三日目 正体その三(2025/08/28更新)

「……は? 何それー! 聞いてないよ!」


 灯りがまばらな、夜の公園に大沢おおさわユリカのな声が響き渡った。

 しばらくすると声は消え、辺りに夜の静寂が戻っていく。


 ユリカは叫び終わると、静かに夜空をあおいだ。

 真一文字に結ばれた、口が開く。


「吸血鬼……」


 自ら口に出した単語を、噛み締める。

 猫の目のような、大きな青い瞳はじっと見つめられると、吸い込まれそうになる。


「現実にいるんだね。それがあたし達?」


 隣の人物、父親の大沢おおさわ安里アンリは、その声と姿に心を掴まれた。


(お母さん……詩音しおんちゃんも昔、同じことを言っていたな——)


 感傷はさておき——安里はまず、ユリカの質問に答えた。


「そうだな。……もあなたも、同じ穴のムジナだ」


 かつて詩音に返した、言葉そのままをユリカにも返した。

 少し照れくさい、とばかりに顔をしかめる。


 安里はその感情を、ユリカに悟られないように、そっと手で顔をおおかくす。

 そのまま話を続けた。


「血の欲求には個人差はあるけどな。親とか兄弟とかでも、だいぶ違うと思う」


 ユリカが黙ってうなずく。

 安里は慎重に言葉を選び、話を始めた。


「お父さんの場合は——もう二十年以上前のことで時効だし、言っちゃっていっかな」


 ふたこと目は、先ほどとは打って変わった調子になる。

 その口調と声は、何かが吹っ切れたように軽かった。

 しかし、次の言葉と共にその表情は、うれいに満ちてしまう。


「うん、ユリカの反面教師になろうか」


 かつての自分を語る父親の表情は、コロコロと変わる。

 不自然なくらいに——。


「お父さん……」


 何かを伝えたいが、上手く言葉にはできない。

 娘は父親を呼ぶことしかできずにいた。


 安里はこの言葉を、胸のうちに仕舞しまい込んでしまおうと考える。


(本当は胸の内を全部、洗いざらい話して、少しでも気持ちを楽にしたい)


 この暗い気持ちは、子どもの前では出したくはなかった。


(でも、その役割は重過ぎる。それはこの子の役割ではない——)


 安里は顔を覆っていた、手をどける。

 するとユリカには見覚えのある、子どもような笑顔が現れた。


「何? 若い時のイキった犯罪自慢?」


 口に出して直ぐに、ユリカは先ほどの父親に対する発言は、失言だと自覚する。


(あ、しまった! これは言い過ぎたかも)


 それが思いっきり、顔に出てしまったのだろう。


 安里が眉間にシワを寄せ、指で押さえながら自嘲じちょうした。


「うーん……自慢、ではないな。むしろ逆だ」


 しばらくののち、父親から飛び出してきたのは、想像もしていない言葉だった。


「……俺は若い頃、血の欲求に抗えなかった」


「お父さんもなの?」


「夜な夜な自宅を抜け出してな——人を襲って、その血をすすっていた……らしい」


「……は?」


 ユリカの目からうろこが落ちた。


「人を襲った? お父さんが? 血を吸うために?」


「——そうだ」


 安里がユリカから目線をそらし、肯定こうていした。

 同時に、この瞬間、ユリカの心の中にあるパズルのピースがピッタリとはまる。

 目の前いる安里の口から、直接語られることがその証拠になった。


「その、襲っていた……記憶はないけれど、自分自身のことだ。感覚でわかる」


 幼い頃から時折ときおり、父に感じていた、よくわからない感情の正体はこれだったのだ。

 父親である、安里に対する畏怖いふの念——。


「え、ちょ、ガチの犯罪じゃん」


 ユリカは考えがまとまらず、思ったことが口をいて出てしまった。

 安里はそれを受け止め、話を続ける。


「今のあなたなら、わかると思う。あの強烈なの感覚は……理性でどうにかできるもんじゃない」


 ——確かに。

 そのひと言を、ユリカは静かに飲み込んだ。


「そうだけど……。お父さんの場合は、色々とヤバいでしょう」


 思わず同意してしまうが、直ぐに否定をした。

 娘にあきれられつつ、父は過去を語る。


「まあ、そうだよな。それで、地元では大騒ぎになってな。騒ぎが収まるまで、っていう約束で——俺は地下の座敷牢にぶち込まれた」


「…………」


 ユリカが絶句する。

 しかし、すぐに落ち着きを取り戻し、父親の次の言葉を引き出そうとした。


「地下の座敷牢って……あたしは、そんなの見たことも聞いたこともないよ」


 ここで安里は、ふーっ、と大きく息を吐いた。

 背中を嫌な汗が流れ落ちていく。

 気持ちを少しだけ落ち着け、話を続ける。


「うん。今は地下への入り口も塞いであるし、誰も話題にもしない。皆、忘れたいんだよ……」


 そう言って、安里はユリカから視線を外し、目を伏せる。

 その様子が痛々しく、ユリカは黙ってしまった。


「それで、続きな。事件そのものは、大沢家は地元の旧家だったこともあって——」


 一瞬だけ、言葉に詰まる。


「結果的に俺自身は、おとがめなしで済んだ。その後は普通の生活に戻ったよ」


「——え? そうなの? ああ、でもそうか。お父さん、今は普通に生活できているものね。普段はお仕事行っているし。うん……」


 不謹慎ふきんしんにも、ユリカは胸の高鳴りを感じずにはいられず、続きを促す。


「それで、続きは?」


 安里はホッとした表情で話を続ける。


「一族全体みても、ここまでやらかした奴は……今まで奇跡的にいなかったみたいで。まー、内輪では大騒ぎだった……らしい」


「らしい?」


 ——自分のことなのに?

 そんなユリカの疑問は、直ぐに解消する。


「当時は……えーと、まる一年間くらいかな。記憶が……無い? いや、あいまいで、その……」


「お父さん、無理しなくていいよ」


「いや、平気だよ。あなたにとっても、大切なことだから。俺の話を聞いてほしい」


 そう言って、安里は目を閉じて深呼吸をした。

 ユリカが悲しそうな声でポツリ、とつぶやく。


「……変なの。お父さん自身がおぼえていないのに、気に病んでいるなんて」


「そうか? そんな気に病んでるように見えるかな。罪は罪だしな」


 ユリカが安里を横目でチラリ、と見た。


「見える。今にも倒れそうだよ。ひどい顔色」


 ユリカの言葉を受け、安里が顎に手を当てる。

 何かを考えだしたようだ。

 やがて、その手が口元を押さえる。


「……ちょっと、気分悪くなってきた」


 そう言って真っ青な顔をした安里が、うつむいてしまった。

 その動きに合わせて、ブランコの鎖が小さく動く。


「お父さん、大丈夫?」


 ユリカが心配そうに、安里の顔を覗き込む。


「ああ、ごめんな。昔のことを思い出していたら、色々と変なこと考えちゃって……吐きそうだし、気絶しそう」


「ちょ……! ここで倒れられるのは困る! 何? どういうこと?」


 安里に引きずられてしまい、ユリカは不安になってしまう。


「ふう、ごめん。言い方が悪かった。まー、なんとか平気だ」


 そう言って、安里はごまかすように頭をかいた。

 娘といえど、父の感情は見えなかった。

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