第28話 揺れる心
――迎賓館 中央エントランス
ゼノが自室へ戻ろうと、エントランスを歩いていた。
ちょうどそのとき、ルイとの散歩からアリが戻ってきた。
(お、姫。出かけてたのか)
そう思い、声をかけた。
「おーい、姫!」
――しかし、反応がない。
ゆっくりと歩いてはいるが、体調が悪そうには見えない。
それなのに、顔が妙に赤く、どこか上の空だ。
(ん?……なんかあったか?)
もう一度呼びかけようとしたとき、アリがふとこちらを見て、目が合った。
驚いたような顔をする。
「わっ、ゼノ! いたの!?」
『やだ、恥ずかしい』とでも言いたげな表情に、ゼノは内心でニヤリと笑った。
(ははーん)
「ルイ殿下?」
そう聞くと、アリは息を止め、さらに真っ赤になる。
(図星か……わかりやすいな)
「も、もう寝るね! お休みー!!」
アリはそう言い残し、そそくさと部屋へ消えていった。
――ルイが、アリに想いを伝えたのだろう。
その反応があまりに露骨で、思わず微笑ましくなる。
だが同時に、ゼノの胸の奥に、ほんの少しだけ寂しさがこみ上げた。
✦ ✦ ✦
――王宮 政務室
ルイの告白から一夜が明けた。
ルイはいつものように政務室で、黙々と書類に目を通していた。
控えめなノックの音。
続いて、凛とした声が響く。
「失礼します」
アリが、書類の束を抱えて入ってきた。
いつもと同じように。
決裁が必要な書類を手に、淡々と、わかりやすく、簡潔に報告をはじめる。
一見、まるで何も変わらない――“いつも通り”に見える。
……だが、目を合わせない。
いつもなら、報告の区切りでルイの目を見て、確認の視線を投げてくるはずだ。
だが今日は、最初から一度も目が合わない。
ルイは頷きながらも、意図的にじっとアリを見つめてみた。
しばらくして――
アリは報告書に目を落とし、口を開いた。
内容は、「魔術障壁の強度にやや不安定な傾向がある」との指摘だった。
「……この件については、まじゅちゅしょーへ……っ、……障壁が……」
盛大に噛んだ。
アリは一瞬で口を引き結び、何事もなかったように続きを読もうとした――
だが、ルイの視線がアリに注がれつつ、首をかしげている。
「…?」
アリもつられて同じように首をかしげた。
その目は明らかに泳いでいた。
「あれ、あれれ……」
何を言っているのか、自分でもわかっていない様子だ。
ルイは、こらえきれずに笑ってしまった。
「アリ……どうしたの?」
「ルイ! どうしたのじゃないよ!」
アリは抗議の声をあげた。
「なんでじっと見てるのよ!」
アリも笑いながら言う。
気まずさが、ほんの少しずつほどけていく。
「君が、こっちを見ないから」
ルイもまた、笑いを堪えきれなかった。
「動揺しすぎ。わかりやすいね、君は」
からかうように言いながらも、ルイの胸の奥には、
じんわりとあたたかいものが広がっていた。
アリが、自分の言葉に動揺している――
そのことが、どこかくすぐったく、たまらなく愛おしかった。
アリは「からかって!」と、困ったように笑って目を細めた。
だがその言葉の裏で、ようやく胸に詰まっていたものがほどけて、呼吸が楽になる。
昨日からずっと、ルイの言葉が頭の中を反芻していて、
一睡もできなかった。
今日もいざ顔を見ると、その言葉が思い出されてしまった。
必死に動揺を隠してきたというのに。
――“好き”なのか、どうかは、まだわからない。
でも、あの瞳で「愛してる」と言われたとき、
心の奥が何かに触れられたようで、
自分のなかの何かが、確かに揺れた。
今日の私は、おかしい。
ルイと目が合うたびに、胸がざわついて言葉が崩れる。
「どうしたの?」と聞かれても、私自身、どうしたのかわからない。
それでも――ルイの笑顔を見たとき、
なぜかほっとしたのは確かだった。
✦ ✦ ✦
この日アリは、騎士団員への講義を行う予定だった。
議題は「古の魔物に対する戦術的考察」。
アストリアンでの調査内容や、前回出現した
そのうえで、今後どう対応すべきか――アリなりの見解を伝える場として講義は設定された。
――騎士団詰所・会議室
「では、講義を始めます」
アリの一声を合図に、静かに講義が始まった。
前回出現した《タイタン》、そしてそれ以前にアリが討伐した《ハーピー》と《フェンリル》。
これらの討伐結果をもとに、アリは自身の見解と持論を述べていく。
「皆も知っている通り、現時点では古の魔物を倒すには、古の魔法がほぼ唯一の有効手段です。
五大魔法の上級魔法ですら、まともにダメージを与えることができません。
強固な結界を多重に張ることで、短時間の足止めは可能。
その隙に古の魔法でとどめを刺す、というのがこれまでの基本戦術です。
過去の戦闘からわかったのは、これらの魔物には属性攻撃が通じないということ。
そこで“無属性攻撃ならどうか”という仮定のもと、私は古の魔法のうち無属性に分類される攻撃魔法を試しました。
結果は――有効。
これまでに出現した三体――ハーピー、フェンリル、そしてタイタン。
いずれも古代に実在し、封印されたとされる伝説の幻獣そのものです。
書物によれば、かつて存在した幻獣には属性魔法が効かず、古の魔法でしか対抗できなかったと記されています。
遥か昔は今よりも古の魔法を扱える者が多く、彼らが幻獣と対等に渡り合い、共存していた時代もあったのかもしれません。
やがて幻獣たちは封印されたはずですが――なぜか今、この時代に再び召喚されている。
使用された魔法陣は五大魔法のものではなく、おそらく古の魔法に分類される召喚陣。
古の魔法に関する書物は各地に散逸していて、私もすべてを把握しているわけではありませんが、限りなくその可能性が高いと見ています」
アリがふと視線を上げると、室内は水を打ったように静まり返り、皆が食い入るように彼女の言葉に耳を傾けていた。
古の魔法は使えずとも、どうすれば対抗できるか。
各自が真剣に考えているのが伝わってくる。
そして――
アリの真正面、最前列の席に、いつの間にかルイが座っていた。
(い、いつの間に……!?)
初めからいたかのような顔で自然にそこにいるルイに、アリは何も言えなかった。
(……ここで話す内容は、後日御前会議で報告するつもりだったけれど。
まぁ、国の重大事項なのだし、気になるのは当然よね)
そう納得し、アリは小さく咳払いをして講義を続けた。
「ここからは、今後の対策についてです。
《タイタン》討伐を通して、いくつか気づいたことがあります。
出現する魔物は、徐々に強力になってきています。
放つ魔力の量が増大し、結界の強度もより高くしないと維持できなくなっています。
五大属性単独の魔法が効かないことから、最大三属性までの混合魔法を試しましたが、目立った効果は見られませんでした。
召喚自体を阻止することが最優先ですが、万一出現した場合、これまで通り私が現場に急行します。
それまでは、皆さんに多重結界での防御をお願いしたいのです」
アリが一息ついたそのとき、前方で静かに手が挙がった。
ルイだった。
(……質問?)
「はい、陛下。どうぞ」
「三属性までの混合が効かないとのことだったが、五属性すべてを混合した場合、効果は見込めると思うか?」
「……そうね。五属性混合は、まだ試していないけれど、試す価値はあると思うわ。
ただし、三属性のときよりもはるかに負荷が大きくなる。
もし私がそれを使って魔力切れを起こせば、古の魔法を使う余力を失い、討伐ができなくなる恐れもある。
これまではゼノと私で混合魔法を試していたけれど、ゼノは四属性までが限界で……」
「……ならば、次に出現したときは、私が試してみよう」
その言葉に、会議室の空気が一変した。
「陛下! おやめください、あまりに危険です!」
「そうです、いくらお強くても……もしものことがあれば!」
騎士たちが一斉に立ち上がり、口々に止めようとする。
だが、ルイは静かに手を挙げ、制した。
「危険なのは承知の上だ。
だが、有効な手段があるなら、試してみる価値はある。
皆が命を懸けているのに、私だけが静観するわけにはいかない。
私にできることがあるのなら――それを選ぶ」
その言葉に、アリも、そして騎士たちも、驚きと共に深い敬意を抱いた。
《タイタン》討伐の際、アリが倒れたと聞いたことも、ルイを突き動かしたのだろう。
皇帝という立場であっても、自らの力で守りたいものがある。
そして、後悔だけはしたくない――
ルイのその決意が、場を静かに包み込んだ。
――そのとき、アリがふと何かを思い出したように顔を上げ、ルイに声をかけた。
「そういえば、ルイ。
ルイの五大属性の魔力、ちょっと見せてもらってもいい?」
突然の申し出にルイは目を瞬いたが、アリの表情に何か意図を感じ取り、すぐに頷いた。
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