黒曜の刻印

天蝶

第1話 黒曜の門

1.

佐藤葵は、黒曜学園の正門前に立ち尽くしていた。


4月初旬、桜の花びらが風に舞い、春の柔らかな陽光が校舎の白い壁を照らしている。だが、葵の心はどこか重かった。新しい学校、新しい生活。それなのに、胸の奥にざらつくような不安がこびりついている。


「転校初日か……やっぱり緊張するな」


葵は小さくつぶやき、紺色のブレザーのネクタイを直した。胸の校章には、黒い石のような模様が刻まれている。「黒曜学園」の名前の由来らしいが、どこか不気味な印象を与えた。彼女は深呼吸し、鉄製の正門をくぐった。


校庭は広々としていた。中央には古びた銅像が立っている。学園の創設者を模したものらしいが、苔むしたその姿は、時代に取り残されたような寂しさを漂わせていた。校庭の奥には、蔦に覆われた廃墟のような建物が見えた。噂で聞いた「旧校舎」だ。

立ち入り禁止とされているが、生徒たちの間で怪談の舞台として有名らしい。


葵は校舎に向かい、2年A組の教室にたどり着いた。担任の山田先生に紹介され、クラスメイトたちの視線が一斉に彼女に集まった。好奇心、警戒、興味。さまざまな感情が交錯する視線に、葵は軽く会釈して窓際の席に着いた。


「佐藤さん、よろしくね!」


隣の席の男子が、気さくに声をかけてきた。

目が細く、笑顔が柔らかい。名札には「高橋悠斗」と書かれている。


「あ、うん、よろしく」


葵は少しぎこちなく答えた。悠斗はそんな彼女の様子を気にせず、話を続けた。


「転校生って珍しいんだよね、この学園。どこから来たの?」


「東京……まあ、ちょっと事情があって」


葵は言葉を濁した。悠斗は「ふーん」と頷き、それ以上は詮索しなかった。だが、彼の明るさが、葵の緊張を少しだけほぐしてくれた。


昼休み、葵は弁当を開きながら、教室の雰囲気を観察した。生徒たちはグループに分かれ、楽しげに話している。だが、どこか奇妙な空気を感じた。

会話の端々に、「旧校舎」「七不思議」といった言葉がちらつく。興味を引かれた葵は、悠斗に尋ねた。


「ねえ、七不思議って何?」


悠斗は一口食べかけていたパンを慌てて飲み込み、目を輝かせた。


「お、気になる? 黒曜学園には、めっちゃ有名な七不思議があるんだよ。ほら、校庭の奥に見えるでしょ、あのボロボロの建物」


悠斗が指差した先には、校庭の端にひっそりと佇む旧校舎があった。窓ガラスは割れ、壁は蔦に覆われている。まるで時間が止まったような廃墟だ。


「あれが旧校舎。七不思議は全部、あそこに関係してるって話。たとえばさ、夜中に動く銅像とか、音楽室で勝手に鳴るピアノとか……」


「動く銅像?」


葵が眉をひそめると、悠斗はニヤリと笑った。


「そうそう。校庭のあの銅像、夜になると別の場所に移動してるって噂。まあ、ただのガセだと思うけどね」


葵は思わず校庭の銅像を見やった。昼間の光の下では、ただの古い像にしか見えない。だが、悠斗の話が頭に引っかかった。推理小説が大好きな葵にとって、「七不思議」という言葉は、好奇心をくすぐるキーワードだった。


2.

放課後、葵は図書室に向かった。七不思議についてもっと知りたかったのだ。図書室は新校舎の3階にあり、静かな空間に古い本の匂いが漂っている。


葵は「黒曜学園 歴史」といったキーワードで資料を探したが、具体的な情報は見つからない。代わりに、書架の奥に隠されていた古いノートを見つけた。表紙には「七不思議」と殴り書きされている。


「13番目の窓、動く銅像、幽霊ピアノ、3階の鏡、開かない教室、消えない足音、黒曜の影……」


ノートには、七つの怪奇現象が箇条書きで記されていた。だが、詳細は曖昧で、どれも都市伝説の域を出ない。葵がノートを読み進めていると、背後から声がした。


「それ、読んでも時間の無駄よ」


振り返ると、長い黒髪の女子生徒が立っていた。

3年生の名札に「三浦怜」とある。

怜は冷ややかな目で葵を見下ろし、続けた。


「七不思議なんて、子供騙しの話。興味があるなら、直接旧校舎に行ってみたら?」


「旧校舎? 立ち入り禁止なんでしょ?」


葵が返すと、怜は小さく笑った。


「禁止されてるから面白いんじゃない。もし本気なら、私も付き合ってあげる」


その提案に、葵の心が揺れた。危険かもしれない。でも、謎を解きたいという衝動が抑えられない。

そんな彼女の様子を見て、怜は一歩近づいた。


「佐藤葵、でしょ? 転校生の噂、聞いてるわ。頭がいいって。だったら、ただの噂話で満足しないよね?」

怜の言葉に、葵は思わず頷いていた。


その夜、葵は悠斗を誘い、さらにもう一人、1年生の小林美月が加わった。美月はオカルトマニアで、七不思議の話を聞いて目を輝かせていた。図書室で偶然出会った彼女は、ノートを見た瞬間、興奮して叫んだ。


「やばい! めっちゃ面白そう! 旧校舎、絶対ヤバいよ! 幽霊とか出るかな!」


美月のテンションに、悠斗は苦笑いした。


「いや、俺、ホラーはマジで苦手なんだけど……葵に頼まれたから、仕方なくね」


こうして、4人の「探偵クラブ」が結成された。

最初の目標は、七不思議の一つ「動く銅像」の真相を確かめること。葵はノートに書かれた噂を思い出し、銅像の周辺を調べる計画を立てた。


「夜の校庭で銅像をチェックする。移動してるなら、地面に何か痕跡があるはず」


葵の提案に、怜は静かに頷いた。


「いいわ。準備はできてる?」


「うん。でも、なんで怜先輩、こんなことに興味あるの?」


葵の質問に、怜は一瞬目をそらし、答えた。


「ただの気まぐれよ。さ、行くわよ」


3.

夜9時、校庭は静まり返っていた。月明かりが銅像を照らし、昼間とは異なる不気味な雰囲気を漂わせている。葵、悠斗、美月、怜の4人は、懐中電灯を手に校庭に集まった。校舎の窓は暗く、まるで誰もいない世界に迷い込んだようだった。


「本当にこんな時間に学校来るなんて……バレたら停学だぞ」


悠斗が小声でぼやく。美月は逆に興奮気味だ。


「バレなきゃいいじゃん! ほら、銅像! めっちゃ不気味!」


銅像は、昼間と同じ位置に立っていた。だが、葵は違和感を覚えた。台座の周囲の地面が、微妙に乱れている。まるで何かが動いた痕跡のようだ。


「これ、土が掘り返されてる……」


葵が呟くと、怜が冷静に言った。


「ただの風や動物の仕業かもしれない。証拠がないと、噂の域を出ないわ」


葵は懐中電灯で地面を照らし、注意深く観察した。

すると、台座の裏側に、細かな傷のようなものが刻まれているのに気づいた。傷は、まるで誰かがナイフで彫ったような不規則な模様だった。


「これ、ただの傷じゃない……何か文字みたい」


葵が指でなぞると、模様は「1945」と読めた。学園の創設は戦後のはず。なぜこんな古い年号が?


その時、背後でカサッと音がした。4人が一斉に振り返る。暗闇の中、校庭の奥で何かが動いた。

いや、動いたように見えた。懐中電灯を向けても、誰もいない。だが、葵の背筋に冷たいものが走った。


「ね、ねえ、今の何!?」


悠斗が声を震わせる。美月は逆に目を輝かせた。


「やばい! 幽霊! 絶対幽霊!」


「静かにして」


怜が鋭く制し、葵に目配せした。


「佐藤、どう思う?」


葵は深呼吸し、冷静さを取り戻した。


「誰かがいたのかもしれない。もしくは……本当に何かあるのかも」


その言葉を合図に、4人は銅像の周りをさらに調べ始めた。すると、台座の底に、隠された小さな隙間を見つけた。葵が手を伸ばすと、中から古い革製のノートが出てきた。表紙には「黒曜の記録」と書かれている。


4.

ノートを開くと、くすんだ紙に細かな文字がびっしりと書かれていた。1945年、戦時中の学園の様子が記されている。だが、内容は断片的で、奇妙な記述が目立つ。


「黒曜石の力を封じるため、七つの刻印を……」


「旧校舎の13番目の窓が開く時、災いが……」


葵はノートを読み進め、背筋がぞくっとした。七不思議の起源が、このノートに書かれているのかもしれない。だが、ページの多くは破れており、全体像はつかめない。


「これ、持って帰って調べた方がいいよね?」


美月が提案したが、怜が首を振った。


「ここに置いておくべきよ。持ち出すと、誰かに見つかるかもしれない」


葵は迷ったが、怜の意見に同意した。ノートを元の場所に戻し、4人は校庭を後にした。だが、葵の頭には、ノートに書かれた「黒曜石」や「13番目の窓」という言葉がこびりついていた。


5.

翌朝、葵が教室に入ると、机の上に奇妙なものが置かれていた。小さな黒い石。表面は滑らかで、まるで光を吸い込むような黒さだった。葵が手に取ると、冷たく、かすかに脈打つような感覚があった。


「何、これ……?」


悠斗が隣で覗き込み、顔をしかめた。


「うわ、気持ち悪いなそれ。どこから?」


「知らない。誰かが置いたんだと思うけど……」


葵は石をポケットにしまい、胸騒ぎを覚えた。

授業中も、黒曜石のことが頭から離れない。昼休み、葵は怜に石を見せた。


「これ、旧校舎の黒曜石と関係あると思う?」


怜は石を手に取り、じっと見つめた。彼女の表情が一瞬、硬くなった。


「かもしれない。気をつけなさい、佐藤。この学園には、触れるべきじゃないものがある」


その夜、葵は夢を見た。暗い校庭、動く銅像。そして、銅像の目が自分を見つめ、ゆっくりと口を開く。


「黒曜の門は開かれた。お前が選んだのだ」


目が覚めた時、葵の手には、あの黒い石が握られていた。ポケットに入れたはずなのに。


6.

翌朝、葵は鏡の前で深呼吸した。黒曜石は机の引き出しにしまってある。夢の記憶はまだ鮮明で、背筋が冷える。だが、葵は恐怖を振り払うように首を振った。


「ただの夢だ。怖がってちゃ、謎は解けない」


学校に着くと、探偵クラブの4人が再び集まった。悠斗はまだ怖がっているが、美月は興奮を隠せない。怜はいつもの冷静な態度で、次の計画を提案した。


「次は、音楽室の幽霊ピアノ。準備はできてる?」


葵は頷き、胸に手を当てた。ポケットには黒曜石が入っている。重い、冷たい感触。それが、彼女を次の謎へと導いている気がした。


「絶対、真相を突き止める」



黒曜学園の七不思議。その一端が、葵たちの前に姿を現し始めていた。

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