第44話 秘密の庭園で――(前編)
――王宮 宴の間
ナナと談笑していたルイは、ふと視線を横に向けて、そこにいるはずのアリの姿がないことに気づいた。
はっとして辺りを見渡すが、彼女の姿はすでに見えなかった。
ナナはアリが退席したことに気づいていたし、ルイが彼女を探していることもすぐに察した。
そのまま後を追おうとする気配を感じて、ナナは慌てて引き止めようとする。
「ルイ様、もうすぐ宴もお開きになりますわ。……もう少しだけ、お話ししたいのですけれど」
だが、すでにルイの意識はここにはなかった。
「すまない、ナナ。これで失礼する」
そう告げて、カイエンとエリオットに何か言葉を交わすと、そのまま控えの間へと姿を消した。
それを見届けたシリウスが、ナナに穏やかな微笑を向けて言う。
「逃げられましたね」
「全く……でも、諦めませんわ」
ナナはふいっと顔をそむけて拗ねたように言ったが、その瞳には強い意志の光が宿っていた。
シリウスは冷ややかにその様子を横目で見やりながら、心の中で苦笑していた。
(……まぁ、この女に落とせるとは思っていないが。
信頼する宰相の娘で、幼なじみのような気の置けない仲だとしても、まったく意に介さないとは……)
✦ ✦ ✦
同じ頃、アリは王宮を出て、迎賓館へと続く道を歩いていた。
涼やかな秋の風が頬を撫で、月の光に照らされた庭園からは、秋の花の香りがほのかに漂ってくる。
彼女の脳裏には、宴で見かけたルイとナナの親しげな姿が残っていた。
(あのふたり、どういう関係なんだろう……。
気心の知れた幼なじみ、私とゼノみたいな……そんな感じだった)
そう思いながらも、ふと自分がなぜそんなことを気にしているのか、疑問に思った。
(あれ……なんで、そんなに気になるんだろ……。
さっきも衝動的に退席しちゃったし……)
さらに、自分の本来の目的を思い出す。
(そうだ、せっかく出席したんだから、プレゼント渡そうと思ってたのに……忘れてた)
これまでの自分では考えられないような気持ちと行動に、アリは自分でも戸惑っていた。
(なんだか、私らしくない……何がしたかったんだろう。もやもやする……)
ぼんやりと歩きながら、ふと風に乗って漂う微かな魔力を感じ取った。
(……あら? どこかから魔力が……)
それは清らかで、どこか優しげな魔力だった。まるで、アリを誘っているかのような感覚さえある。
アリはその魔力に惹かれるように、自然と足を向けた。
魔力の流れは、王宮裏の庭園の方から感じられる。
このまま真っ直ぐ進めば迎賓館だが、アリは右手の小道を選んだ。
しばらく進むと、王宮裏手の庭園に出た。ここは王宮からの死角になる場所だ。
さらに進んでいくと、草木の壁に囲まれた一角が現れた。
視線を這わせていくと、そこに――見覚えのない入口があった。
(あれ? 以前通ったとき、こんな入口はなかったはず……)
グランゼルドに来たばかりの頃、王宮へ向かう道すがら、回り道をしてここを通ったことがある。
そのときには、確かにこんな入口はなかったはずだ。
(最近、整備が入ったのかしら……)
アリは入口の奥をのぞきこんだ。中の様子は見えないが、淡い光が漏れている。
(何かあるのかも……)
ただの来賓であれば、ここで立ち止まったかもしれない。
だが今のアリは、グランゼルド政務に関わる補佐官。王宮の構造を把握しておく必要もある。
(……魔力も感じるし、安全確認しないとね)
そう自分に言い聞かせながらも、興味本位が本音だった。
草木に囲まれたトンネルのような小径を抜けると、視界が開ける。
そこは、円形の庭園だった。
中央に噴水、周囲を花壇がぐるりと囲む。
噴水は下から魔導灯で照らされ、静かに、水音さえも感じさせないほど穏やかに流れている。
花壇の周囲には、魔導灯台が等間隔に並んでいるが、今は灯っていない。
いつの間にか、アリが感じていた魔力の気配も消えていた。
(……誰かがここで魔法を使っていたのかな。余韻だったのかも)
怪しい気配はない。アリは納得して、しばし水面を眺めた。
夜風に乗って漂う花の香り。静かに満ちる月光。
まるで知らない世界に入り込んだような、幻想的な感覚だった。
――そろそろ戻ろうか。
そう思い、アリが踵を返そうとしたとき、背後から人の歩いてくる気配がした。
アリは振り返り、そこにいるとは思わなかった人物の登場に驚いた。
「ルイ……!」
ルイは、花壇の間を縫うように、ゆっくりとアリに近づいてくる。
「どうしてここに? 宴は……」
「もう十分祝ってもらったから。いいんだ、俺は」
ルイは、優しげな声でそう答えた。
アリは、ルイが宴を抜け出してきたのだと思っていたが、
ルイはふと話題を変え、この場所について語りはじめた。
「ここはね、歴代の皇帝に受け継がれてきた庭園なんだ。
……隠し庭園とでも言うのかな。
俺も、父から生前受け継いだんだ」
と、少し笑いながら教えてくれた。
「そうなんだ! そんな大切な場所なのに、立ち入っちゃって……」
ごめんなさいと言おうとしたそのとき、先にルイが口を開いた。
「君にこの場所を見せたかった」
その言葉に、アリは驚いた。
どういうことだろうと思っていると――
「ここは、皇帝とその妃である皇后のみが入れる場所なんだ。
だから、君は入っていい」
その言葉の意味――
アリが将来の皇后になることを望んでいる、というルイの意思。
『妃にしたい』『妃になる人だ』
すでに何度もルイからの意思表示を受けている。
この言葉の意味を理解した瞬間、急な恥ずかしさがこみ上げ、どう返していいかわからなくなり、何も言えなかった。
けれど、場所についての感想を伝えたくて、アリはルイに言った。
「……この場所、とても素敵な場所だね。"蒼炎"を灯すとこんな風になるんだ」
ルイも、とくに先ほどの言葉の反応は待っておらず、頷きながらアリの感想に応えた。
「うん。ここは、俺も好きな場所だよ。
ただ、"蒼炎"を灯したのは、今日が初めてだ。
“蒼炎”を灯すと、通常よりも何倍も美しいって聞いていたけど――本当だった」
そう言ったルイの横顔は、とても優しく、本当に感動しているように見えた。
皇帝と皇后しか立ち入ることが許されない場所を見せてくれたこと。
そして、今日、初めて“蒼炎”を灯したという事実。
アリは、そんな貴重な体験をさせてくれたことに、素直に礼を述べた。
「ルイ、こんな素敵な場所を見せてくれて、ありがとう!」
アリの笑みを見て、ルイもほっとしたように、ふわりと微笑んだ。
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