第15話 : コーチという名のスナイパー



 ──スクリム。

それは、実戦形式の練習試合。

同世代の高校生チームではなく、プロを目指す学生選抜チームとの合同練習だった。


「……全滅。1分26秒でラウンド終了、こちらはノーダメで4人落ち」


冷静な司の声が部室に響く。モニターには、さっきまでの試合映像が巻き戻され、再生されていた。


「マジかよ……一瞬だったじゃん」


一真がヘッドセットを外し、髪をかきあげながらため息をつく。


狩谷は黙ったまま、キルカメラの映像に目を細めていた。何度見ても、敵の射線管理と連携は正確無比だった。こちらの動きが完全に読まれていたかのように、ポジション取りも、タイミングも、一枚上だった。


「くそ……。この数週間、あれだけ練習してたのに……」


輝が絞り出すように言う。口元は悔しさで引きつっていた。


地区大会準優勝からの勢いで、本選出場を決めたSEIRAN。だがその後、強豪とのスクリムで連敗が続いていた。どれだけ戦術を練っても、反応を磨いても、格の差を突きつけられるような試合ばかり。


「……俺たち、通用しないのかな」


ぽつりと呟いた輝の言葉に、誰も返事ができなかった。


 


その日の帰り道、紗夜はスマホを握りしめたまま、昴の部屋の前に立っていた。


兄はまだPCの前に座り、コーヒーをすすっている。今はプレイヤーではなく、フリーの戦術研究者としてゲーム雑誌や戦術分析の仕事を請けているが、FPSへの熱は冷めていない。


「ねえ、お兄ちゃん」


紗夜が切り出すと、昴はモニターから目を離した。


「……なんだ」


「SEIRANってチーム……。今、すごく頑張ってるんだけど、強豪とスクリムしても全然勝てなくて……。みんな、悔しそうで。だけど、すごく真剣なの。……だから、お願い。ちょっとだけでいいから、教えてあげてくれない?」


昴はコーヒーを置き、少し目を細めた。


「……俺はもう、教える立場じゃないよ」


「でも、お兄ちゃん。昔、言ってたよね。“勝負は、支える誰かがいてこそ”って。ねえ、ほんの一日だけでもいい。お願い……!」


その瞳に宿る真剣さは、昔、夢を追っていた昴の目に似ていた。


 ──その翌日、FPS部の扉がノックされた。


「失礼する」


静かな声とともに現れたのは、黒いフレーム眼鏡に落ち着いたジャケット姿の男だった。


「えっ……?」


最初に反応したのは司だった。が、その目はすぐに驚きへと変わる。


「まさか……望月昴?」


「一日だけ、付き合ってやるよ。お前たちが、どこまで本気なのか。見せてくれ」


 


こうして、“白鷺のスナイパー”がSEIRANにやってきた──。




「じゃあまず、今のスクリムのリプレイを見せてくれ」


昴の指示に、司が録画を再生する。映像には、序盤から押し込まれ、なすすべなく崩れていくSEIRANの姿があった。


「ふむ。敵は“ハーフラッシュフェイク”からのサイト取りか。開幕でBに圧かけて、情報拾わせてA寄りに回した……。で、ここ」


昴はマウスを操作し、映像を一時停止する。映っていたのは、輝がAサイトに単独で踏み込もうとしていた場面。


「ここで、結城が動いた理由は?」


「えっ……いや、なんとなく。敵が引いた気配がしたから……」


「“気配”ね」


昴の口調は冷たくはなかったが、はっきりしていた。


「感覚に頼りすぎてる。“なんとなく”で動くと、読み合いに負けたとき一瞬で潰される。自分が“動く”ってことは、それだけチーム全体に影響が出る。自覚してるか?」


その言葉に、輝は言い返せなかった。


「でも、結城の強さって直感ですよ。それがあるからこそ――」


庇おうとした南条に、昴は静かに首を振った。


「否定してるわけじゃない。直感は武器になる。だが、それがチームの足を引っ張るなら、使いどころを見極めるべきだ」


司が小さく頷いた。


「……合理的だな」


「神代、お前は逆に理屈に寄りすぎだ。戦況を“正しく”見ることばかり考えてると、変化への対応が遅れる」


「……」


「“敵がこう動くだろう”という“仮定”に縛られすぎると、読まれた瞬間に死ぬ。大事なのは“仮定”と“直感”を両方活かす、バランス感覚だ」


部室が静まり返った。


昴の言葉はどれも正確で、的確だった。攻め立てているわけではない。ただ、ひとつひとつの指摘が本質を突いていて、皆が黙って聞き入るしかなかった。


「狩谷。お前のスナイピング、射線管理は正確だ。けど、味方との連携が薄い。索敵は単独でやるものじゃない」


「……チームとリンクしろ、ってことか」


「ああ。一人で撃って一人で死ぬスナイパーに意味はない」


言葉を投げられた狩谷が、わずかに口角を上げた。


「……それ、昔、俺が言われたことある」


かつて彼が憧れた“白鷺のスナイパー”に、同じ言葉を投げ返される日が来るとは思わなかった。


「南条。一番チームの空気を見てるのはお前だろうな。だが、空気を読んで合わせるだけじゃなく、“仕掛ける”ことも覚えろ。お前が動けば、皆のリズムが変わる」


「う……わかってはいるんスけど、怖いんスよ。ミスって足引っ張ったら……」


「いいじゃねぇか、ミスっても。それを“次に繋げる”のがチームだ」


その一言で、南条の目がわずかに変わった。


「今日一日で、全部は変わらない。けど……お前らは、変わる素質がある」


昴は言った。


「練習メニュー、組んでやるよ。2週間分だ。それで何か掴めたら……その時はまた考える」


「え、それって……!」


輝が身を乗り出す。


「“また考える”ってのは、もう少し一緒にやってもいいってこと……?」


昴は口元だけで微笑んだ。


「どうなるかは、お前ら次第だ」


その背中が、部室を後にする時、誰もが心のどこかで確信していた。


この人は、きっと戻ってくる。


 “コーチ”として。




その日から、SEIRANの空気が変わった。


昴が組んだ練習メニューは、正直、地味でキツかった。

毎日同じマップでの戦術確認、1on1での徹底したタイミング調整、各ロールごとの役割理解と細かいフィードバック。


だが、その一つひとつが確実に彼らを変えていった。


「輝、そこ! 足音立てるな、音でバレてる!」


「うわ、バレてた!? えっ、なんで……?」


「足音と、味方のカバー位置がずれてる。ここで前に出るのは自殺行為。味方のヘルスも見とけ」


「うぅ……ッス!」


輝は額の汗をぬぐい、深呼吸してからマウスを握り直す。


これまでの自分なら、勢いだけで突っ込んでいた。だが今は、「自分が動くことで、チームの流れがどう変わるか」を考えるようになった。


一方、司は昴にこう言われていた。


「お前は、情報を集めすぎる。すべてを見ようとしすぎて、肝心の判断が一歩遅れる」


だからこそ、今、彼は“見ない勇気”を覚えようとしていた。


「狩谷、今のキル、ナイスだったけど……」


「……味方との報告ズレてた。カバー来る前に撃ったの、悪手だったな」


「そういうことだ。報連相ってのは、戦場でも基本だ」


狩谷のスナイピングは冴えていた。だが今は、戦うだけでなく、支える狙撃手を目指していた。


南条は、サポートとして自分にできる“積極的な動き”を試し始めていた。


「輝、こっちカバー入る! 行け!」


「ナイスカズ兄!」


これまで“裏方”だった南条の声が、チームの攻めの合図になり始めていた。


そして——そのすべてを、昴は静かに見ていた。


モニター越しに、まるでかつての自分を重ねるように。


(……指が、動かなくなっても)


(戦いの熱は、こんなにも目の前にある)


気づけば彼は、毎日SEIRANに顔を出すようになっていた。


正式な“コーチ”という肩書きはないままに、それでも自然と、皆の間でその存在は“不可欠”になっていた。



ある日の放課後。


部室に残ったのは、輝と昴、そして司だけだった。


「なあ、昴さん」


輝がマウスを握ったまま、ふと口を開いた。


「もし、おれらが……全国どころか、世界を目指すって言ったら、笑います?」


昴は椅子にもたれたまま、ほんの少し間を置いた。


「……笑わねぇよ。むしろ」


そこまで言って、昴は一度言葉を切り、続けた。


「見てみたいって思ってる。お前らが、どこまで行けるのかをな」


それは、まさにプロだった彼の目——“本気”の眼差しだった。


司が静かに言う。


「俺たちは、まだ形になりきっていない。けど……今は、可能性だけなら誰にも負けてないと思ってます」


「……いい目してんな、お前ら」


昴は、椅子から立ち上がった。


「だったら、俺も腹を括るか」


輝と司が同時に顔を上げる。


「正式に、コーチとしてお前らを見る。言っとくが、甘くはしねぇぞ。俺の全てをぶつけるつもりでやる」


輝が、拳を握る。


「……やった!!」


「ありがとうございます」


司が頭を下げた。


そして、部室のドアが開いた。


「うわ、みんな! 聞いて聞いて! 次の大会、公式の強豪校とスクリムの話、決まったって!」


そう飛び込んできたのは、紗夜だった。


その声に、輝たちの表情がさらに引き締まる。


「よっしゃ、さっそく腕試しだな!」


チームに、新たな追い風が吹いていた。


——“コーチ”という名のスナイパーを得たSEIRAN。

その成長は、ここからさらに加速していく。



日曜日、夕暮れ前。

高校生限定のオンラインスクリムが始まろうとしていた。


対戦相手は、昨年度ベスト8に入った強豪校・私立旭陵高校。

スクリムとはいえ、公式戦とほぼ変わらぬ環境で行われる実践形式の練習試合だ。


「緊張してるか?」


昴の問いに、輝は大きく深呼吸をして、笑った。


「ちょっとだけ。でも、それよりワクワクしてます。どれだけ通用するか、確かめたいんで」


「上等だ。相手は連携の鬼だ。油断すんな」


司がマップを指差しながら言う。


「序盤は情報優先。無理に仕掛けない。中盤以降、南条のスモークと狩谷のロングを軸に、輝が切り込む形でいく」


「オッケー、全部任せて」


「絶対勝つぞ。これ、全国に繋がる試金石だ」


「了解ッス」


そして、モニターに試合開始のカウントダウンが表示される。


 5

 4

 3

 2

 1——


 MATCH START



 1ラウンド目。


SEIRANは慎重にラインを上げていく。


南条のスモークが通路を遮断し、司のスキャンが敵の位置をピンする。


「敵、Aポイント2、CT側に回ってる! 狩谷、ライン合わせて!」


「了解」


静かにライフルを構えた狩谷が、スコープ越しに敵の頭を正確に捉える。


 バンッ


「ワンキル。次、進行する」


「輝、今だ!」


司の声に合わせ、輝が飛び込む。


音もなく滑り込むように敵の裏を取る——


パン! パン!


 二人抜き。


「よっしゃあああああ!!」


「いい判断だった、輝!」


スクリムとは思えないほど、白熱した戦いが続く。


中盤、やや劣勢になった局面でも、昴の的確なアドバイスが飛ぶ。


「落ち着け、敵は前よりも連携甘い。攻め急ぎすぎてる。狩谷、ここで一本抜けるか?」


「やってみる」


狩谷の銃口が静かに揺れる。


 ズン


 音が鳴った瞬間、敵のキーピースが沈んだ。


「抜いた。A、空いたぞ」


「全員、Aに転進! スモーク撒いて、設置!」


 南条の声に全員が応じ、ラウンドを勝ち取る。



 数ラウンド後。


 最終ラウンド、マッチポイント。


「さあ、ラスト。こっからが勝負」


 輝の声に、チーム全員が集中力を高める。


 戦術、タイミング、報告、カバー——すべてが、これまでの練習の成果だった。


 そして、最後の戦闘。


 敵の残りは1。こちらは輝と司の二人。


「こっちに来る……!」


 直感で、輝が動いた。


 通路の先、スモークが晴れた瞬間。


 バン!


 ヘッドショット。


 敵が倒れ、画面に勝利の文字が踊った。


 YOU WIN


 部室に歓声が響く。


「勝ったあああああ!!」


「すげえよ、マジで……!」


 モニターの向こうで、旭陵高校の代表がチャットを打っていた。


《ナイスゲーム。思ってたよりずっと強かったです》


輝たちは、初めて強豪校との対戦で**“勝利”**を掴んだのだった。



その日の帰り際。


昴は、ひとり部室に残っていた。


だが、そこへ紗夜が顔を出す。


「お兄ちゃん、もう帰る?」


「ああ、ちょっとだけ……見てただけだ」


「でも、すごくうれしそうな顔してたよ」


「……うるせーよ」


それでもどこか、肩の力が抜けたような笑顔だった。


「ありがとう、お兄ちゃん」


そう言って、紗夜は小さく頭を下げた。


「……礼なんていらねぇよ。あいつらが、面白ぇからさ」


昴の視線は、壁に貼られた“全国大会スケジュール”の紙に向けられていた。


「さて……これからが本当の地獄だ」


静かに、そう呟いた。


——だが、それは同時に。

このチームが“本物”になる第一歩でもあった。


 




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