第二話 鳴き初めの鶯

 明冶維新の戦乱も落ち着き、今度は諸外国へ追いつかんと、文明開化の嵐が全国に吹き荒れている


 ここは、甲斐の国

帝都東京から離れたこの地にも、昨年鉄道が開通し、文明開化の風が吹き始めた

それに触発されるように、この地でも多くの若者達が東京を目指し始めている


土手の草むらに大の字に寝転がりながら、空を眺めている一人の少年の姿があった

春特有の靄がかった様な淡い青空……

白く薄い雲がゆっくりと流れてゆく


彼の名は、武田隼人たけだはやと

甲斐の山中に母親と二人で暮らす剣道好きなごく普通の少年である

特に渾名も無く、躑躅ヶ崎中学校の皆からは、そのまま「隼人」と呼ばれている


「おーい隼人ぉ! やっぱりここかぁ!」その隼人に、笑顔で声をかけながら近付いて来るもう一人の少年がいた


「あぁ、綱かぁ……」隼人は、彼の方を見向きもせず、空を眺めたまま気のない声で返す


綱と呼ばれたその少年も隼人の横にゴロんと寝転がった


彼の名は、高坂昌綱こうさかまさつな

隼人の幼馴染で、大人しい性格、隼人と同じ躑躅ヶ崎中学校三年二組、学校では常に一番の成績のため天才で通る地元名士の息子である

渾名は「綱」


無言で寝転がる二人の頬を、まだ少し冷たい風が、心地よく撫でてゆく


川のせせらぎの音と共に、まだ鳴き始めたばかりの下手くそな鶯の声が遠くから聞こえて来る


「お前、東京の学校に行っちゃうんだってな もうすぐお前ともさよならか……」先に口を開いたのは隼人だった


昌綱は、少し言い難そうに「あぁ…… なぁ隼人、それなんだけど…… 休みに僕と一緒に東京まで来てくれないかな? 下宿先の下見をしたいんだけれど、一人だとやっぱり何か心細くて……」


隼人は、その昌綱の言葉に驚いて飛び起きた

「えっ!? 二人でか? いつもみたいに、爺やと行けば良いじゃないか?」


「いや、実は、どうせ下宿で一人暮らしするんだから、一人で行くって啖呵を切っちゃったんだよ…… けど、やっぱり一人だと……」


「ははっ! そんな事を言うなんて、天才のお前にしたら珍しいな」少しはにかみながら赤らんだ昌綱の顔を、笑いながら隼人は覗き込んだ


「バカっ! そんなにまじまじと見られたら余計に恥ずかしいだろ…… それに、隼人にしかこんな事頼めないし……」

昌綱は、更に顔を赤くして隼人に背を向けた


「勿論、俺で良かったら付いて行ってやるさ!」明るい隼人の言葉に、昌綱は背を向けたまま頷いた



 翌日、隼人は昌綱から頼まれて、学校帰りに彼の家へ寄る事になった

ここ暫く、昌綱の家には行っていなかった


「あぁ、終わった、終わったぁ さてと、早く着替えないと……」隼人は、剣道部の練習が終わると、部室へ駆け込み、そそくさと着替え始めた


「何だ、今日はやけに慌ててるなぁ! 用でもあるのか?」防具を戸棚に仕舞っている隼人に声をかけて来たのは、柔道部主将の飯富虎景おぶとらかげだった


剣道部と柔道部は、体育館の階下が練習場になっており、部室が一緒である


虎景は、全国大会を初め数々の大会で優勝する程の猛者で、筋骨隆々、この齢にして六尺はあろうかと言う巨躯である

熱血漢で、その風貌と名から校内では「虎」と呼ばれている


「おぅ、虎! 今日は、綱の家に呼ばれててな、急がないと奴を待たせちまう」


虎景は一組、隼人は二組と組は違うが、気の合う親友の一人である


「お前も今日は早いな、何か用か?」身体中の汗を拭きながら隼人は虎景に尋ねる


「俺もな今日は、光豊と春香と一緒に恵林寺の爺さんのとこに行くことになっててなぁ」と虎景が答えた時、ガラッと部室の入り口の引き戸が開いて誰かが入って来た


「和尚を爺さんなどど、お前の声は本当にデカいのだから、言葉には気を付けろ」入って来たのは光豊だった


彼の名は、内藤光豊ないとうみつとよ

虎景と同じ一組で、書道部の部長、国内の名だたる賞を数々受賞する程の腕の持ち主で成績も優秀、そのため空海を文字り「光法」と渾名されている

常に冷静で、困った時には何かと知恵を貸してくれる隼人の親友でもある


「はいはい、お大師様すみません、すみません」虎景は、光豊にへこへこと頭を下げて見せる


「早くしろ、春香を持たせる」淡々と光豊は続ける


「はははっ!」そんな二人の遣り取りを見ていた隼人からは、自然と笑いが漏れる


着替え終えると、三人で校門へと急いだ


校門近くの桜の大木の下に、話し込む昌綱と春香の姿が見える


「二人共、遅くなってごめんな!」隼人は、二人に元気良く駆け寄る


「僕達もまだ来たばかりだよ」と言う昌綱の声に続いて「どおりで光豊君が居ないと思ったら、二人を迎えに行ってたのね」と春香が続く


彼女の名は、馬場春香ばばはるか

旧家の娘で、三年一組

薙刀道部の主将を務めている

成績優秀の上美人であり、学校でも人気があるのだが、怒らせるととても怖い面があり、表向きは皆「お嬢」と呼ぶが、裏では「鬼」と密かに呼ばれている


「そうしなければ、こいつらの事だから遅れて来ると思ってな」と光豊が冷静に答える


「流石は光豊君ね」フッと笑いながら春香が二人を見つめる


「さて、方向は一緒だから皆で途中まで一緒に帰りましょう」隼人は何か言われる前に春香から目を逸らして歩き始めた

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