白いワンピースは血と黒い粘液に汚れ、戦場の残骸に咲く呪われた花のような異様な美しさを放つ。


 ショートカットのツインテールが歩くたびに弾むように揺れ、無垢な少女の象徴のよう。だが、彼女の黒い瞳は底知れぬ闇を宿し、まるで光を飲み込む深淵だ。無邪気な笑みを浮かべた唇から、舌足らずな声が廃墟に響く。


 「――ふぅん、こんなとこ、ほんと気分悪いなぁ……」


 彼女は崩れたコンクリートを、蝶が花を渡るように軽やかに飛び越える。華奢な体は重力を嘲るように滑り、ワンピースの裾を無意識に弄ぶ指先には黒い粘液が付着し、月光に不気味に光る。その粘液は一瞬蠢き、まるで生きているかのように彼女の指を這う。


 クスクスと笑い、彼女は粘液を弾く。宙で触手のような形を作った粘液は、地面に落ちて消える。


 その瞬間、背後に薄い影が揺れる――「もう一人の少女」。


 パンデモニウムと同じ顔、同じ白いワンピース、だが瞳は虚ろで、魂を失った人形のよう。口元には不気味な笑みが浮かび、廃墟の闇に溶け込む。

 

 彼女はパンデモニウムの魔法、傀儡の血宴パペット・ブラッドフェストの分身であり、少女の心の奥底――抑えきれぬ破壊衝動や人間への憎悪を映す鏡だ。


 分身が肩に手を置き、甘く冷たい声で囁く。


 「ねぇ、もっと壊しちゃお? 血を流せば、この廃墟も楽しくなるよ?」


 パンデモニウムは首を振る。

 

 ツインテールが揺れ、笑顔に無邪気さが滲む。


 「うふふ、まだだよぉ。宴はこれから! ちゃんと計画通りにね!」


 その声は甘やかだが、どこか凍てつく響きを持つ。分身はクスクスと笑い、煙のようにふわりと消える。


 廃墟に静寂が戻り、少女の足音だけが響く。


 彼女は崩れた階段を登り、出口へ向かう。

 

 背後では、瓦礫の隙間から黒い粘液が滲み、地面を侵食する。それは彼女の魔法の残滓、彼女の存在がこの世界に刻む呪いの痕だ。


 出口を抜けると、視界が広がる。


 森の空き地が現れ、月光が草地を青白く染める。夜風が木々の葉を揺らし、遠くで梟の鳴き声が不気味に響く。空気は冷たく、静寂と緊張が絡み合い、世界が息を潜めているようだ。


 パンデモニウムは草地の切り株に腰を下ろす。

 

 小さな体が切り株に収まり、ワンピースの裾が地面に触れる。指先から落ちた黒い粘液が草に触れ、ジュッと音を立てて腐らせる。一瞬蠢いた粘液は、触手を伸ばし、すぐに消える。


 「さてさて、そろそろ来るかしらぁ?」


 無邪気な微笑みを浮かべる唇とは裏腹に、黒い瞳は獲物を待つ蜘蛛のように鋭い。

 

 周囲の風の動き、木々のざわめきに耳を澄ませる。遠くで動物が逃げる音、葉擦れの微かな響き――すべてが彼女の研ぎ澄まされた感覚に引っかかる。

 

 鍛えられた魔法師として、この森は彼女の舞台であり、戦場であり、遊び場だ。


 分身が再び現れ、肩に手を置く。

 虚ろな瞳が月光を反射し、ガラス玉のように光る。


 「くるよ。ほら、聞こえる?」


 遠くから低く唸るローター音が響く。

 

 パンデモニウムは切り株から立ち上がり、ツインテールを揺らし、目を輝かせる。彼女の魔力が空気を震わせ、分身が森の闇を指さす。


 「――始まるよ」


 パンデモニウムはニヤリと笑い、ワンピースの裾を摘んで一礼する。


 「うふふ、盛大に始めよぉかぁ!」


 ローター音が近づき、木々が風に揺れる。黒い瞳に期待と狂気が宿る。指先から滴る黒い粘液が、地面に新たな染みを作る。


黒塗りのヘリコプターが月光を反射しながら空き地に降下する。無骨な装甲に覆われた機体には、「ウロボロス」の紋章が青白い魔力の光で脈打つ。


 パンデモニウムは首を傾げ、ツインテールを揺らす。血と粘液に汚れたワンピースが、月光に映えて不気味な美しさを放つ。


 「ちょっと遅いんじゃない? ふふっ!」


 甘ったるい声に嘲りが混じる。背後に現れた分身がヘリを指さし、囁く。


 「人間って、ほんとトロいよね。もっと早く動いてほしいなぁ。」


 パンデモニウムはニヤリと頷く。


 「だよねぇ! 待たせないでほしいよぉ!」


 森の奥から不気味な唸り声が響く。

 アンノウン――骨と肉がねじれた異形の怪物が、木々をなぎ倒して現れる。数十体の黒い粘液が滴り、地面を腐食させる。これらは彼女の魔法が生み出した忠実な傀儡だ。

 

 目を細め、彼女は手を叩く。


 「うふふ、きたきた! みんな、ちゃんと遊んできた?」


 指が軽く動くと、足元から黒い粘液が湧き、新たなアンノウンを生み出す。怪物たちがヘリに向かって突進しかけるが、彼女の手振りで一斉に停止する。

 

 分身が肩に手を置き、囁く。


 「それは違うよ。まずは、あの基地でしょ!」


 「計画通りにやらなきゃね! ヴォルテクス、すぐ怒るからぁ!」


 ヘリが着陸し、強風が草地を揺らす。

 

 スライドドアが開き、暗い機内のシルエットが現れる。パンデモニウムは軽やかに地面を蹴り、ワンピースを翻してヘリに飛び乗った。

 

 機内は狭く、金属と魔力の匂いが混じる。操縦席の無言のパイロットは、黒いヘルメットのバイザーが月光を反射した。

 

 背後の計器類は青く点滅し、低い電子音が響いていた。


 パンデモニウムは後部座席に滑り込み、革のシートに体を沈める。分身が隣に座り、窓の外をじっと見つめる。


 「ふぅん、狭いね、このヘリ。もっと快適なの、欲しかったなぁ。」


 パイロットが無機質な声で応じる。


 『座席を固定しろ。離陸する。』


 パンデモニウムは唇を尖らせ、分身と目を合わせる。


 「ねぇ、つまんない人だよね、これ。」


 「ほんと、つまんないな人だよね……でも、どうでもいいから、早く基地見せてよぉ」


 少女たちはクスクスと笑い、パイロットに軽く手を振る。


 「じゃあ、急いでね! セインツ・クレイドルまで、ノンストップだよぉ!」


 「まだ仕事あるからノンストップはダメ。まずは基地よ。」


 ヘリが轟音を上げ、地面を離れる。機体が傾き、森が遠ざかる。窓の外で、炎と煙に包まれた基地が見えた。

 

 血の人形に蹂躙され、建物が崩れ、叫び声が聞こえそうな地獄だ。パンデモニウムの瞳が輝き、舌足らずな声が高揚した。


 「あの基地の上を、旋回して移動して?」


 『了解。基地上空で旋回後、移動する。』


 パイロットが短く答える。ヘリは基地上空に達し、低く旋回した。振動が機内に響き、ツインテールが揺れ、窓に手を押し付け、基地を見下ろすパンデモニウムの指先から、黒い粘液が滴り、床に染みを作った。

 

 分身が彼女の手を取り、囁く。


 「やっちゃおうよ。全部、爆ぜちゃおう!」


 パンデモニウムはニヤリと笑い、指を鳴らす。


 「アンノウン、アンノウンって言うけど、違うのよねぇ……血の人形ブラッディドール……爆ぜなさい!」


 基地に群がる血の人形が一斉に爆発。

 

 赤と黒の炎が基地を飲み込み、爆音が空を震わせる。窓が振動でガタガタと鳴り、パイロットが操縦桿を握り締めた。パンデモニウムは目を輝かせ、頬を紅潮させる。


 「うふふ、あははは! きれいな花火! もっとやっちゃおうかなぁ?」


 「もっと、もっと! 全部燃やしちゃえ!」


 分身が拍手し、笑う。だが、急に冷静になったパンデモニウムは小さくため息をつき、シートに体を投げ出す。


 「欠点は……まぁ、いいや。戻ろっか?」


 『了解、座席の固定を。』


 「ふふ、はいはい、わかったよぉ!」


 シートベルトをカチリと締め、分身が静かに消える。ヘリは海側へ飛び立ち、燃える基地が遠ざかり、彼女の瞳に一瞬の寂しさが宿った。


 黒塗りのヘリが夜の海を目指し、高度を上げた。装甲は月光を鈍く反射し、「ウロボロス」の紋章が魔力の光で脈動する。

 

 機内は狭く、金属と油の匂いが漂い、計器の低いうなり音が響く。


 パンデモニウムは後部座席で窓に額を押し付け、水平線を追う。血と粘液に汚れたワンピースが月光に照らされ、ツインテールが機体の振動で揺れる。虚ろな瞳で海を見つめていた。


 「ふぅん、海って広くて退屈だねぇ。もっと派手なもの、ないかなぁ?」


 舌足らずな声が機内に響く。分身が現れ、クスクスと笑い、肩に手を置く。


 「ほら、来るよ!」


 ヘリの前方で空間が歪むと、ガラスが砕けるような光が広がり、青と紫の色彩が混じる異次元の裂け目が現れた。

 

 ふちは魔力の火花を散らし、空間が軋む不協和音を立てる。パンデモニウムは身を乗り出し、目を輝かせる。指先から滴る粘液が床に染みを作る。


 「うわぁ、アビスのお出迎え?」


 無邪気な声に皮肉が混じる。分身が裂け目を指さし、ニヤリと笑う。


 「ヴォルテクス、いつもこうだよね。臆病なのかなぁ?」


 パンデモニウムは笑い、頷く。


 「だよねぇ、いつも殻にこもってる。でも、だからこそ計画が上手くいくのよ?」


 『裂け目を通過する。固定しろ。』


 パイロットの無機質な声。パンデモニウムはシートベルトを無視し、窓に顔を押し付ける。


 「ふふ、はいはい、了解ー!」


 ヘリが裂け目に突入し、機体が揺れ、重力が反転するような感覚が襲う。計器の光が乱れ、魔力の波動が響く。パンデモニウムは目を輝かせ、分身と手を叩き合う。


 裂け目を抜けると、巨大な浮遊空母艦――セインツ・クレイドルが姿を現した。

 

 全長370メートル、幅160メートルの鋼と魔力の城塞。無数の傷と修復の跡が戦場を生き抜いた証。6基のマナ・タービンが低く唸り、青白い光が船体を照らす。魔力結界が甲板に輝き、古代の魔法文字が脈動する。生き物のように呼吸する戦艦は、ウロボロスの野望を体現していた。


 「うわぁ、でっかい! やっぱ、かっこいいねぇ!」


 「この空母、全部壊したらどんな花火になるかな?」


 パンデモニウムは窓に鼻を押し付け、目をキラキラさせる。分身が頷き、囁いた。


 「うふふ、だめだよぉ! ヴォルテクス、怒るからぁ!」


 パンデモニウムは首を振る。分身がクスクス笑い、消える。瞳に一瞬の寂しさが宿るが、すぐに無邪気な笑顔に戻る。


 艦内の通路は、魔力の青い光と冷たい金属が混在する。魔法陣の刻印が壁に浮かび、微かな魔力の波動が空気を震わせる。乗員1200名が慌ただしく動き、緊張と疲労が漂う。整備員は汗と油にまみれ、マナ・タービンの点検に追われる。工具の金属音と魔力の共鳴音が響き合う。


 ヘリは魔力信号に従い、甲板に降下。

 

 魔力結界が風を弾き、青白い光が機体を照らす。整備員たちが魔力駆動の工具を手にヘリを取り囲む。

 

 スライドドアが開き、海風が流れ込んだ。

 

 パンデモニウムは軽やかに甲板に飛び降り、ワンピースが風に揺れ、足元で黒い粘液が蠢き、甲板に染みを作る。そこから分身が湧き出て、乗員をじっと見つめる。


 虚ろな瞳に気付いた整備員が怯え、目を逸らした。一人が道具を落とし、金属音が響く。


 「やっとついたぁ! こんな退屈な時間、ほんと嫌い!」


 パンデモニウムは両手を広げ、伸びをする。

 

 小さな体が甲板の広さに飲み込まれそうだが、存在感は圧倒的だ。


 「――バレてないみたいね。」


 分身が耳元で囁く。

 

 パンデモニウムは無視し、くるりと回って甲板を見渡す。


 「ふぅん、つまんなぁい。」


 整備員たちが身を縮める中、背後から落ち着いた声が響く。


 「そんなこと言うな、パンデモニウム。任務は完璧にこなしたんだろ?」


 振り返ると、アビスが立っていた。細身で気弱そうな外見、乱れた金髪の下で青い瞳が隠れる。

 

 黒いロングコートが風に揺れ、華奢な体型が儚げだ。だが、声には獣のような鋭さが潜む。マナ・ルーンが両目に光る。パンデモニウムはくるりと回り、アビスに指を突きつける。


 「アビス! お迎えありがとー! でも、ほんと退屈だったんだから! ヘリ、狭くてつまんなかったよぉ!」


 子どものような動きだが、黒い瞳は鋭く光る。分身がアビスの後ろに立ち、不気味な笑みで彼を見つめる。アビスは気付かない。


 「俺がいないと、ここには入れねえ。ヴォルテクスの裂け目、俺が歪めなきゃ突破できねえ。」


 アビスは肩を竦め、苦笑する。

 

 空気が微かに歪み、空間を操る能力の片鱗を見せる。パンデモニウムは首を傾げ、ツインテールを揺らす。


 「完璧にやったわよ、いつも通り! ただ……あの計画、ほんとにできるのかしら?」


 声にわずかな疑問が滲む。分身がアビスの耳元で囁く。


 「ほんとだよね。失敗したら、全部終わりだよ?」


 「そうかもな……」


 「まぁ、とりあえず、行こっ!」


 「はいはい。」


 パンデモニウムは分身をチラリと見て、アビスに笑顔を向け、アビスは小さく頷き、彼女を先導する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 背後で、分身が静かに不気味な笑みを浮かべた。



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