第5話
その日の午後、イザベラ様からお呼び出しがあり、彼女の自室へと向かった。
「失礼します、イザベラ様。レオンです」
「ええ、入ってちょうだい」
部屋に入ると、イザベラ様は窓辺の椅子に座り、何か手紙のようなものを読んでいた。その表情は、どこか浮かないように見える。
「何か御用でしょうか?」
俺が尋ねると、イザベラ様は読んでいた手紙を机の上に置き、ため息を一つ吐いた。
「実は……王立魔法学園から、視察の招待状が届いたの」
「学園の、視察ですか?」
「ええ。もうすぐ入学式でしょう? それに先立って、学園の施設や教育内容を、貴族の子弟や関係者に見せるためのものらしいわ」
イザベラ様は、どこか億劫そうにそう言った。
「それで……私にも、ぜひ参加してほしいと」
(なるほど……。これは、ゲームにはなかったイベントだな……)
俺は内心で考える。だが、ヒロインが登場する直前のこの時期に、イザベラ様が学園を訪れるというのは、何か意味があるのかもしれない。
「それで、イザベラ様はどうなさるおつもりで?」
「正直、あまり気乗りはしないのだけれど……父からも行くように言われているし、断るわけにもいかないでしょうね」
イザベラ様は、再びため息をついた。彼女は、あまり学園という場所に良い思い出がないのかもしれない。ゲームでも、彼女は学園内で孤立しがちだった。
「もちろん、あなたにも護衛として同行してもらうわよ、レオン」
イザベラ様は、そう言って俺の方を真っ直ぐに見つめた。その瞳には、確かな信頼の色が浮かんでいる。
「もちろんです。どこへでもお供します」
俺は、力強く頷いた。学園視察が、イザベラ様にとって新たな脅威となるのか、それとも何かを変えるきっかけとなるのか。それはまだ分からない。だが、どんな状況になろうとも、俺が彼女を守ることに変わりはない。
「ありがとう、レオン。あなたがいてくれれば、心強いわ」
イザベラ様は、ふわりと微笑んだ。その笑顔は、俺の不安を少しだけ和らげてくれるようだった。
数日後、俺はイザベラ様と共に、王立魔法学園へと向かう馬車の中にいた。学園は王都の郊外にあり、馬車で半日ほどの距離だ。
道中、イザベラ様はいつもより口数が少なく、窓の外をぼんやりと眺めていることが多かった。やはり、学園に行くのはあまり気が進まないのだろうか。
「イザベラ様、どうかされましたか? 顔色が優れないようですが」
俺が心配して声をかけると、イザベラ様ははっとしたように俺の方を向き、力なく微笑んだ。
「ううん、何でもないの。ただ、少し……昔のことを思い出していただけ」
「昔のこと、ですか?」
「ええ……。私も、昔はこの学園に通っていたのよ。でも……あまり、良い思い出はなくてね」
イザベラ様は、寂しそうにそう言った。ゲームの知識によれば、彼女は優秀な成績を収めていたものの、そのプライドの高さと不器用な性格から、周囲と上手く馴染めずにいたはずだ。
「きっと、大丈夫ですよ。今回は視察ですし、俺もいますから」
俺は、少しでも彼女を安心させようと、そう声をかける。
「……そうね。ありがとう、レオン」
イザベラ様は、俺の言葉に少しだけ表情を和らげた。
やがて、馬車は壮麗な門をくぐり、王立魔法学園の敷地内へと入った。目の前には、白亜の美しい校舎が建ち並び、手入れの行き届いた広大な庭園が広がっている。さすがは、この国で最も権威のある学園だ。その規模と美しさに、俺は思わず息を呑んだ。
馬車が学園の玄関前に到着すると、そこにはすでに多くの貴族や関係者たちが集まっていた。皆、一様に華やかな装いで、これから始まる視察への期待に胸を膨らませているように見える。
俺はイザベラ様をエスコートし、馬車を降りた。周囲からは、好奇の視線や囁き声が聞こえてくる。
「まあ、ヴァインベルク公爵家のご令嬢だわ」
「相変わらずお美しいけれど……どこか近寄りがたい雰囲気ね」
そんな声が聞こえてくるたびに、イザベラ様の表情が僅かに強張るのが分かった。彼女は、こういった注目に慣れているようで、それでいて苦手としているようにも見える。
「大丈夫ですよ、イザベラ様」
俺は、彼女の耳元でそっと囁いた。
「俺が、必ずお守りしますから」
俺の言葉に、イザベラ様は小さく頷き、少しだけ強気な表情を取り戻した。
学園のホールへと案内されると、そこには学園長らしき初老の男性が待っていた。彼は、イザベラ様を見つけると、にこやかに挨拶をしてきた。
「これはこれは、イザベラ様。ようこそお越しくださいました。本日は、どうぞごゆっくりと学園内をご覧ください」
「ええ、ありがとうございます、学園長」
イザベラ様は、淑女の礼をとり、優雅に答える。その立ち居振る舞いは完璧で、さすがは公爵令嬢といったところだ。
学園長による簡単な挨拶の後、視察はいくつかのグループに分かれて行われることになった。俺とイザベラ様は、他のいくつかの貴族の親子と共に、一人の若い男性教員に案内されることになった。
「皆様、本日はようこそ王立魔法学園へ。私は、案内役を務めさせていただきます、魔術史担当のクラークと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
クラークと名乗る教員は、柔和な笑顔を浮かべ、丁寧な口調で挨拶をした。彼は、まだ若そうだが、落ち着いた雰囲気と知的な眼差しから、優秀な人物であることが窺える。
「まずは、こちらの講義室をご覧ください。ここでは、主に魔法理論の基礎や、魔術史などの座学が行われております」
クラーク教員に案内され、俺たちは広々とした講義室へと入った。そこには、何列にも並んだ机と椅子があり、正面には大きな黒板が設置されている。まるで、前世の大学の講義室のようだ。
「当学園では、魔法の実技だけでなく、こういった理論教育にも力を入れております。魔法を正しく理解し、安全に扱うためには、確かな知識が必要不可欠ですからな」
クラーク教員が、誇らしげに説明する。その言葉に、周囲の貴族たちは感心したように頷いている。
次に案内されたのは、錬金術の実験室だった。そこには、様々な薬品や器具が所狭しと並べられ、独特の匂いが漂っている。
「こちらでは、ポーションの精製や、魔法具の作成などが行われます。生徒たちは、ここで実践的な技術を学ぶのです」
壁際には、生徒たちが作成したと思われるポーションや、小さな魔法具などが展示されていた。どれも、なかなかの出来栄えだ。
「素晴らしいですわね。これほど充実した設備があれば、生徒たちも存分に学ぶことができるでしょう」
イザベラ様が、感心したようにそう言うと、クラーク教員は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます、イザベラ様。生徒たちの才能を最大限に引き出すことが、我々教員の使命ですから」
その後も、俺たちは図書室や訓練場など、学園内の様々な施設を見て回った。どこもかしこも、最新の設備が整っており、生徒たちが学ぶには最高の環境であることが伺える。
視察が一通り終わり、一行が中庭で休憩を取っていると、ふと、一人の少女の姿が俺の目に留まった。
彼女は、中庭の隅にある噴水の縁に腰掛け、一冊の本を熱心に読んでいた。夕陽のような美しい金髪に、澄んだ青い瞳。その姿は、どこか儚げで、それでいて強い意志を感じさせる。
(間違いない……。彼女が、フレイア姫……!)
俺は、息を呑んだ。ゲームのヒロインが、今、目の前にいる。その事実に、俺の心臓は高鳴りを抑えきれなかった。
フレイア姫は、俺たちの存在には気づいていないのか、一心不乱に本を読み続けている。その姿は、まるで物語の中から抜け出してきたかのようだ。
「どうしたの、レオン? そんなに熱心に何を見ているの?」
不意に、隣からイザベラ様の声が聞こえた。俺ははっとして、慌てて視線をフレイア姫から逸らす。
「い、いえ、何でもありません。少し、珍しい鳥がいたもので……」
俺は苦し紛れにそう言い訳をする。まさか、ヒロインに見惚れていました、なんて言えるわけがない。
「ふぅん……?」
イザベラ様は、訝しげな表情で俺の顔を見つめてくる。その視線が、妙に鋭くて、俺は冷や汗をかきそうになる。
(まずい……。イザベラ様に何か感づかれたか……?)
俺が内心で焦っていると、イザベラ様はふっと表情を緩め、悪戯っぽく微笑んだ。
「あなたも、隅に置けないわね、レオン」
「え……?」
「あんなに可愛らしいご令嬢がいたら、気になるのも無理はないわ。でも、あまりジロジロ見るのは失礼よ?」
イザベラ様は、そう言って俺の脇腹を軽く小突いた。どうやら、俺がフレイア姫に見惚れていたのはバレバレだったらしい。そして、それを何か別の意味で勘違いされているようだ。
(いや、そういうわけでは……!)
俺は全力で否定したかったが、もはや手遅れだった。イザベラ様の頭の中では、俺がフレイア姫に一目惚れした、というストーリーが出来上がってしまっているに違いない。
「さあ、そろそろ帰りましょうか。あなたも、後ろ髪を引かれる思いでしょうけれど」
イザベラ様は、そう言って俺の手を引いた。その声には、どこか楽しげな響きが含まれている。
(ああ、もう……どうしてこうなるんだ……)
俺は、心の中で天を仰いだ。ヒロインの登場という重要な局面で、またしても新たな勘違いを生んでしまった。俺の苦労は、まだまだ続きそうだ。
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