第8話 目覚めたらそこは天国(物理)と地獄(精神)だった
第8話 目覚めたらそこは天国(物理)と地獄(精神)だった
次に俺が目を覚ました時、最初に感じたのは全身を包む柔らかな感触と、清潔なシーツの匂いだった。そしてひどい倦怠感。
身体の節々がまだ痛むが、あのシャドウハウルに吹っ飛ばされた時のような激痛ではない。誰かが適切な治療を施してくれたのだろう。
(ここはどこだ? まさか天国か? いや、それならもっと天使とかが舞っていてもおかしくない)
ゆっくりと目を開けると、見慣れた自室の天蓋が見えた。見知らぬ天井ではない。
どうやら学園の医務室ではなく、バーンシュタイン公爵邸の自分の部屋に運び込まれたらしい。実家だ。
(そうか、俺は生き残っちまったんだな。あの世でフィーリアに「ありがとう、アルフレッド様」って言ってもらう計画だったのに……)
シャドウハウルの一撃を食らって死ぬはずが、まさかの生還。計画は完全に頓挫した。これからどうすればいいのか、全く見当もつかない。
生き残っちまった悲しみに、なすところもなく悲しんでいると、ふと視線を感じた。
ベッドのすぐ脇。そこに、簡素な椅子に腰かけたフィーリア・メイフィールドがいた。
フィーリアは俺の顔をじっと見つめていて、俺が目を開けたことに気づくと、ぱあっと顔を輝かせ、次の瞬間にはわっと泣き崩れた。
「アルフレッド様! よ、よかった! 本当に、本当によかったです!」
弾むような、涙で震える声。その美しいエメラルドグリーンの瞳からは、大粒の涙がとめどなく溢れている。
(うわぁ、推しが俺のために泣いてくれてる……これはこれで役得か? いやいや、違う、俺は死ぬはずだったんだ! それに推しを泣かせていいわけがない!)
「フィーリア……なんで、泣いてるんだ……? それに、なんで君がここに……?」
掠れた声で尋ねると、彼女は慌てて涙を拭い、それでも心配そうに俺の額に手を当ててきた。その手は少し冷たくて、心地よかった。
「熱は……まだ少しありますね。すぐに侍医を呼びます! それから、アルフレッド様が目をお覚ましになったこと、皆様にお伝えしないと!」
そう言って慌ただしく立ち上がろうとするフィーリアを、俺は弱々しくも引き止めた。
「ま、待て。大丈夫だ。それより状況を説明してくれ。俺はどれくらい眠っていたんだ?」
「丸三日です! シャドウハウルに襲われた時の傷が思ったより深くて、一時は本当に危なかったって! もう、アルフレッド様ったら、どうしてあんな無茶を! 私のせいで、アルフレッド様が……うぅ……」
フィーリアはそう言うと再び涙ぐみ、ぷくっと頬を膨らませて俺を軽く睨んだ。
その表情、可愛すぎるんですけど!? だが、今はそれどころじゃない。
やっぱり割と瀕死だったんだな。何が原因で死に損なったのやら。ってフィーリアのおかげに決まってるだろ!
「アルフレッド様が私を庇ってくださったこと、本当に、本当にありがとうございました! そしてごめんなさい!」
フィーリアは深々と頭を下げる。その声は感謝と、そして強い自責の念が込められているように聞こえる。
(いやいやいや、違うんだフィーリアちゃん! 君は悪くない! 悪いのは、君を危険な目に遭わせようとした「そして華麗に死のうとした」俺なんだ! むしろ謝るのはこっちだ!)
そんな本音を言えるはずもなく、俺は曖昧に首を振ることしかできない。
すると、フィーリアは急に決意を秘めたような顔つきになり、甲斐甲斐しく動き始めた。
「アルフレッド様、これからは私が責任を持ってお世話させていただきます! アルフレッド様が完全に元気になるまで、毎日お屋敷に通って、一歩もそばを離れませんから!」
きっぱりとした口調。その瞳には先ほどの涙はどこへやら、燃えるような使命感が宿っている。
(ま、毎日通う!? それはそれで嬉しいが、フィーリアの負担が……いや、でも、推しに毎日会えるのか……ぐぬぬ、悪役としての矜持とオタクとしての欲望が!)
そうだ、皆様も心配して待っているんです。フィーリアが言ったまさにその時だった。
部屋の扉が何の予告もなく、バタンッ!と勢いよく開かれた。
「アルフレッド、目覚めたか!」
その声と共に雪崩れ込んできたのは、エドワード、ガウェイン、アイザックの愉快すぎる(そして今は迷惑すぎる)お見舞い客たちだった。
「うおおお、アルフレッド! よくぞ生きてたな! ダンジョンでの勇姿、マジで最高だったぜ! お前は俺の最高のダチだ!」
ガウェインが号泣しながらベッドに突進してくる。おい、待て、怪我人だぞ俺は!
俺が身構えるより早く、フィーリアが「だ、ダメですガウェイン様! アルフレッド様はまだ安静にしないと!」と両手を広げて立ちはだかり、何とか猛牛のような友人を制止してくれた。ナイスディフェンス、フィーリア!
「やれやれ、相変わらず騒々しい奴だ。だがアルフレッド、本当に見事だったぞ」
優雅に歩み寄ってきたエドワードが、爽やかな笑顔の裏に黒い光を滲ませながら告げる。
「君の英雄的行動は、私が責任をもって王宮に報告しておいた。今頃、王都では君は『愛する乙女を救った、気高き悲劇のヒーロー』として吟遊詩人たちが歌っていることだろう(内容は三割増しで美談に仕立て上げておいたがな。今後、身分差を超えて結婚を考えるなら、説得力のあるエピソードは多いに越したことはない)」
(お、おま、お前ぇぇぇぇぇええええええ!)
思わず叫びそうになるのを、かろうじて飲み込む。なんてことしてくれたんだこの腹黒王子! これからどんな顔で王宮に行けばいいんだ!
そこへ、他の二人を意に介さないアイザックがすっと近づいてきた。
「脈拍、体温、瞳孔反射……。ふむ、生命維持活動に問題は見られない。非常に興味深いのは、君の体内に残存するフィーリア嬢の治癒魔法の痕跡だ。従来の治癒理論を覆す、極めて特異な魔力パターンを示している。後日、回復過程における君の血液と魔力のサンプルを定期的に採取させてほしい」
研究者の目でキラキラと真顔で迫ってくるな! 俺は実験動物じゃないぞ!
友情の物理攻撃、意図せぬ英雄扱いという精神攻撃、そして人権を無視した研究対象扱い。このトリプルコンボに、俺の精神はもはや限界だった。
「……つ、疲れた」
俺が力なく呟き再び意識を失いかけると、フィーリアがぷくっと頬を膨らませて友人たちを睨みつけた。
「皆さん! アルフレッド様がお疲れです! 少し静かにしてください!」
フィーリアの珍しく強い口調に三人は一瞬たじろぎ、やがて「す、すまん」「まぁ、無理もないか」「回復期の安静は重要だ」と、少しバツが悪そうにしながらも部屋の隅でおとなしくなった。
フィーリアは気を取り直して、俺に向き直る。
その瞳には、先ほどの友人たちに対する怒りとは違う、燃えるような使命感が宿っていた。
その日の午後、俺がうとうとと浅い眠りについていると、部屋の外から何やら話し声が聞こえてきた。
フィーリアの声と、父であるバーンシュタイン公爵の声だ。
「というわけで、メイフィールド嬢。君のアルフレッドへの献身には、この私も感服しておる。毎日こうして通ってくるのも大変だろう。そこでだ」
父の声がそこで途切れ、俺は思わず聞き耳を立てた。
まさか、フィーリアに「もう来るな」とか言うんじゃないだろうな!? いや、でも、父は意外とフィーリアのことを悪く思っていないようだったし……。
(……一体、何を話しているんだ?)
俺の疑問と不安を乗せて、部屋の扉がゆっくりと開かれた。
そこに立っていたのは少し緊張した面持ちのフィーリアと、なぜか満面の笑みを浮かべた父だった。
そして、父の口から、俺の予想の斜め上を行く言葉が飛び出したのだ。
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