第41話

 予定通り、夏休みは一週間の先取りとなり、その間は立候補者たちによる盛大な選挙活動が行われることとなった。



 中庭から夢島先輩の勇ましくも麗わしい演説が聞こえてくる中、しかし、獅子王先輩と笹原先輩は、影郎君だけがいない支援室で、私たちと共に紅茶を飲んでいた。



「立候補を取りやめて、本当によかったんですか? 獅子王先輩」


「いいんだよ、日向。影郎のいるフィールドで王を気取るなんて、本当にシンドい生き方だとつくづく分からされた。それに、俺は別のやり方で頂点を目指すことにしたからな」


「別のやり方?」


「会社を興した。もちろん、獅子王グループではなく俺の会社だ。生まれながらに恵まれているからこそのやり方ってもんを、いつかあいつに見せつけてやるんだ。それが、俺に出来る唯一の名誉挽回と言ったところだな」


「す、凄いスケールですね。庶民の私には、とても想像出来ません」


「まぁ、ここから先は冗長な説明だろうけどよ。その補佐に、笹原をつけることにした。先に断っておくが、恋人だからではないぞ!? 俺はそんな不埒な交際をするつもりはない!!」


「ふふ、疑ってませんよ」


「そうか。まぁ、こいつの能力は、俺が一番よく理解している。俺の背中を預けられる人間を、俺は今のところ、笹原――」


「司さん?」


「……泰葉以外に知らんのだ。だから、まぁ、そういうことだ。お前たちには、怖い思いをさせてすまなかったな。改めて、謝罪をさせてもらおう」



 獅子王先輩は、自分が悪いわけでもないのに深々と頭を下げた。彼なりに、影郎君へ感謝と敬意を表しているのがよくわかる。



 しかし、わざわざ影郎君の外出の合間を縫って謝りに来るあたり、本当にツンデレさんなんだなぁと私は思った。



「それでも、高校卒業までなんですか?」


「……答えたくないな」


「そうですか」



 獅子王先輩は、弱々しく笑った。



「しかし、日向よ。お前は噂通り、本当に豪胆な性格だな。普通、本人たちの前でそんなことを言う女があるか?」


「私は、自分の心に従って生きているだけです。裏も表もありませんよ」


「だから、大した奴だと言うんだ。お前は、間違いなく影郎の命の飼い主だな」


「……ならば、獅子王先輩。私からも一つ、聞いていいですか?」


「なんだ」


「甘夏先輩って、誰なんですか?」



 どうしてか、月乃さんや由亜さんが知っている様子も無い。ということは、生徒会に所属していた生徒だったり、有名人だったりする人ではないはずだ。

 それでも、これほど影郎君の過去の話に出てくるのは不自然過ぎる。果たして、彼女は何者か。そんな疑問が、私の中であまりにも大きくなってしまったから訊ねてしまったのだ。



 獅子王先輩と笹原先輩は、互いに顔を見合わせた。そして、何かを憂うような目をしてから、やがて――。



「影郎が、支援委員会を設立するきっかけになった女だ」



 それっきり、口を噤んでしまったのだった。



「それでは、もてなしありがとう。日向の紅茶、うまかったぞ」


「恐縮です」


「……ところで、伊織よ」


「はい。なんでしょうか、獅子王先輩」



 少しだけ緊張の面持ちで、月乃さんが獅子王先輩へ向き直る。



「俺は、きっと影郎には勝てん。残りの統一試験、諦めるわけではないけどな。しかし、会社の経営と、笹原との時間を大切にしなければならなくなった。これまで通り、遮二無二勉強ばかりしているわけにもいかない。最早、望みは薄いんだ」


「……そうですか」


「だが、伊織。少しばかり、お前について調べさせてもらったよ。そして、俺は、お前なら或いは、と思った。お前ならば、いつか釣鐘高校の生徒会長となって、真に平和な学園を作り出せると思っているんだ」


「そんな。過大評価ですわ、先輩。……それに、私はいつも倉狩君にやられてばかりなんです」


「過大評価なんかじゃないよ、伊織さん。だから、私はあなたを支援委員へ送ったのだもの」



 そういえば、月乃さんは副会長の話を聞くとお願いされたから、支援委員会へ入ったのだと言っていたっけ。



「俺は、お前ほどあの化け物へ果敢に挑む人間を他に知らん。それは、あいつの実力を恐れず立ち向かえる存在が他にはない証明だ。そして同時に、お前は、必ず俺を超えていくのだと思っているよ。これは予感ではない、確信だ」


「ありがたいお言葉です」


「だから、頼む。いつか、影郎が道を間違えた時に負かしてやってくれ。強きを挫く事だけが正義ではないのだと、教えてやって欲しいのだ」


「……お約束は出来ません。ただ、最善は尽くします」



 月乃さんも、いつになく自信がない。やはり、影郎君と大先生の寸劇が相当に堪えているようだ。そして、快い返事をもらえなかった獅子王先輩もまた、決して月乃さんを否定しなかった。



 けれど、私はそれでよかったのだと思う。



 何故なら、あれほどの狂気を手に入れるための執念を宿す機会になど、絶対に出逢わない方がいいに決まっているからだ。



 ……人が本気で壊れる出来事なんて、もう、私は見たくないよ。



「やあやあ。これは獅子王会長殿、並びに笹原副会長殿ではございませんか。どうかされましたかな?」


「げっ、影郎」


「随分なご挨拶ですな! 何か良いことでもありましたか?」


「ふふっ。影郎、私たちはもう生徒会役員ではないんだよ。いい加減、その大仰な呼び方をやめて気軽に呼んで欲しいな」


「いいえ。あなた方は、今でも僕の中では会長であり副会長なのですよ。他の呼び方など、見つかる次第もありません」


「そっか。まぁ、次の会長が決まるまではいいよ。ね、司さん」


「あ、あぁ。……おほん! まぁ、俺たちの用事は済んだからな! そろそろ御暇しようか! それではな! 支援委員会の者たちよ! ほら、行くぞ笹原」


「司さん。ちょっと、名前で呼んでくださいと――」


「うるさい!! 影郎の前で呼べるか!!」



 そう言って、二人は支援室を後にした。



 後に残ったのは、爽やかな青春の香りと空になった二つのカップ。それらを手に取り、影郎君は一度支援室を出ると、洗い物を済ませて再び戻ってきた。



「ゆっくりしていけばいいのに。そう思わないかい? 希子」


「まぁ、そうもいかないですよ。あの人の性格的に。……それにしても、影郎君。笹原先輩って、少し影郎君のお母さんに似てましたよね」


「……え? おい、希子。それ、どういう意味だ?」



 なぜか、丈が食い付いてきた。月乃さんと由亜さんも、不思議そうに金髪の彼の激しく動揺した不安気な顔を眺めている。



「そのままの意味だよ、丈。笹原先輩ってね、どこか影郎君のお母さんに似てるの。雰囲気とか、笑い方とか、優しい声とか」



 すると、丈は震える手を抑えて手に持っていたカップをデスクへ置いた。こんなにも強く心を揺さぶるようなことを、私は言ってしまったのだろうか。だとしたら、なぜ彼が影郎君のお母さんのことを――。



「影郎さん。前に、中庭で話してくれたこと覚えてるっすか? ラーメンの約束した日のことっす」


「もちろん」


「あなた、ひょっとして、マジに笹原泰葉のことを――」



 丈は、「しまった」といった様子で私たちの表情を確認すると、切なさを押し殺すように深い溜息をついてから、ゆっくり頭を振った。



「いや、なんでもねっす。忘れてください」


「そうかい」



 唇を噛み締めて俯いたのは丈だ。彼が、こんなにも悲しそうに目を伏せる姿など、私は想像もしたことがなかった。



 私には、丈が何を言おうとしたのか分からない。けれど、きっと、それは男同士の内緒の話なのだろうから、私はただ黙って、影郎君が紅茶を淹れる姿を眺めることしか出来なかった。



「どうぞ」



 後、六日で選挙の投票日だ。



 果たして、誰が釣鐘高校の新しい生徒会長となるのだろう。



 その推理を影郎君にお願いしようと思ったけれど、これ以上私の青春の答えを知りたくないと思い直したから、ただ黙っていつも通りの放課後を過ごすことにした。

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