8.初峰靜について 上


——私、ちょっぴり不安で……

——こんなことで悩むの、変なのかな…?


 最近、益々ますます暑くなってきた。

 今日が晴れだから、というわけでもない。

 曇ろうが雨が降ろうが、アスファルトが下から、熱気で閉じ込めてくるのだから。


 日本の夏は湿度の高さが悪さをしており、テキサス出身者が戦々恐々せんせんきょうきょうと逃げ帰る、というのは本当なのだろうか?

 だとしたらアメリカン・ガイというのは思いのほかヤワな連中だと、アヤトは会ったこともない米国在住男性に勝手な失望と優越感を浮かべる。


 とにかく、例年より遅めに梅雨入りして、もう2週間ほどになる。

 湿気が肌に貼り付き、服の裏側を不快に染める。

 しげる緑の青臭さで、鼻の奥が詰まりそうだ。


 こうもなまぬるい雨が繰り返されると、アヤトは決まって遠い夏を思い出す。


——この世で一番強いのって、

——ダレだと思う?


 その問答から幾つも季節を越えて、やっぱり同じようにベタ付いた季節が来て。

 時間にして、たった数日。

 あれから全てが「アヤト君?」


 少し先を行くクロムが振り返る。

 燦燦さんさん散々さんざんる、あざやかに湿った太陽の下、そこだけ雲に隠れたみたいに、セピア色にすずやかだ。


「そんなところでぬぼーっとしてたら、ねっちゅうしょう、で、ぽっくりいっちゃいますよお?」

「失神とか一足ひとあしで跳び越えて即死かよ。あとどうして『熱中症』をゆっくり言ったの?」

「なんでだと思いますかあ?」


 「のぼせちゃったの、かもお?」、

 彼女はとぼけながら、口元に横から形の良い指を添える。


 手入れされた爪の先が、声と同期して瑞々みずみずしくつやめいている、色の薄い唇をし示したように見えて、頭にこもる熱気を悪化させた彼は視線をらした。


「どう思います?」

「どうって、急に言われても、何の話か」

「嘘ばっかり。その頭の中は、シズカさんの事でいっぱいなくせにい」


 「けちゃいます」、

 どこまで本気か分からないことを言われ、言葉ことばまりがひどくなる。

 この場合は、図星であったから、という理由も追加だ。


 そこで何も言われないのをいい事に、彼女はするすると彼の隣に並び、素肌同士をこすり付けるようにして、互いの腕を組み合わせる。

 

「やめてくれないかな」

そばに居てくれないんですかあ?わたし、こわいです」

「君がそんなこと、怖がるもんか」


 にいい、目が細められる。

 聞き分けのない弟やペットを、「手の掛かるところがカワイイよね」とでる際に向ける顔のようで、非常に腹が立った彼は口で同じ形を作ってやり返す。


「そんなにイケナイことですかあ?これえ?」

「暑苦しいし、クラスの誰かに見られたら面倒」

「あっ、あれっ!?クモリさんっ!?マヨイくんっ!?」

「終わった」


 前振りフラグ回収が早過ぎる。

 シズカの親友、オリメと遭遇エンカウント

 比喩ひゆでなくその場にひざから崩れ落ちるアヤト。


「あっ、えっと、わたしっ、だまってるよっ、うんっ、からかわれたくないよねっ、そういうのっ!」

「ほらあ!こういう認識になるじゃん!」

「私は良いんですけどねえ?」

「僕が良くないって言ってんの!」

「えっ、えっ、ぇっ、ぇえ…っ?」

 

 二人の手で唐突に生み出された独特の世界に巻き込まれ、ただでさえ自己主張を不得手ふえてとするオリメは目を回し始める。


「ああごめんウラさん。別に君がどう思うかとかは気にしない、と言うかもうどうしようもないから考えるのをやめるけど、出来れば今見たものは墓の下まで持って行ってくれると助かる」

「わっ、わたしっ、アブナイもの見ましたっ!?消されますっ!?」

出方でかたによっては」

「出方によっては!?」


 あまり会話したことのない相手に、いつもの調子で冗談めかした軽口かるくちを連発するアヤトの頭を、横からクロムが「こおら」と撫でるようにはたく。

 それが子供あつかいそのもので、アヤトの中でNotノット釈然しゃくぜんが加速したのが、表情からありありとこぼれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る