第5話
クロは見た目によらず賢く、人間の言葉をすぐに理解した。
火を吹けること以外にどんな能力があるのかは未知数だが、少なくとも強力な用心棒になってくれそうだ。
それに、何より可愛い。一人暮らしの寂しさを紛らわしてくれる存在としても貴重だ。
その夜、俺はクロと一緒に、大量の野菜を使った夕食を楽しんだ。
クロは本当に食欲旺盛で、俺の何倍もの量をぺろりと平らげてしまう。
その食べっぷりを見ているだけで、こちらも楽しくなってくる。
(まさか、追放されてドラゴンと共同生活を始めることになるとはな……)
人生、何が起こるか分からないものだ。
だが、この出会いはきっと、俺にとって大きなプラスになるだろう。
そんな予感を胸に、俺はクロと共に新しい生活への期待を膨らませるのだった。
辺境の地でのスローライフは、ますます賑やかで、そして面白くなりそうだ。
翌日から、俺とクロの共同生活が本格的に始まった。
クロは驚くほど物覚えが良く、俺が教えたことをすぐに吸収していく。
畑仕事を手伝うと言ってくれたが、その小さな体ではあまり戦力にはならない。
それでも、俺が畑を耕している間、大人しくそばに座って見守ってくれているだけで、何だか心が和んだ。
クロがいることで、一つ大きな変化があった。
それは、夜間の安全性が格段に向上したことだ。
以前は、夜中に物音がするとビクビクしていたが、クロが小屋の入り口で眠るようになってからは、安心して眠れるようになった。
何しろ、火を吹くドラゴンが番犬代わりなのだ。これほど心強いことはない。
テルメ村の村長ボルタさんは、約束通り数日後に数人の村人を連れて俺の拠点にやってきた。
彼らは、俺の小屋と、その隣にちょこんと座るクロの姿を見て、最初はかなり驚いていた。
特にクロの存在は、彼らにとって衝撃的だったようだ。
「ア、アルス様……こ、この黒い生き物は……もしかして、伝説の……?」
ボルタ村長が、恐る恐る尋ねてくる。
まあ、無理もない。普通の村人が、ドラゴン(らしき生き物)を間近で見る機会なんて、そうそうないだろう。
「ああ、こいつはクロ。俺の相棒だ。見た目はちょっといかついけど、大人しいから安心してくれ」
俺がそう言うと、クロはまるでそれに合わせるかのように、小さく「きゅるる」と鳴いた。
その愛らしい仕草に、村人たちの緊張も少し解けたようだ。
ボルタ村長たちは、俺の畑を見てさらに驚愕していた。
小屋の周りに広がる、見渡す限りの豊かな畑。
様々な種類の野菜が、どれも信じられないほど立派に育っている。
しかも、その量が尋常ではない。
「こ、これは……アルス様、これだけの作物を、本当にあなた様お一人で……?」
ボルタ村長の声が震えている。
「ああ、まあな。俺のスキルが、ちょっとだけ特別みたいでね」
俺は曖昧に笑って誤魔化した。
チートスキルのことを詳しく説明するのも面倒だし、信じてもらえるかどうかも分からない。
村人たちは、俺が用意した大量の野菜を荷車に積み込みながら、何度も感謝の言葉を口にした。
「アルス様のおかげで、今年の冬は越せそうです……!」
「本当に、このご恩は一生忘れません!」
彼らの喜びように、俺も悪い気はしない。
代金として受け取った銅貨の束は、ズッシリと重かった。
これだけあれば、当面の生活には困らないだろう。
むしろ、使い道に困るくらいだ。
この辺境では、お金を使う場所も限られている。
ボルタ村長たちは、また数日後に来ると約束して帰っていった。
彼らが去った後、俺はクロに向かって話しかけた。
「なあ、クロ。俺たち、ちょっとした金持ちになったみたいだぞ」
クロは俺の言葉が分かったのかどうか、嬉しそうに尻尾を振っている。
(このお金で、もっと生活を豊かにできないかな)
例えば、もっと頑丈で大きな家を建てるとか。
畑をさらに広げて、新しい作物の栽培に挑戦するとか。
あるいは、テルメ村との交易をもっと本格的に展開して、この辺境の地を豊かにするとか。
夢は無限に広がっていく。
そんなことを考えていると、クロが俺の足元にすり寄ってきた。
そして、何かを訴えるように、じっと俺の顔を見上げている。
「どうした、クロ? また腹が減ったのか?」
俺がそう言うと、クロは首を横に振った。
そして、おもむろに口を開き、小さな火の玉を吐き出した。
火の玉は、地面に落ちてすぐに消えたが、その熱気は確かに感じられた。
「……練習」
クロが、ぽつりと言った。
どうやら、火を吹く練習をしていたらしい。
そういえば、最近クロが時々小さな火を吹いているのを見かけることがあった。
もしかしたら、もっと強力な火を吹けるようになりたいのかもしれない。
「そうか、偉いな。でも、あんまり無理するなよ。火事になったら大変だからな」
俺が頭を撫でてやると、クロは気持ちよさそうに目を細めた。
この小さなドラゴンは、一体どこまで成長するのだろうか。
いつか、本当に空を飛ぶ巨大なドラゴンになる日が来るのかもしれない。
それはそれで、ちょっと見てみたい気もする。
俺たちの辺境での生活は、こうして穏やかに、そして確実に変化し続けていた。
追放された元農夫と、言葉を話す小さなドラゴン。
奇妙な組み合わせの二人だが、お互いを必要とし、支え合いながら、この未開の地で新たな道を切り拓いていく。
その先には、どんな未来が待っているのだろうか。
俺は、まだ見ぬ明日への期待に胸を膨らませながら、クロと一緒に夕焼け空を眺めていた。
太陽が地平線に沈みかけ、空一面が茜色に染まっている。
こんな美しい景色を、ライオスたち勇者パーティーの連中が見ることはないだろうな、とふと思った。
彼らは今頃、魔王討伐のために、どこかの薄暗いダンジョンでも探索しているのだろうか。
まあ、どうでもいいことだが。
俺には俺の、新しい生活があるのだから。
「さて、クロ。そろそろ飯にするか。今日は特製野菜スープだぞ」
「! スープ!」
クロが嬉しそうに跳ねる。
その無邪気な姿に、俺は再び笑みを浮かべた。
この小さな幸せが、ずっと続けばいい。
そう願いながら、俺はクロと一緒に、温かい光が灯る小屋へと向かった。
小屋の中には、野菜の甘い香りが満ちている。
夜、いつものようにクロが俺の足元で丸くなって眠りについた頃、俺は一人、今日の出来事を振り返っていた。
テルメ村との取引は順調だし、クロとの生活も楽しい。
しかし、一つだけ気になることがあった。
それは、俺のスキル【畑耕し】の本当の力だ。
今はまだ、野菜や穀物を育てることくらいにしか使っていない。
だが、これだけのチート能力だ。もしかしたら、もっと別の使い道があるのではないだろうか。
例えば、薬草を育ててポーションを作るとか。
あるいは、特殊な効果を持つ植物を栽培して、何か新しいものを生み出すとか。
考え始めると、キリがない。
このスキルには、まだまだ未知の可能性が秘められているような気がする。
それを解き明かしていくのも、これからの楽しみの一つかもしれない。
ふと、枕元に置いていた、ライオスから餞別代わりに渡された辺境の土地の権利書に目が留まった。
あの時は、厄介払いのつもりで渡されたのだろうが、今となっては、これが俺の新たな人生の始まりのきっかけとなったのだから、皮肉なものだ。
この土地で、俺はどこまでやれるだろうか。
そんなことを考えているうちに、俺もいつの間にか眠りに落ちていた。
夢の中では、俺は広大な畑を耕し、見たこともないような不思議な作物を育てていた。
そして、その隣には、大きく成長したクロが、頼もしい姿で佇んでいた。
それは、とても幸せな夢だった。
翌朝、俺はいつもより少し早く目が覚めた。
窓から差し込む朝日が、小屋の中を明るく照らしている。
クロはまだ、すやすやと寝息を立てていた。
俺はそっと小屋を出て、畑へと向かった。
朝露に濡れた野菜たちが、太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。
今日もまた、素晴らしい一日が始まりそうだ。
とりあえず、今日の分の野菜を収穫し、テルメ村への出荷準備を整える。
それから、新しい畑の開墾も進めたい。
クロが起きたら、一緒に朝食を食べて、それから作業に取り掛かろう。
そんなことを考えながら、俺は大きく伸びをした。
清々しい空気が、肺いっぱいに広がる。
その時、遠くの方から、何やら騒がしい音が聞こえてきた。
馬の蹄の音と、複数の人間の話し声。
それも、かなりの大人数だ。
テルメ村の人たちだろうか? いや、彼らがこんなに早く、しかもこれほどの人数で来ることはないはずだ。
俺は警戒しながら、音のする方へと視線を向けた。
やがて、森の木々の間から、見慣れない一団が姿を現した。
先頭に立つのは、立派な鎧を身にまとった騎士たち。
その後ろには、豪華な装飾の施された馬車が続いている。
そして、馬車の周りを固めるように、さらに多くの兵士たちがいた。
(なんだ……? あんな大層な行列、こんな辺境で見たことないぞ)
俺は眉をひそめた。
彼らは明らかに、ただの旅人ではない。
何かの目的を持って、この辺境の地を訪れたのだろう。
そして、その目的地は……まさか、俺のところじゃないだろうな?
不安が胸をよぎる。
穏やかな日常が、何者かによって脅かされようとしている。
そんな予感が、俺の心をざわつかせた。
俺は咄嗟に小屋の方へ戻り、クロを起こそうとした。
だが、それよりも早く、先頭の騎士が俺の存在に気づいたようだった。
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