閑話休題、の四(友好の類型)

「久しく飲みに行ってないな」「その話昨日したよ」なんていう会話を交わした次の日に、そこにいないやつが突拍子もなく『飲みに行こう』なんて連絡をよこしたものだから、私だっていよいよおかしくなって笑ってしまった。個人的に同期仲は普通かそれ以下なものだと思っていたのだが、どうにもそいつは私の思い違いだったらしい。精度が落ちたというより、まだ鍛錬が足らないと言ったほうが正しそうだ。

 それについて一つそれらしい仮説を立てたのだが、君が何を言おうと一度書くので特に問い掛け等はしない。

 人の生活は当然だが一定の周期を持っている。自明で、今更何を言っている?という話である。人はおおよそ決まった時間に寝て、おおよそ決まった時間に起きる。仮にぱっと見て不規則に見えても、便宜上定められた時間的枠組み(例えば暦であったり時計であったり)の色眼鏡を外してみれば、不規則も案外規則の範疇であることに気が付くかもしれない。ま、そもそも範囲を広げれば全て1に収束する、いわゆる統計学的な数字のマジックもあるが、そこらへんまでここでわざわざ論議するつもりはない。あくまでも仮説である。反証はノーセンキュー。私の欲するところではない。

 ともかく、その規則はあちこちに見られる。私なんてのは特に顕著で、放っておいてほしいときとそうでないときの差が激しい。面倒なかまってちゃんである。我ながら友人にしたくない。そういった周期的な変化は必ず皆にある。外的要因で不規則になることはあるが、それはそれ。職務から与えられる慢性的なストレス要因だとか、友人関係の築き方による自己肯定感という変数の差異だとか触れるつもりはない。キリがない。問題はその周期がいかに合うかどうかではないか、それこそが人間関係における重要な要素の一つなのではないか? という仮説である。結論は先に書けとか言うな。

 なんとなくすんなりそんな気がして納得したのは、単に浮き沈みの激しい性格ゆえかもしれない。けれど人はどこまでいっても獣だし、無自覚的に群れの習性に従って行動することのほうが多い。案外、大きく外れてもいないんじゃないかと思う。思うだけである。データは集めてない。これから適当に集めるし。そも、論文を書くわけじゃないから、母数もバイアスも何も気にしなくていい。人生は長い取材旅行なんだから、刊行主は私であるから、必ずしも指し示すそれが公平である必要もない。一応、公平でありたいとは思ってるけども。

 ところであまり関係ないが、思考が理路整然とした流れの中にある人間よりも本能的に動く人間の方が個人的に騙しにくい。中途半端に頭を使えると、小手先の言葉に踊るからいけない。もちろん、自戒である。個人的には、ぱっと見て論拠に乏しい「なんとなく」のほうが、無自覚に偏見にハマる自称・思考よりもずっと優れていると思っている。なぜって、そのなんとなくには生きてきた人生の重みが乗っているからだ。良くも悪くも、見かけの差異に人は大きくハマる。という適当な言葉に首を傾げたのなら、すぐに己を見直すべきである。ま、冗談ですけど。本気でそう思ってるし。

 しかし空が明るい。夏に近付いているのはどうにも気温だけではないらしい。

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