一日目 帰路(2025/06/07更新)

 夜に沈んだ学園前のバス停に、男女ふたりの姿が見えた。


「バス、行ったばっかりかあ」


 ユリカは時刻表を見つめて、不満を隠さず口にした。


「そうだね。次は三十分後に最終バスが来る、って」


 同じく杉浦が時刻表を見つめて、付け足した。


「杉浦がさっさと終わらせないから……」


 ユリカがぽつりと愚痴ぐちる。

 杉浦にはその言葉は届いていない。

 だが、すぐに気持ちを切り替え彼に尋ねた。


「歩いて帰る? 月が綺麗に出ているよ」


 ユリカは夜空に浮かんだ月を指し示した。


「そうしようか。僕、まだユリちゃんと一緒にいたいな」


 ぎこちない笑顔で杉浦がユリカに伝える。

 ふたりは月明かりが照らす夜道を、家路に向かって歩き出した。


「月、大っきいね」


 無邪気な様子で杉浦が月を見上げる。


「今日はスーパームーンだって。このあいだのニュースで言っていたよ」


 ユリカも月を見上げる。

 杉浦が「へー」と生返事をして、急に立ち止まる。

 すらりと伸びた長身が傾き、ふらついた。


「杉浦、どうしたの?」

「……ちょっと、クラクラする」


 消え入りそうな声で、杉浦が地面にへたり込む。

 嫌な予感がした。

 必死に呼びかけて、彼の意識がこの場にとどまってくれるよう、ユリカは慌てた。


「大丈夫だよ」


 杉浦が返事をし、ゆっくりと立ち上がる。

 同時に風が流れた。

 月の下に照らされた、その姿は相変わらず儚くも美しい。

 彼は今にも、風と共にこの世界から溶けて消えてしまいそうだった。

 綺麗さと底知れぬ何かを、同時に身にまとっているようにも見えた。


「大丈夫、だから一緒に帰ろう」


 青ざめた顔で手を差し出す。


「……うん」


 ユリカは差し出された手を取り、しばし見つめる。

 モヤモヤな気持ちを抱えたまま、彼女はうなずいた。


「さっき気がついたんだけど。杉浦、またピアスの穴増えた?」


 月明かりの下を並んで歩く。

 ユリカは少し戸惑いながら、杉浦に尋ねた。


「うん。カッコいいでしょ?」


 彼は髪をかき上げ、普段は隠れている耳を出した。

 月明かりにシルバーのピアスたちが鈍く輝く。


「いけないんだー。耳だけ校則違反じゃない」


 ユリカがからかいつつも、微笑ましく見つめた。


「もー。からかわないでよ」


 杉浦の表情は、言葉とは逆で少し嬉しそうに見えた。


 彼の制服はシワもなく、シャツのボタンもきっちりと止めてあり、ネクタイも真っ直ぐに締めてある。

 顔さえ見なければ、優等生然ゆうとうせいぜんとした佇まいだ。


「ユリちゃんはピアスしないの?」

「痛そうだから、あたしは遠慮しておく」

「そうなんだ。お揃いとかしてみたかったのにな」


 杉浦がしゅん、と沈む。肩が下がり、背の高さが少し縮んだ気がした。


 ふたりは夜道を家路に向かって進む。

 彼の耳からピアスがひとつ、無くなっていた。

 この時のふたりはまだ、それに気がつかない。

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