第13話 待てども叶わず
指示されたパーキングエリアを使わず、車内待機と言明されていたはずなのに車から降り、物陰から赤松組のビルを見ていた椎田は、若竹に出てきた赤松を追わせる事にする。椎田は運転席に未だ座っている若竹の出来なさ過ぎに飽ていた。期待してはいなかったが、若竹の「自分、昔ですね」で始まる自己満でしかない昔話を聞くのももうバカらしく、その幼稚さに合わせているのも限界だった。
ドア越しの窓をトントンと、拳の第二関節を立ててノックした椎田が「赤松さんを追え」と言うと、若竹は窓さえ開けず「追うって、相手は車ですよ。テクでは…、無理かと」と歯切れ悪く言い、そう言った顔には“面倒くせ“と書いてあった。舌打ちを堪えた椎田が「ナンバー覚えて、車の頭が向いてる方角に歩いて行け。突き当たりの大通りに出たらタクシーが拾える」と言うと、若竹は「オレ、金持ってなくて、、、」と言い訳はしても車から降りようとはしない。“マジいらねえ、ホントいらね、染さんがやる前に俺が沈めてやる“と内心にぶち撒けた椎田は、上着の隠しポケットからPASMOカードを取り出して窓に押しつけ「行け、スマホの位置情報ONにしとけよ」と言った。
赤松は車の後部ドアを開けて待っている水沢に一瞥もくれず、出て来たビルを振り返って見上げていた。視線を赤松に据えたままの水沢が「染さんとこの若竹が来ました。染さんの迎えですかね」とささやく。薄く笑った赤松はビルを見つめたまま「違う、染の迎えを若竹にはさせん。椎田は染にゾッコンや。若竹の目的は俺たち、俺たちや」北風の低音でそう応え、若竹の為に無駄に時間を使ってやり、緩慢なる動作で身体の向きを変えた赤松が、水沢の顔を見るなり「なんや、何わろてるんや?」と言った。「組長の動きがあまりにも不自然で、心で“I'll be back“と言ったらツボりました」と言った水沢は耐えられなくなって腹を抱えて笑いだした。「アホか」と言った赤松も笑顔をこぼす。
笑みを讃えたまま「行こか」と赤松。
「ですね」と水沢。
素知らぬ顔で車に乗り込んだ赤松は運転手の黒崎に「若竹が車を拾うまでのらりくらりと運転しろや」と指示する。助手席の水沢が「連れてきましょうか」と言うと、魅力的な目を水沢の横顔に注ぎ、片頬に刃のような冷笑を浮かべて「そう急くな、後で好きなようにさせたるから」と言った赤松は楽しげだ。
やっとの事ことでタクシーを拾って乗り込んだはいいが、若竹は赤松が乗る車を指差しながら運転手に何かを言っていた。その勢いに、唾きをあびたくないのか、服装から関わり不可と判断したのか、運転手は完全に引いていた。その様子をバックミラーで見ていた黒崎が「ああー、あの要領の悪さは壊滅的じゃないですか。あれで本家勤めとはどうかしてる」とぼやいた。
サイドミラーで見ていた水沢も「チッ」と舌打ちする。そして水沢は黒崎に視線を投げ「もういいだろう、スピード上げろよ」とイラついた口調で言い、顎でも促す。そんな二人に赤松が「あんなの引き受けた代行も考えりゃ良かったのになぁ。庭掃除でもやらせときゃよかったんや。あてがわれた染が格落ちして見えるは、ウチがアホ揃いみたいやわ、身内にせせら笑われてる若竹もそろそろ限界って感じやし。エエこと何一つないな」おっとりと憐れんだが、その口調とは裏腹に赤松の目には、映るもの全てを今にもスパリと切り付けてしまいそうな狂気があった。
その目を横目で見た水沢は前に顔を戻しながら“まただ“と思う。染さんと会った後は必ずこんな眼差しをする。何をしでかすかわからない澄み切った目。頼もしくてワクワクする目。漢ぼれする目。だが、その目を引き出すのが俺らじゃなくて、染さんなのが気にいらねぇー。
若竹の乗るタクシーが団子三兄弟のように赤松の車と連なって走る。バックミラーをチラリと見た黒崎が「いくらなんでも」と呆れ、水沢は「ああ、準備しとけ」と電話していた。赤松は腕を組み、いつものように瞑想のような浅い眠りに入ろうとしたが、雑念が邪魔する。……、染のあんな顔を見たのは……、何年ぶりだったか……確か、……家出して…、偶然、街で会って以来や。心の中に焦燥の泡が湧き出でてきた。「クソ」と極々ささやかに吐き、スーツの胸元からスマホを取り出してメッセージを打つ。
“ノエル、何してる?いい子でいてくれてるか?
今夜は美味いもんでも食べに行こう“
赤松の目に、狂乱させたノエルが見える。
シーツに食い込む桜色の爪
太古のリズム
枯れ果てた喜悦
溺れる目
歯型が残る薬指
約束したのに。今夜、俺は…またも下等となるだろう。
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