第4話 感情
上の世界の話はシャイタンや人の世界に行った事のある悪魔から聞いていた。
そこには人なるものが住んでいてこの世界では見た事のないものや生き物で溢れている。
人間の世界にも溶岩や岩、服や本などがあるようだが悪魔たちのそれとは違い、もっとすごいものであるらしい。
この話を聞いても上位の悪魔にとっては当たり前のことだし、下位の悪魔にとってもどうでもいいことであった。
だが悪魔の子にとってこれほど聞きたいものはない。
そして話を聞けば聞くほど、上へ行くことへの憧れが増していった。
悪魔の子は自分の本能に忠実に生き、まるでそのために"神"から与えられたかのような自慢の爪で岩を掘り続ける生活を送っているのであった。
上に行けるものは名前のある悪魔だけ。
シャイタン達はそれを信じていた。
上に行くには人間から呼び出されなければいけない。
だが今はその頻度もかなり減っている。
昔なら信仰心が強い人間がたくさんいたが今は「カガク」というものが進んだ世界になっているらしく、宗教のありがたみというものがだんだんと薄れているようだった。
何でも叶う「カネ」というものが願いを叶えてくれる上の世界で一部の熱き信者たちを除き、誰が悪魔など呼び出したいというのだろうか。
屈強な手足、異常なまでの好奇心、特別なチカラ――。
悪魔らしくない彼女はシャイタンやベルゼブブたちから人間の話や、バイブルの内容、人間という生き物についての話をたくさん聞きに行った。
シャイタンや他の悪魔たちはそれが心配であった。
悪魔の子が上へ行くことに寂しさを感じる上位の悪魔たちは話を聞きにくる無邪気な子に愛おしさを感じつつも心の中に寂しいという気持ちが溢れていた。
もちろん、悪魔の子は今の暮らしが嫌いではない。ここから逃げたいなどもない。
たった一つの好奇心がもたらした行動なのである。
上位のものたちは上への興味をなくさせるため上の世界の怖さを教えたり、わざと嘘をついたりもした。
だがそんなことでこの生き物が止まらないことぐらい知っている。
ここから離れて欲しくないというわがままが彼らの背中を後押しした。
それでも彼女は誰にでも好意的であった。
その彼女の天真爛漫で明るい性格がより一層皆に魅力を与えていた。
一体どうしてこの子は、こんなにも他の悪魔と違うのであろうか――。
シャイタンは黙っていた。
彼の書斎の中であぐらをかいて座っている小さい悪魔からの質問に口を閉ざし、時折彼女を見ては知らないなぁと言っていた。
なんでも知っている大魔王様の答えにうーんと残念そうにする子を尻目に、シャイタンは一つの本を開いて大きな椅子に深々と座りながら僕にも知らないことはあるよ。と優しく答えた。
その子は疑うこともなくそっか!と笑顔で答えた。
その素直な性格や表情にフッと笑いが息とともに出てくるくらい魔王は安堵した。
悪魔の世界でもなぜなに少女は手がかかるようだ。
質問が終わったことに安堵し本を読んでいるシャイタンだったが、逆に静かだと不安になるのか時折なぜなに少女の様子を確認する。
そしてまた本の世界に戻るという繰り返しをしていた。
本の世界にすっかり入り込んだシャイタンは隣の変化に気づけなかった。
強大なる力を持つ大天使たちに剣ひとつで挑んだ百戦錬磨の彼でも心を許した害のない尊い生き物にすっかり油断していたのだった。
本の世界に囚われ続け、いつの間にか静かになった空間に安心しすぎたのか、そういえばとすぐ左を見たがそこに彼女はいなかった。
小さい電気が体を走ったように背筋がピンと張り詰め、黒い小さい生き物を頭で想像しながらまるでロボットのように部屋中を探し始めた。
どこにもいないそれに少し焦りを感じていると手元から丸いちっちゃな光が現れた。
その光は魔王の手元にひょっこり現れると魔王に向かってニコッと笑ってから聖書をまじまじと見つめだした。
シャイタンは安心と呆れの混じったため息をついて、手元の聖書をパタンと閉じた。
目の前の答えを持ってそうな賢い分厚いそれが突然心を閉ざしてしまったので、
小さな光はまた残念そうにした。
こらこらと大きな手でその光を包んで自分の顔に近づけると、単純にぼーっとしているその光に少しだけ安心した。
――この悪魔はまだ怒るという感情もわからないようだった。
優しくその光を離すとぴょんぴょんと弾きながら下に降りまたいつもの悪魔の姿に戻った。
シャイタンはこの子のチカラを随分前から知っていた。
「……この本の内容は、まだ君には少し早すぎる」
と言った。
その表情を子供ながらに読み取った悪魔の子は少しだけ俯きながら
「あくまはワルイっていうもの、なの?」と聞いた。
シャイタンは口を閉じた。
好奇心旺盛な子には、悪魔と天使の歴史や上位悪魔の持つ喜怒哀楽などの感情、人の世界、生と死、時間、空間、善悪、我々の存在、その他文字や文化などその好奇心をリスペクトしある時期から慎重にそれとなく教えてきた。
実のところ本当は聞いて欲しくないこともたくさんあったが、特に天使と悪魔はだいぶ昔に戦争をしたこともあるし変なことを吹き込むのはという思いのそばに、可愛い娘が自身に近づかなくなることを恐れ、何も教えないわけにはいかなかった。
しかし、それがこの子に何らかの悪影響を及ぼすことをシャイタンは恐れた。
悪魔の子がこの世界から「出られない」ことはわかっている。
この時間が永遠なのもわかっている。
ただ、いま目の前にいる子が自分のせいで変わってしまったらと、この子にはこのままでいて欲しいという気持ちが彼に押し寄せ、大きな手で自分の額を触りながら教育とは何と難しいことかと改めて身に染みていた。
この地を統べる大魔王はここの空間を長年共にしている無邪気な悪魔の子のことをすっかりと気に入り、異常なまでに虜となっている。
生きる中でこの子のためを考えていることがどのくらいあるだろうか。
たった一人の悪魔の子に大魔王シャイタンが日々を費やすのだから本当に悪魔の世界は平和だった。
結局のところシャイタンはその子の質問には答えなかった。いや答えるのが怖かった。
悪魔の子はそれ以上は聞かなかった。
だが何かを感じ取っていた。
この子の身に起こる出来事は、シャイタンでさえ想像し得なかった。天界をも巻き込む運命が、静かに近づいていた――。
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