第14話 星の名は

「あ……?」


 ノヴァが目を覚ますと、そこには見知らぬ天井があった。

 違う。見知らぬ天井ではない。

 数日前から寝泊まりしている寝室の天井だ。


「朝……ううん、まだ夜ですね……」


 部屋はまだ暗い。

 窓の外も真っ暗で、まだまだ夜明けが遠い時刻であることがわかった。

 見回すと広々とした部屋。薄暗い中、クローゼットとテーブル、イス、姿見の鏡が置かれているのが目に入ってくる。

 置かれている家具はいずれも飾り気がない簡素であったが……それでも、ノヴァにはもったいないほど豪華な物である。


「ンッ……!」


 ノヴァがキュッと痛む胸を手で押さえた。

 辛い夢を見てしまった。両親が亡くなった時の夢である。

 あの時の夢は何度も見ているが慣れることはない。そのたびに胸を裂かれるような気持ちになってしまう。

 ジットリと汗も掻いている。気分が悪く、もう眠れそうもなかった。


「……ちょっと散歩しても良いですよね?」


 ノヴァが椅子に掛けてあったカーディガンを羽織る。

 春先の時期であるとはいえ、ヴォルカン侯爵領は北国だ。寒い日には春でも雪がちらつくこともあるそうなので寒かった。


「…………」


 ノヴァが息を潜めて、寝室の扉を開けた。

 絨毯が敷かれた長い廊下が伸びている。

 まだこの屋敷には慣れていないが、ノヴァは人よりも夜目が効く。

 ここは廊下を歩いても足音がウルサイからとぶたれることもないし、出歩くには困らないだろう。


「…………」


 できるだけ音を立てないように歩いていき、階段を下りて寝室がある二階から一階へ。

 裏口に行き、錠を外してそっと扉を開く。


「わっ……!」


 外に出ると、目に飛び込んでくるのは満天の星空である。

 見上げた空には雲一つなく、宝石箱をひっくり返したように大量の星々が瞬いていた。

 ブリュイ子爵領からだって星を眺めることはできた。外に放り出されて夜を明かすこともあったので、星空なんて飽きるくらいに見てきたはずである。

 それなのに……何故だろう。

 視線の先にある星空はずっと鮮明に見えた。


「綺麗……」


 白い息と一緒に感嘆の言葉を吐く。

 冷たい空気が身に染みてくるが、構うことなく庭に出る。

 庭園に置かれたベンチに腰を下ろして、心を奪われたように星空を見上げる。


「『アルタ』……『イーテス』……『ウェンディ』……『エプセリオン』……『オヴァ』」


 口から紡がれるのは呪文のような言葉。

 それはノヴァを見下ろしている星の名前だった。


「『ノヴァ』……」


 その中には、自分の名前の由来になった星もある。

『稲穂の女神』を示している星座。彼女が手にしている穂先にある星の名である。


「『マルス』……」


 そして……偶然なのだろうが、その星から少しだけ離れた場所に『彼』の名と同じ星が瞬いている。

『ノヴァ』よりもずっと強く、明るい星だ。『稲穂の女神』を守るように立ちふさがる『軍神』を示す星座の瞳にあたる場所で輝いている。

 その星を見つめていると、自然と脳裏に疑問が浮かんできた。


(どうして、マルス様は私に良くしてくれるのでしょう?)


 ヴォルカン侯爵家から見合いを持ち込まれて、ノヴァは最初困惑した。

 マルス・ヴォルカンとは面識がない。叔父夫婦も「どういう関係だ!?」と驚いた様子でしきりに訊ねてきた。

 それでも見合いを受けることになったのは、それが叔父夫婦にとって都合が良かったからだ。


 ノヴァはブリュイ子爵家では叔父夫婦の言いなりだった。

 両親が亡くなり、ノヴァの後見人として屋敷にやってきた叔父夫婦。彼らは子爵代理の立場をかさに着て好き勝手に振る舞っていた。

 元からいた使用人を全て辞めさせて、自分達に都合の良い人間ばかりで固めて。

 両親が遺してくれた財産を湯水のように使い、家具や宝石を売り飛ばした。その中には形見の品だってあったというのに。

 そして……ノヴァのことを虐げた。徹底的に。


『どうして、お前は生きているんだ! 兄達と一緒に死んでくれたら良かったものを!』


『ああ、醜いわねえ! 出来損ないの娘はどうしてこんなに見苦しいのかしら!?』


 最初は泣いていたノヴァであったが、誰も助けてくれないことを知ると涙は引っ込んだ。

 いつしか、叔父夫婦の暴言と暴力を黙って受け入れるだけの人形になっていた。


(そんな私に手を差し伸べてくれた。マルス様は私を救ってくれた……)


 叔父夫婦の下にいた頃、ノヴァは本当に自分が出来損ないの娘であると思い込んでいた。

 三年間の虐待によって心神が摩耗して、彼らの洗脳を受容してしまったのである。

 そんな洗脳も侯爵家に引き取られてからの数日間で解けつつあった。

 ヴォルカン侯爵家の人々に宝物のように大切にされたことで、自分が両親に愛されていたことを思い出したのである。


(マルス様がいなかったら、私は今もあの屋敷に……叔父夫婦に虐げられていたのですね)


 マルスは自分なんかに見合いを申し込んでくれた。

 言葉の暴力を振るう叔父夫婦から庇ってくれた。

 ドレスが似合っていると褒めてくれた。

 初めて作ったサンドイッチを食べてくれた。

 この屋敷にいるようにと言ってくれた……魔窟となったブリュイ子爵家から救い出してくれたのだ。


(どうして、あの御方はそこまでしてくれるのでしょう……私は彼に何か恩返しができるのでしょうか……?)


「ノヴァ嬢……?」


「!」


 後ろから声をかけられて、ノヴァが慌ててベンチから立ち上がった。

 振り返ると……そこに立っていたのは今まさに思い浮かべていた人物。

 マルス・ヴォルカンが怪訝な顔つきで立っていたのである。

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