気まぐれ幼女の異世界記
璃瑠雷花
プロローグ:宴の始まり
空は茜色に染まり、夕陽が沈む直前の都市は、まるで息を潜めるように静かだった。
ビルの谷間を縫う風が、かすかにアスファルトの匂いと喧騒の残響を運んでくる。
東京――いや、どの大都市でも変わらない、現代の喧騒と退屈が混ざり合った風景。
誰もが自分の小さな世界に閉じこもり、明日も同じ日常が続くと思い込んでいる。
そんな街の片隅、高層ビルの屋上に、少女がいた。
「――ァハぁっ! きょうはいいきぶぅん!」
白いワンピースが風に揺れ、ショートカットのツインテールがぴょこぴょこと跳ねる。彼女の声は、まるで幼児がキャンディをねだるような、舌足らずな甘さを持っていた。だが、その瞳は――黒く、底の見えない井戸のように光を飲み込み、どこか壊れたガラス細工のような危うさを湛えている。
少女――名も知れぬその存在は、鼻歌を歌いながら屋上の縁を軽やかに舞う。まるで綱渡りをするサーカスの道化師のように、両腕を広げ、つま先でくるくると回る。
ビルの縁は幅わずか30センチ。70階の高さから見下ろす街は、まるでミニチュアの玩具のようだ。彼女の足が一瞬ふらつき、コンクリートの欠片がパラパラと落下する。だが、少女は気にも留めず、ケタケタと笑い声を上げた。
「――これからおきること、なーんにも うたがわない……いつまでつづく、へいわだとおもうクズどもぉ……」
その声は、まるで毒を塗ったキャンディのように甘く、しかし刺々しい。
彼女は一瞬立ち止まり、街を見下ろす。
ビルの明かりが一つ、また一つと灯り始め、まるで無数の目が彼女を見つめているかのようだ。
少女の唇が、ゆっくりと歪む。
笑顔というにはあまりに異質な笑み。
「――ごうまん、どんよく、しきよく……ぼうしょく、しっと……ふんど、そして、たいだ……」
七つの大罪を数え上げるその声は、まるで呪文のようだった。
彼女の指がワンピースの裾を摘み、くるりと一回転。スカートがふわりと広がり、まるで純白の花が咲いたかのようだ。だが、その無垢な姿とは裏腹に、彼女の言葉はどす黒い憎悪に満ちていた。
「――ヒトって、ほーんと、おろかぁ……」
少女は屋上の角に立ち止まり、両腕を大きく広げた。まるで十字架にかけられた聖者のように、あるいは舞台の幕が上がる前の役者のように。
彼女の背後では、夕陽が最後の光を放ち、空を血のように赤く染め上げる。街はまだ、彼女の存在に気づいていない。
「――わたしは、そんなクズどもを、きゅうさいするよぉ! さぁ、うたげだよ!」
その瞬間、少女の手が素早く動いた。彼女の小さな掌に握られていたのは、錆びついたナイフ。刃は鈍く、まるで何度も使い古されたかのように赤黒い染みがこびりついている。少女はためらうことなく、そのナイフを自分の腹に突き立てた。
「――ッ!」
血が噴き出す。だが、それは普通の血ではなかった。ドロリとした、黒く粘つく液体が、まるで意志を持ったかのように地面に広がる。少女の身体は震え、しかしその顔は恍惚に歪む。
彼女の口から漏れるのは、痛みの叫びではなく、狂ったような笑い声だった。
「――アハッ! アハッ! アハハハハハッ!」
傷口から溢れ出したのは、血肉を模した無数の化け物だった。
人の形を歪に引き伸ばしたような、骨と肉がねじれた怪物たち。
牙と爪を持ち、目玉が不規則に点在するその姿は、まるで悪夢をそのまま現実に引きずり出したかのようだ。
化け物たちは、屋上を埋め尽くし、ビルの縁から溢れ、街へと雪崩れ落ちていく。
少女はなおも笑う。
彼女の身体は、ナイフの傷から崩れ落ちるように溶け始め、黒い液体と化け物が混ざり合う。だが、その笑い声だけは、いつまでも響き続ける。
「――たのしみだなぁ!」
彼女は最後に、ふらりと一歩踏み出した。ビルの縁から落ちるその姿は、まるで操り人形の糸が切れたかのようだった。
少女の身体は、70階の高さから落ち、地面に叩きつけられた。
鈍い音が響き、白いワンピースは血と肉にまみれ、ぐしゃりと潰れた無残な姿に変わる。
頭部だけが、奇妙なほど原型を保ち、目を見開いたままアスファルトに転がる。
だが――それで終わりではなかった。
潰れた死体から、黒い粘液が這い出し、地面を這うように広がり、化け物たちが、肉と骨をねじ曲げた姿で次々と湧き出してきた。
――街を埋め尽くす。
悲鳴と爆発音が響き合い、煙が空を覆う中、少女の頭部だけが、ゆっくりと動き始めた。
口の端が裂けるように歪み、血と粘液にまみれた唇が開く。
そこから、まるで植物の芽が生えるように、細い腕が、頭が、胴体がにゅるりと伸び出した。
少女の身体は、頭部を中心に不気味に再構築されていく。
白いワンピースが再び形を取り、ツインテールがぴょこぴょこと揺れた。だが、その姿はどこか歪で、関節が不自然に曲がり、皮膚にはひび割れたような紋様が浮かんでいる。
「――ふ、ふふ♪ たのしい、たのしい、うたげだよぉ……」
少女は鼻歌を歌いながら、いつの間にか綺麗に治った身体でふらりと立ち上がる。首が不気味な角度に傾き、口元には異質な笑みが浮かんでいた。
――街は一瞬にして地獄と化していた。
そんな中、彼女は軽やかなステップで、燃え盛る街の中を歩き始める。
背後では化け物たちがビルを這い、車をひしゃげ、人々を追い詰める。だが、少女はそんな地獄絵図をまるで気にも留めず、くるくると踊るように進む。
「――ふふふ、――すぐにこわれちゃだぁめ」
彼女の声は甘く、しかし底知れぬ冷たさを帯びていた。
通り過ぎるたびに、地面から新たな黒い芽が這い出し、触手のようにうねりながら周囲を侵食していく。
少女の足元では、アスファルトがひび割れ、まるで彼女自身がこの街を飲み込む怪物であるかのようだった。
ビルの残骸が崩れ落ち、遠くでサイレンが鳴り響く中、少女は立ち止まり、空を見上げる。
茜色だった空は、今や血と煙に染まり、まるで世界そのものが彼女の掌の上にあるかのようだった。
「――ねぇ
キミのせかいって
タノシイ?」
彼女はケタケタと笑い、両腕を広げてくるくると踊りだす。
ツインテールが跳ね、白いワンピースがふわりと広がる。だが、その足跡を追うように、街はさらに深く、取り返しのつかない闇へと沈んでいく。
少女は鼻歌を続けながら、燃える街の中心を、まるで舞台の主役のように歩き続けた。
そして、誰も気づかなかった。
ビルの屋上、少女が立っていた場所に、そっと現れたもう一人の少女を。
まったく同じ白いワンピースを着て、同じツインテールを揺らし、同じ舌足らずな声で囁いた。
「――きみたちをみているから」
彼女の唇が、裂けた笑みを浮かべる。その瞳は、まるで世界の終わりを愉しむかのように、キラキラと輝き、ためらうことなくビルから飛び降りた。
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