第13話 着替え



 スイの屋敷は、驚くほど立派な和風の作りをしていた。


 伊原家の屋敷も広かったが、それよりもはるかに大きな屋敷である。丹念に手入れされた庭は心を和ませるほどに美しかったし、瓢箪の形をした池には優雅に鯉が泳いでいた。


 季節の花も咲き誇っており、それも愛らしい。よほど腕の良い庭師が、この庭を手がけたに違いないと柘榴は思った。


「ここが、屋敷だ。親父は体を壊していて、普段は別邸で療養をしている。今日は目出度い日だから戻って来ているが、早めに帰る予定だ。母親は、それに付いて行く予定になっている」


 父ということは、スイと柘榴の結婚を決めた人物である。


 柘榴にとっては、舅になる以上に非常に気になる人物であった。スイの父親がいなければ、柘榴はカクヨリに来ることもなかった。朱雀の家で、使いつぶされて終わっていただろう。


 そして、スイと結ばれることもなかった。どのような考えから自分の息子の結婚相手に人間の娘を選んだのかは知らないが、スイの父親によって柘榴の人生は大きく変わったのは確かである。


「さぁ、花嫁様。こちらで、着替えましょうね」


 サザナミは、柘榴の手を引っ張った。


 慣れない履物でよろけそうになってしまったが、転ぶような失態だけは回避した。


「早めで頼むぞ」


 スイは、サザナミに向かって釘を刺す。サザナミは「はいはい」と気のない返事を返した。


 強引なサザナミに連れてこられたのは、屋敷のなかにある一室である。非常に広い部屋で、伊原家で如月が使っていた部屋よりも広い。


 それに、日当たりも良かった。


 香が焚かれていたのだろうか。部屋は、いい香りに包まれていた。ほっと出来る香りである。


 とても気持ちがよい部屋だ。伊原家で如月が使っていた部屋と同じぐらいーーいいや、それ以上の心地良さだった。


「こちらにどうぞ」


 サザナミは、柘榴を鏡台に前に座らせた。


 鏡の中の柘榴は女中たちが腕によりをかけた化粧で華やいでいたが、カクヨリにくるまで様々なことがあったせいで少し乱れてしまっていた。


 鏡で改めて確認すれば、花嫁衣裳の汚れも酷かった。この姿のままでは、スイの父親や一族の前には立てない。


 サザナミが着替えを勧めるのは、当然であった。


 もしも、サザナミが言ってくれなかったら、柘榴は恥をかいていたことだろう。サザナミの言葉は、とてもありがたいものだったのだ。


 着替えるように言われた時は、母から受け継いだ白無垢を脱ぐことを寂しく感じた。しかし、このままではスイの父と母に会うにも失礼であろう。


「この着物は、大切なものですよね。ちゃんと洗って、お手入れしておきます」


 サザナミの気の回しように、柘榴はほっとした。汚れているから捨てると言われたら、立ち直れないほどに傷ついていたかもしれない。


「この日のために、沢山の着物をもらってきたのですよ。どのようなものが好みですか?可愛い感じのものですか。それとも、綺麗系ですか?」


 サザナミは次から次と青い着物を持ってくるが、自分の着替えを選ぶなど柘榴には久々のことだった。それこそ、両親が生きていたころ以来かもしれない。


 いつもは、女中たちが身に着けるそろいの着物をきていたからだ。鼠色の着物は決して良質な作りではなかったが、粗悪品が故に汚したり破れたりしても安心であった。


「どのようなものがいいのか……私には全然わからなくて……。良かったら、見繕ってもらえますか?」


 柘榴の言葉に、サザナミは目を点にした。柘榴の言葉が信じられないとでも言いたげである。


 柘榴は、自分の発言が変だったろうかと振り返る。だが、どこが変であるのかが柘榴には分からなかった。


「結婚式は、一生に一度の事ですよ!自分で決めないと勿体ないです。私と花嫁様とは、好みも違うだろうし……」


 サザナミは、困ってしまっていた。


 その様子に、柘榴の良心が痛んだ。


 たしかに、人には好みというものがある。それを推し量るのは、他人には難しいことだ。


 それに、一生に一度のハレの日には自分の好みのものを着たいと思うのは当然のことだろう。なんでもいい、と思ってしまう柘榴が少数派なのである。


「なら、花柄のものを」


 柘榴のぼんやりとした言葉を聞いて、サザナミは二着の着物を用意してくれた。


 一つは大ぶりな花が描かれた着物で、もう一つは小ぶりな花が描かれた着物であった。双方ともに花の刺繍が美しいが、色は二つとも青色だ。


「カクヨリでは、それぞれの家系に色があるのですよ。現し世には苗字というものがありますけど、それの代わりですね」


 スイの家は青色で、その色を正式な場では纏うらしい。サザナミが持ってきた着物も濃さの違いはあっても、双方ともに青色であった。


「花嫁様は小柄ですし、小ぶりな花の方がよろしいでしょうか。でも、大振りの模様のものも素敵ですよ」


 サザナミの話を聞いていた柘榴は、小ぶりな花柄を選んだ。沢山の種類の小ぶりな花が書かれた着物は、母が残した白無垢に色を付けたように思われたからだ。


 白無垢は汚れてしまったが、出来るだけ似ている着物を選ぶことで母を感じていたかった。


 母と父はカクヨリのことが分からなかったからという理由で、一般とは懸け離れた花嫁修業をした。そのカクヨリが現し世と変わらぬ様子であると知ったら、二人はどんな顔をしたであろうか。


「鶏の締め方は教わらなかったでしょうね……」


 泣きながら鶏の首をとった事を思い出して、柘榴は深く頷いた。サザナミは、柘榴の独り言に首を傾げている。


「それでは、始めますよ」


 サザナミは、手早く青い着物の着付けを終わらせる。その手つきは、伊原家の女中たちを思い起こさせる。


 小ぶりな花が散る青の着物は、袖を通してみれば予想以上に華やかであった。帯には蝶が舞っていて、まるで柘榴自身が花畑になったようだ。


 祝いの席には相応しいのかもしれないが、自分に似合っているのかどうかは柘榴には分からなかった。だが、少なくとも着物にきられている雰囲気はない。


「可愛いですよ。お人形さんみたいです」


 サザナミは、そんなふうに褒めてくれた。おかしくは見えていないことに、柘榴はほっとする。


 帯紐や半衿、帯止め。そのような小物はサザナミに全て任せてしまったが、とても可愛らしくまとめてもらえた。蝶の形の帯留めは帯の模様から出てきたかのようで、特に愛らしい。


「お目が高いですね。その帯留めは、森の守り神である大鹿から頂いた角で作ったのですよ。魔除けの効果もある小物です」


 カクヨリの住民たちの中には、一年に一度は鱗や角が自然に抜け落ちたりする者がいるらしい。それらは手の器用な者たちによって装身具に加工され、カクヨリの住人のお守り代わりになる。


 スイの鱗も誰かの身を飾っているのかもしれないと思えば、少し羨ましくもあった。スイの鱗が美しいのもあるが、常に強いスイを感じていられるのは心強いであろう。


「お化粧も直しますよ。髪型もちょっといじります」


 サザナミの手はよどみなく動いて、あっという間に柘榴の姿を整えてくれた。白無垢に似合うようにと結ってもらった髪は解かれて、洋装にも似合うような結い方にされる。


 髪形のせいなのだろうか。着ている着物は伝統的な匂いがするのに、全体的に見ればモダンにも思える。カクヨリの街にもモダンな格好をした女性が歩いていたので、流行りなのかもしれない。


 しかし、髪には簪が刺さってはいなかった。柘榴がカクヨリに来たから、現し世の様子を見る必要はなくなった。だから、つけないのかと柘榴は思った。


 しかし、サザナミは新たな簪を取り出してきた。その簪は、元のものよりも色合いが薄い。デザインこそは同じだが、まったくの別物である。


「今日からは、こっちをお使いください。いやぁ、人間たちの手で旦那様の鱗を簪に加工して、柘榴様が身に着けていると知った時にスイ様は見ものでしたよ。ずるい、と叫んでいましたね!」


 けけけっ、とサザナミは笑う。


 スイの行動が、よっぽど面白かったのであろう。


「自分の許嫁が旦那様の鱗を持っていることに、嫉妬していましたからね。いやぁ、男の嫉妬は醜かったですよ」


 サザナミの話を聞いていれば、いつの間にか頭には簪が刺さっていた。スイの頭髪に似た色合いの鱗に、柘榴はとあることを想像する。


「もしかして、この簪は……」


 水色の簪に触れながら、柘榴が呟く。


 サザナミは、にやにやしていた。答えを聞く前に、柘榴は正解を知る。


「流石ですね。それは、スイ様の鱗から作った簪です」


 薄い水色のせいもあって、簪の色合いは涼やかな清流を思い起こさせた。龍というのは、多くは水を守護するものが多いとされている。スイの家の色が青なのも、なにか関係があるのかもしれない。


「これが、スイ様の色なのですね」


 今は、まだスイの人間の姿しか知らない。けれども、いつか本当の姿も見せて欲しいとも思う。


「きっとご立派な姿なのでしょう……」


 柘榴は巨大な龍を想像し、優しく簪に触れた。スイの本来の姿は、まだ見たことはない。けれども、きっと美しい姿をしていることであろう。


「さて、行きましょうか。スイ様が、きっと首を長くしてお待ちですよ。それこそ、どこから首だか胴体なのか分からないような本性を現しているかもしれません」


 サザナミが、襖を開ける。


 そこには、柘榴を待っていたスイの姿があった。柘榴の準備が終わるのが待ちきれなくて、部屋の前でうろうろとしていたのである。


 それを察したサザナミには、「うわぁ、待ちきれなかったんですか。スイ様、気持ち悪わる」と言ったのであった。



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