第12章:瘴気の森、共闘の誓い
目的地は、魔王フォラスが支配する隣国、ヴァーグナー王国。かつては豊かな王国だったが、フォラスの支配下に入ってからは、闇の瘴気に覆われ、人々が苦しむ魔の地と化しているという。
魔王フォラスは、この地域に唯一君臨する魔王であり、残忍で狡猾な王として知られている。彼は、この地の歴史上、数々の勇者を討ち破ってきたという恐ろしい逸話を持つ。その姿を見た者はほとんどおらず、伝聞で語られる彼の力は、まさに絶望そのものだった。フォラスは直接的な破壊だけでなく、人々の心に絶望を植え付け、互いに争わせることで、自らの支配を強固にすると言われている。その支配領域は、広大な森と山脈、そしていくつもの小さな村を飲み込み、日々その勢力を拡大させていた。
エマとリオを乗せた馬車は、魔王フォラスの支配領域へと足を踏み入れていた。旅は順調とは言えなかった。道の脇に立ち枯れた木々、淀んだ空気に漂う重い瘴気、そして時折聞こえる魔物たちの不気味な咆哮。森は死の気配を濃厚に纏い、護衛の兵士たちの顔にも疲労と緊張が色濃く浮かんでいた。
そんな中、エマは馬車の窓から外の景色をじっと見つめていた。その瞳には、この地を救うという勇者としての決意と共に、目の当たりにする絶望的な光景に対する戸惑いが混じっていた。リオは、彼女のそんな心情を敏感に察知していた。影の中に身を潜めながらも、彼は常にエマの傍らに寄り添い、彼女の心の揺らぎを感じ取っていた。
その日の午後、馬車は特に瘴気の濃い森の深部へと差し掛かった。突然、周囲の木々が奇妙な音を立てて震え始める。次の瞬間、地面から黒い根のようなものが次々と隆起し、馬車を取り囲んだ。それは、魔王フォラスの魔力によって変質した瘴気魔獣の一種、根妖(こんよう)だった。彼らは、大地から養分を吸い上げ、旅人を捕食する。
「何だこれは!?」
御者が驚きに叫ぶ。護衛の兵士たちが剣を抜いて応戦するが、根妖の身体はまるでゴムのようにしなやかで、剣が当たっても効果がない。さらに、彼らの身体から放たれる瘴気が兵士たちの身体を蝕み、動きを鈍らせていく。
「くっ…!」
兵士の一人が瘴気に冒され、膝をついた。根妖の根が馬車に絡みつき、車体を締め上げていく。軋む音と共に馬車が傾ぎ、エマは慌てて窓から身を乗り出した。
「みんな、大丈夫!?」
エマの声が響く。彼女は勇者としての責務を果たすべく、懐から光の剣を取り出した。それは、勇者に与えられた聖剣だった。
「(兵士たちに気づかれてはならない…! エマに迷惑がかかる…!)」
リオは、焦りの中で思考を巡らせた。瘴気魔獣は数が多い。その全てを、兵士たちの視線を掻い潜って倒すのは、極めて困難だ。しかし、エマを守るためには、この危険を冒すしかない。
リオは、自身の存在感を極限まで希薄にした。馬車の陰から、周囲の森の影へと意識を広げ、自身の影を風景に溶け込ませる。まるで最初からそこに何もいなかったかのように、彼の姿は消え去った。
「影牙!」
リオの影牙が、音もなく最初の根妖の根元を切り裂いた。根妖は音を立てずに朽ち果て、その場に崩れ落ちる。兵士たちは、何が起こったのか分からず、ただ根妖が突然倒れたことに困惑する。
次にリオは、馬車を締め上げる根妖に狙いを定めた。数本の根が馬車に絡みつき、エマを乗せた車体を大きく揺らしている。影渡りで根妖の懐へと滑り込み、影牙を何度も叩きつける。根妖の根が次々と腐敗し、馬車から離れていく。しかし、その際、一本の根がリオの腕をかすった。一瞬、鋭い痛みが走る。瘴気が染み込んだ根に触れた腕が、わずかに黒ずみ、焼けるような感覚に襲われた。リオは顔を歪めるが、声を押し殺し、さらに奥の根妖へと影渡りで移動する。
リオは、兵士たちの視線を常に避けながら、闇に紛れて根妖を狩り続けた。影蝕は、その広範囲の破壊力ゆえに、兵士たちに気づかれるリスクが高い。そのため、リオは影牙と影渡りを主軸に、個々の根妖を確実に、そして静かに葬っていった。
しかし、根妖の数は、リオの予想以上に多かった。そして、彼らが放つ瘴気は、リオ自身の身体にも蝕み始めていた。影を操ることで、瘴気の影響をある程度は軽減できたが、完全に防ぐことはできない。彼の身体は、少しずつ重くなり、呼吸が浅くなっていく。腕の傷も、じくじくと痛みを増していた。
リオの視界の端で、エマが馬車の窓から身を乗り出し、心配そうに周囲を見回しているのが見えた。その瞳には、恐怖と、そして焦りの色が滲んでいる。エマが聖剣を構えようとしているのが見えた。兵士たちが瘴気によって動きを鈍らせ、最大の根妖が馬車へと迫り、エマが飛び降りる寸前だった。
「エマ…! 今だ!」
リオの言葉に、エマが驚いて彼の方を見た。リオは、兵士たちには聞こえない小さな声で、エマにだけ届くように囁いた。
「エマ! 聖剣の光で、奴らの動きを止めてくれ! その隙に、僕が根元を!」
エマは、一瞬の戸惑いの後、リオの意図を瞬時に理解した。彼女は勇者の聖剣を強く握りしめ、馬車から軽やかに飛び降りる。聖剣を天に掲げると、まばゆい光が森に満ち、根妖たちの動きが鈍り、瘴気が一時的に払われた。
その隙を見逃さず、リオは影蝕を発動した。彼の足元から漆黒の靄が立ち上り、光によって動きを止めた最大の根妖を飲み込んだ。根妖は、光と闇の相反する力に挟まれ、断末魔の叫びを上げる間もなく、瞬く間に灰となって崩れ落ちていった。
すべての根妖が消滅し、森に再び静寂が訪れた。護衛の兵士たちは、疲弊し、混乱した顔で周囲を見回す。根妖は消え去っていたが、何が起こったのか全く理解できていなかった。ただ、得体の知れない恐怖と、得体の知れない何かに助けられたという感覚だけが残った。
エマは、リオの元へと駆け寄ろうとした。しかし、その一歩を踏み出した瞬間、リオの姿は、まるで煙のようにふっと消え去った。彼がいたはずの場所には、微かに揺れる馬車の影だけが残されていた。
エマは、ハッと息を呑んだ。兵士たちの視線が、自分と、そして根妖が倒れた場所に向けられていることに気づいたのだ。リオは、自分に迷惑がかからないよう、瞬時に身を隠したのだと理解した。彼女の瞳に、感謝と、そして胸を締め付けるような切なさが宿る。
リオは、馬車の影の中、腕の傷を抑えながら、エマの表情を見ていた。自分の存在を知られずに、彼女を守る。それが、彼の選んだ道だった。
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