三日目 再会そのニ(2025/07/28更新)

「……さっきの言い方は怖かったよね、ごめんね。ユリちゃん」


 先に折れたのは、杉浦月下すぎうらげっかだった。

 謝罪と共に扉から手を離す。


 バタン——


 それは、彼女なりの返事のつもりなのだろうか。

 扉が音を立てて閉まった。


「そのままでいいから、僕の話を聞いて」


 扉の向こうにいる彼女に向かい、彼は静かに語り始めた。


「あの、この間……おとといはその、無理矢理で、ごめんなさい。僕、自分勝手だったよね。コレ、きのう他の人から言われたんだ……」


 慎重に、使う言葉を選び、口にする。


「あ、えっと、他の人っていうのは、ルカじゃなくて、その、あの、ええと……ごめん」


 嘘はつきたくない。

 そう思えば思うほど、言葉が詰まり、出てこなくなる。


「ここ数日、ちょっと色々あって。今は言えないけど……。必ず、話せる時が来たら、全部言うよ——ぜんぶ、全部」


 伝えたい事は沢山あるが、踏ん切りがつかない。

 今は濁すので精一杯だった。


(こういうのが、自分勝手って言われる原因なのかな)


 杉浦は床に視線を落とし、思う。

 思い通りにならない、情けない思いでいっぱいになり、肩を落とした。


「僕は、『あの事件』のあと……倒れて、目が覚めた後からだけど。生まれ変わったと思うんだ。だって、そうでしょう? あれから僕は……おかしくなっちゃったんだよ!」


 段々と話に熱がこもる。

 その表情は困ったような、泣きそうで、悲しみをたたえた瞳をしていた。

 ——たぶん彼自身も、その感情の名前は知らないだろう。


「おかしくなった——でも、それで何をやっても良いってことはないけど、ね。本当の僕を知ったら、君は僕の事……」


 ——嫌いになる。


 この一連のセリフは、彼女には聞こえないように。

 飲み込むように、呟いたつもりだ。


「最近、思うんだ。たまに、自分自身が何なのかわからなくなる。僕はここにいて、いいのかな?」


「……」


 彼女からからの反応はなかった。

 それでも彼は自分の思いの丈を、洗いざらい、ぶちまける。


「僕の、おかあさんだって……。多分僕の事、嫌いだよね。恨んでいるハズ。だって」


「けーくん!」


 最後の言葉は、扉の向こう側からさえぎられた。

 杉浦は内心、ほっとする。

 その先は、口にはしたくない。


 ——だって、おかあさんは僕のせいで死んだんだ。


 言葉にしてしまえば、それはのろいになってしまう。

 そんな気がした。



 少し間をおき、扉が開かれた。

 夕日を背に、ユリカの姿が現れる。

 疲れと悲しみ、怒りも混じった複雑な表情がそこにはあった。


「そんなこと、言わないで!」


 ユリカが叫んだ。

 その先は、彼女がずっと言いたかった事だった。


「けーくん、あなたは悪くない! あたしはどうしたら、あなたを救えるの?」


 本当は彼の胸に飛び込みたい。

 その気持ちを抑えるために、ドアノブを握る手に力がこもる。


「え?」


 杉浦は久しぶりに聞く呼び方に戸惑いを隠せず、思わず声を出す。


「ユリちゃん、どうしたの?」


 呆気にとられて、平静を取り戻した杉浦が尋ねる。


「どうしたって……さっき言っていたこと。あなたのおかあさんの話。今までずっと、誰にも言えなくて、苦しかったんじゃないの? 本人の口から、やっと聞けて安心した」


 ユリカが微笑む。

 相変わらず、彼女は物理的に一定の距離はとっている。

 しかし、心の距離は無くなったように見えた。


「……うん。そうかな。話したら楽になったかも。でも、どうして今、急に話せたのかな……? きのう一日、君に会ってなかったから?」


 彼は照れたように微笑む。


「そうだ、帰る前に少し話そうよ。こっちにおいで」


 杉浦が手まねきをした。

 そのまま、椅子代わりの階段に腰掛ける。


「それは無理。……今は隣には居られないの。ごめんね」


「そっか。よくわかんないけど……。分かった」


 ユリカの謎めいた回答を、杉浦は受け流すことにした。

 彼はボンヤリと、窓越しに沈みゆくオレンジの空を眺め始めた。


「あれ? 耳に絆創膏貼ってる。怪我したの?」


 ユリカが杉浦の髪の間から、見え隠れする絆創膏を指差す。


「ん? ああ、コレね。ピアスが引っかかって、耳ちぎれちゃった」


 耳を触りながら、あいまいに誤魔化される。

 絆創膏の隙間から血がしたたり、頬をつたった。



「……そう」



 素っ気ない返事だった。

 ここで声の持つ温度が、一気に消えてしまったように感じた。


 ユリカの声色は、普段とはまるで別人のようだ。

 例えるなら——魂が抜け出してしまった、抜け殻の声、だろうか。

 目線は頬の赤いすじを追っているように見える。

 その青い瞳には、一体何を映しているのだろうか。


「ユリちゃん?」


「……なあに?」


 ユリカの発するその声に、杉浦は寒気がした。

 今の自分も他人からは、『こう』見えているのだろうか。

 そう考えると、途端に恐ろしく感じる。


 彼女が近づいてきた。

 思わず後ずさってしまう。

 背中に冷たい汗が流れた。


 すっかり薄くなってしまった、肩を掴まれる。

 杉浦は動けず、固まってその場にとどまった。

 そのまま押し倒され、ふたりは踊り場の床に倒れ込んだ。


「……ああ、勿体無もったいない」


 絆創膏から、溢れ出る赤を舌ですくわれる。


「——ひぃっ!」


 思わず声が出る。

 彼女はそんなことはお構いなしだ。

 ふいに、やわらい唇が首筋に触れた。


 ——ブチン!


 何か弾けたような、鋭い痛みが走る。

 同時に叫ぶ。


 ——っつ!——


 それは声にならなかった。

 喉の奥で何か詰まる感覚がする。


「ごぼっ」


 視界が赤く染まる。

 吐き出されたのは、空気ではなく鮮血だった。

 息ができない、苦しい。


「げほっ」


 抵抗しようと、もがこうとした。

 しかし、上手く体が動かない。声も出せない。

 もっとも、今の彼には彼女を振り払える力は残ってはいないのだが。


 彼女は杉浦の様子をうかがうことはなかった。

 ただひたすら、首筋に喰らいつき、溢れ出る血をすすっている。


 いま、彼女はどんな表情をしているのだろうか。

 何を考えて、こんなことをしているのだろうか。

 恐怖心が勝ってしまい、現実を見る事はできなかった。


「……」


 杉浦は恐怖と諦めの中、静かに目を閉じた。

 暗闇の中で、ただひたすらに祈る。

 この悪夢のような時間が終わる、その瞬間を待っていた。

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