思わぬ遭遇

「千草、起きろ」


 昨夜の一戦の後で寝てたからって、ダイレクトで胸を揉んで起こすな! それも上から伸し掛かってどうするつもりだ。これから一戦交えるつもりか。


「オレはスタンバイ出来とるで」


 あちゃ、男の朝の生理現象だ。そうしておいてキスをするな。膝を割ってどうするんだよ。そこに指を伸ばすなって。


「シャワー行こか」


 こらぁ、火だけ着けといて生殺しか。とはいえ時間は無い。身支度を整えてフェリー乗り場に。時刻が時刻だけに秋田市内もすんなり抜けられてフェリー乗り場に到着。結構バイクも集まってるな。


「そりゃそうやろ、あんだけ行きの時に下りてたやんか」


 コータローに言わせると敦賀から秋田へのフェリーは、関西のバイク乗りにとっては東北ツーリングの起点になってるはずだって。新潟も寄港するけど、あっちはどうなの。


「行きが使いにくい」


 敦賀から新潟着は二十一時半着なんだよね。敦賀から十二時間ぐらいだけど、そんな時刻に新潟に着いたって、


「夜道を走るやつはまずおらんやろうから、新潟市内で宿に入って寝るしかあらへんやん」


 現実的にはそうなるだろうから、実質的なツーリングのスタートは翌朝だ。秋田で下りても翌朝スタートは同じだと言っても、東北ツーリングを考えるなら秋田までフェリーに乗るだろ。でもさぁ、でもさぁ、帰りに使うのはどうなの?


「それはありかもしれん。新潟に十五時半着やからな」


 ツーリングコースとしては秋田と山形の間に鳥海ブルーラインってのがあるらしくて、秋田から乗って帰るのじゃなく、山形から新潟まで足を伸ばして帰る計画が立てられるとかなんとか。とは言え、


「秋田市内ぐらいからでも一日で行けるかどうかちゃうか」


 コータローも考えはしたみたいだけど、今回はパスしたみたい。


「そうせんとキリタンポ鍋が食べられへんやん」


 それは外せない。走ってみて思ったのだけど、秋田港を起点とする東北ツーリングって、秋田観光の時間って案外短いのよね。秋田港には早朝なんてもんじゃない時刻に着くから秋田市内観光はパスになるし、


「オレらは角館の方に回ったけど、男鹿半島を回っても、せいぜい昼飯ぐらいで秋田は抜けてまうやんか」


 そんな感じだ。何回も来ているのならともかく、初めてならアスピーテラインとゴールドラインをバイク乗りなら走りたいはず。とくにゴールドラインかな。十和田湖と八甲田山は魅力だもの。


 キリタンポ鍋は秋田以外でも食べられるとは思うけど、ここまで来てるのに秋田以外でなんか食べたくないじゃない。そうなると帰りのフェリーの時刻の都合が良くなって来るぐらいかな。


 とにかく朝の七時半に秋田港着だから、千草たちもそうしたように秋田市内に前泊しないと乗れるものじゃない。かくしてフェリーの前夜がキリタンポ鍋になるのがデフォみたいな組み立てになってしまいそう。


 そんな事を話してるうちにフェリーが入って来た。まずクルマとかバイクが下りて、乗り込みだ。部屋に入って一息ついたら、


「朝飯に行こうや」


 行きのフェリーは秋田に五時五分着だったから、フェリーのレストランがまだ開いてなかったのよね。そういう意味で、新日本海フェリーの初の朝食だ。フェリーの名物朝食があるって訳じゃないけど、やっぱり食べてみたいじゃない。


 席に着いて洋風プレートを楽しんでいる時に、千草たちのテーブルの傍を通って行った男がいたんだ、何気なしに顔を見たって言うか、見えちゃったのだけど血の気が引く思いになった。


 あの顔を忘れるもんか。あれから十四年いや十五年になるかな。相変わらずの顔だよ。つうかさ、禿げ上がって、腹がでっぷりと突き出でてくれていたら気づきもせずに済んだのにコンチクショウだ。



 あの男と出会ったのは合コンだ。今でも面影は残ってるけど甘いマスクのイケメンで、いわゆるジャニーズ系ってので良いと思う。そりゃ、目に付くし、女連中にしても一番人気になってた。まあ、そうなると思ったし、千草だってあんなイケメンを彼氏に欲しいと素直に思ったもの。


 合コンだから自己紹介からあれこれ話をして席替えになるじゃない。あの時は男性軍から仕掛けて来たのだけど、なんと、なんと千草の前に座ったんだよ。正直なところ、どうして千草の前にって思ったのも白状しとく。


 あの頃だってブサイクの自覚はあったんだ。それでも短大に入って、化粧を覚えて、ファッションもそれなりに気を使っていた。こんなもの自惚れなんだけど、高校時代よりは少しはマシになったんじゃないかの勘違いがあった時期だった。


 それとさ、笑うなら笑ったら良いけど、千草にも白馬の王子様願望はあったのよね。いつの日か千草を白馬の王子様が迎えに来てくれるはずだって。だって、だって、この時は短大生になってるとは言え十八歳だったもの。まだまだ田舎のポッと出の高校生みたいなもの。


 前に座った男はしきりに千草に話しかけてきた。受け答えしているうちに話が盛り上がって来たのよね。そりゃ、甘いマスクの一番人気と話が弾んだら、千草だって、これはもしもがあるかもって思うじゃない。


 その後に女性軍の席替えがあったけど、その男は自分の前の女より千草に話しかけてくれた。さらにビビッて来るじゃない。そしてだよ、次の男性軍の席替えで再び千草の前だ。これでピンと来ないようじゃ合コンに出席する意味ないでしょ。


 やがて会はお開きになったけど、そこで出たんだよ。合コンの流れから出るんじゃないかと期待してたのはあったけど、


『二人で飲み直さない。もうちょっと話もしたいし』


 来たぁって思った。もちろん、いそいそと付いていった。なんかスポーツバーみたいなとこだったと思うけど、そこでも話が盛り上がり連絡先も交換した。あの時は千草にもついに春が来たって確信してた。


 ずっと男に縁が無かったのだけど、出てくるときはこうやって出て来るんだって。それに、どこからどう見たって白馬の王子様だ。これで夢中にならなければウソだろうが。千草の頭の中はこれからどうなると言うか、どうしたら良いかしか頭に無くなっていた。


 これも笑ってくれても良いよ。短大生と言ってもまだ高校生の延長みたいなところがある時期じゃない。白馬の王子様が現れたのなら、もう結婚も決まったも同然ぐらいにまで思いこんでいたぐらい。


 結婚と言っても、もっと先で考える結婚とはだいぶどころか、かなり違う。そうだな、恋愛の究極形態みたいな意味での結婚。ぶっちゃけで言うと高校生が夢見てる結婚ってすれば良いかな。これでもわかりにくいか。恋人が出来たら結婚までがセットみたいな意味ぐらい。


 そしたら連絡があった。また会いたいってね。当たり前だけど二人っきりで会うわけだからデート、それも初デートだ。もう、そりゃ、渾身の気合を入れて会いに行った。その男はクルマで迎えに来てくれたけど、これがとにかく格好の良いスポーツカーで千草には白馬にしか見えなかったぐらい。


 湾岸線で天保山まで行って海遊館だ。これも初めてだったから、とにかく楽しかったのを覚えてるな。ジンベイザメを間近で見て、マーケットプレイスの観覧車に乗って・・・デートももちろん初めてだけど、男とのデートってこんなにワクワクして楽しいものだと実感してた。帰りのクルマで男は、


『恋人になって欲しい』


 こんなものなる以外の選択肢がこの世にあるものか。さらに、


『もう千草って呼んでも良いかな』


 もちろん二つ返事でOKだし、千草って名前呼びされた瞬間に死んでも良いってぐらい嬉しかった。これは春が来たどころか、満開の桜の中にいるしか思えなかったもの。

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