第三話:残響のステーション、不協和音のエンカウント


Clip(クリップ)との初戦闘から一夜が明けた。

天沢凪(あまさわ なぎ)は、自室の安アパートのベッドの上で、まだ現実感が伴わない昨夜の出来事を反芻していた。あの異様な空間、変化した自分の姿、そして、自分の「言葉」が実際に物理的な力となった感覚。左腕に巻かれた白い包帯の感触と、腰に装着されたままのウェストポーチ型のデリバッグが、あれが悪夢ではなかったことを雄弁に物語っていた。


(ヴァルドギア……ほんまに、あるんやな、あんな世界が)

虚無感を抱えていた昨日までの自分とは、何かが確実に変わり始めている。それは、恐怖よりもむしろ、未知への微かな高揚感を伴っていた。


ペンデバイスを手に取り、起動してみる。昨日表示されたミッション内容が、再び半透明のウィンドウに浮かび上がった。


『次のミッションがアンロックされました』

『HAKATA BASE(ハカタ・ベース)・Terminal Gate(ターミナル・ゲート)にて、新たな接続(コネクト)の兆候を確認。調査に向かってください』


HAKATA BASE(ハカタ・ベース)――NEO-FUKUOKA CITY(ネオ・フクオカ・シティ)の交通と物流の玄関口。現実世界(リアル)では、NEO-FUKUOKA CITY(ネオ・フクオカ・シティ)最大のターミナル駅として、絶えず多くの人々が行き交う場所だ。そして、Terminal Gate(ターミナル・ゲート)とは、設定によれば、その駅構内がヴァルドギアの世界では「異能世界へ転送される異界化エリア」になっているという。


「新たな接続(コネクト)の兆候、か……」

凪は呟いた。Clip(クリップ)を倒したことで得た達成感と、同時に湧き上がる未知への好奇心。そして何より、「@Yui_Musubi」というたった一人のフォロワーの存在が、凪の背中を押していた。彼女に、自分の戦いを見てもらいたい。自分の言葉が、もっと誰かに届くかもしれないという期待。あのコメントが、凪の心の奥底に眠っていた「誰かと繋がりたい」という渇望を、再び呼び覚ましていた。


(行くしかないやろ。ここで立ち止まったら、また元の空っぽな自分に戻ってまう)


決意を固め、凪は立ち上がった。いつものくたびれた黒パーカーとデニムに着替え、配達用のリュックを背負う。ペンデバイスはパーカーのポケットにしまい、ヴァルドギアの装備は今は表からは見えない。だが、凪の内面は確実に変化し始めていた。鏡に映る自分の瞳の奥に、以前にはなかった微かな光が宿っているような気がした。


NEO-FUKUOKA CITY(ネオ・フクオカ・シティ)の喧騒の中を、凪は電動アシスト自転車でHAKATA BASE(ハカタ・ベース)へと向かった。巨大な駅ビルが近づくにつれ、人通りも増していく。現実世界(リアル)では、多くの人々がそれぞれの目的地へと急ぎ、様々な列車が絶え間なく発着する、活気に満ちた場所だ。その日常の風景の中に、これから自分が足を踏み入れるであろう異世界が隠されているとは、誰も想像だにしていないだろう。


駅の駐輪場に自転車を停め、凪は大きく深呼吸を一つ。周囲に人がいないことを確認し、ペンデバイスを握りしめ、意識を集中する。

「接続(コネクト)……ヴァルドギア」

そう呟いた瞬間、世界が一瞬フリーズしたかのような感覚の後、周囲の風景がぐにゃりと歪み、デジタルノイズが視界を覆った。平衡感覚が曖昧になり、身体がどこかへ引きずり込まれるような浮遊感。

次に視界がクリアになった時、凪は先ほどまでとは全く異なる場所に立っていた。


そこは、Terminal Gate(ターミナル・ゲート)と呼ばれるヴァルドギア内のHAKATA BASE(ハカタ・ベース)だった。

見慣れたはずの駅のコンコースは、その面影を残しつつも、異様な光景へと変貌していた。天井は現実よりも遥かに高く、ドーム状の構造物はまるで古代遺跡のようにも見える。本来あるはずの時刻表や案内表示は、解読不能な異世界の言語や、点滅する幾何学的な記号の羅列に置き換わっている。改札機は、まるで意思を持っているかのように鈍い光を放ち、時折、ガーディアンと呼ばれる機械的な存在がその周辺を巡回していた。ホームの奥からは、現実ではありえない形状の、装甲列車のようなものが地響きと共に通過していくのが見える。空気はひんやりとして、どこかオイルと金属の混じったような、無機質な匂いがした。


行き交う人々も、その多くが異様なオーラを纏っていた。現実世界(リアル)の服装の者もいれば、凪のようにバトルジャケットや特殊なデバイスを身に着けた者もいる。彼らもまた、ヴァルドギアのバトラー戦う者なのだろう。その視線は鋭く、誰もが警戒心を解いていないように見えた。


(ここが……Terminal Gate(ターミナル・ゲート)……。Clip(クリップ)がいたNISHIJIN SECTOR(ニシジン・セクター)とは、また雰囲気が全然ちゃうな)

肌を刺すような緊張感に、凪はゴクリと喉を鳴らした。


自分の服装が再び黒のレザージャケットへと変化しているのを確認する。腰のポーチも、腕の包帯も健在だ。周囲のバトラー戦う者たちは、凪のような新参者には特に気にも留めない様子で、それぞれの目的に向かって足早に通り過ぎていく。彼らにとっては、ここもまた日常の戦場の一つなのかもしれない。


「さて、新たな接続(コネクト)の兆候、どこにあるんや……」

ミッションには具体的な場所は示されていない。凪は、ひとまずこの広大な駅構内を探索することにした。ペンデバイスのマップ機能も、このエリアではまだ情報が不足しているのか、詳細な表示はされていなかった。


人気の少ない薄暗い通路を選んで進む。かつては何かの店舗だったような区画は、今はシャッターが下ろされ、薄汚れたポスターが虚しく残っているだけだった。その壁には、ヴァルドギアのバトラー戦う者たちが残したであろう、様々なタグやマーキングが発光し、この場所の不穏さを際立たせていた。


不意に、通路の奥から複数の足音が聞こえてきた。それと同時に、何かがぶつかり合うような鈍い音と、誰かの荒い息遣いも。

(戦闘か……?)

凪は壁に身を隠し、慎重に様子を窺う。


「ハァ……ハァ……しつけぇな、オイ!」

聞こえてきたのは、若い男の声だった。その声には苛立ちと、わずかな疲労の色が滲んでいる。

姿は見えないが、複数の相手と戦っているようだった。金属的な打撃音と、何かが破壊される音が断続的に響く。


凪がさらに奥へ進むと、少し開けた場所に出た。そこでは、派手なストリート系のファッションに身を包んだ青年が、数体のガーディアンと交戦していた。青年はヘッドホンを首にかけ、両手にはターンテーブルを模したような円盤状のデバイスを巧みに操っている。


「まとめてスクラッチしてやるよ!」

青年が叫ぶと、デバイスから強烈な衝撃波が放たれ、周囲のガーディアンを吹き飛ばした。しかし、ガーディアンはすぐに体勢を立て直し、再び青年に襲いかかる。


(強い……けど、数が多いな)

青年は明らかに手慣れた様子で戦っていたが、次から次へと現れるガーディアンに、徐々に押されているように見えた。彼の額には汗が光り、肩で息をしている。


その時、青年が凪の存在に気づいた。一瞬、鋭い視線が凪を捉える。

「あ? 誰だテメェ。見てねえで手伝えよ、新入りか?」

その口調は乱暴だが、どこか凪の実力を見定めるような響きがあった。


凪は一瞬ためらった。いきなり見ず知らずの戦闘に割って入るのは危険だ。しかし、このまま彼がやられるのを見過ごすのも後味が悪い。それに、この状況を打開できれば、何か情報が得られるかもしれない。


「お前こそ誰や。いきなり馴れ馴れしいな」

凪は警戒を解かずに言い返した。

「ハッ、威勢だけはいいじゃねえか。俺はVibe(ヴァイブ)。見ての通り、音で戦うDJ見習いだ。それより、あんた、最近噂の“ポーン”だろ?」

青年――Vibe(ヴァイブ)は、ガーディアンの一体を蹴り飛ばしながら、挑戦的な笑みを凪に向けた。


「噂……?」凪は眉をひそめる。自分がヴァルドギアに接続してから、まだ一日しか経っていない。それなのにもう噂になっているというのか。

「ああ。NISHIJIN SECTOR(ニシジン・セクター)でClip(クリップ)とかいう雑魚を倒したルーキーがいるってな。まさか、こんなひょろっとした奴だとは思わなかったぜ」

Vibe(ヴァイブ)は凪の全身を値踏みするように見回す。


(Clip(クリップ)のことまで知っとるんか……この世界の情報の流れは、どうなっとるんや)

凪は内心驚きながらも、表情には出さなかった。

「それがどうした。オレは自分のミッションでここに来ただけや」

「ミッションねぇ。どうせ、“新たな接続(コネクト)の兆候”ってやつを探してんだろ? ここTerminal Gate(ターミナル・ゲート)じゃ、最近それ目当ての奴らが多いんでな」

Vibe(ヴァイブ)の言葉に、凪はさらに驚いた。まるで自分の目的を見透かされているかのようだ。


「……詳しいんやな、あんた」

「まあな。俺はこのHAKATA BASE(ハカタ・ベース)が縄張りみたいなもんだからよ」Vibe(ヴァイブ)は肩をすくめた。「だが、その前に、お前の“音”、ちょっと聴かせてもらおうか」

彼の瞳に、好戦的な光が宿る。ガーディアンの相手をしていたはずの彼が、その敵意の矛先を明確に凪へと向けた。


「なっ……!?」

「Clip(クリップ)を倒したって言っても、所詮は雑魚狩りだろ? 俺はあんな奴とは違うんでね。アンタが本当にこのヴァルドギアでやっていける器か、俺がテストしてやるよ」

Vibe(ヴァイブ)がデバイスを構え直すと、周囲の空間がビリビリと震え始めた。目には見えない音波が、凪の身体を圧迫する。ガーディアンたちは、Vibe(ヴァイブ)の放つ強大なプレッシャーに恐れをなしたのか、後ずさりを始めた。


「待て、オレはあんたと戦うつもりは……」

「ハッ、ヴァルドギアに足を踏み入れた時点で、戦いは始まってんだよ。思考じゃ遅ぇ、バイブスで動け!」

Vibe(ヴァイブ)が叫ぶと同時に、彼の足元から強烈な音波の衝撃が放たれた。それは、先ほどガーディアンを吹き飛ばした攻撃よりも遥かに強力で、的確に凪を狙っていた。

「《サウンドブレイク》!」


ドォォン!!という轟音と共に、衝撃波が凪に迫る。

いきなりの襲撃。凪は咄嗟に身を翻し、衝撃波を紙一重で避ける。背後の壁に当たった衝撃波が、コンクリートを砕け散らせた。


(こいつ……本気か!)

凪の全身に緊張が走る。Clip(クリップ)とは明らかに格が違う。これが、中堅バトラー戦う者の実力。

ペンデバイスを握る手に、汗が滲んだ。


「へえ、今のを避けるか。少しはやるみてえだな、ポーン」

Vibe(ヴァイブ)は楽しそうに口角を上げた。彼の戦意は、少しも衰えていない。

凪のNEO-FUKUOKA CITY(ネオ・フクオカ・シティ)における二度目の戦いが、今、始まろうとしていた。


(第三話:了)

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