十和田湖伝説

 最後っ屁みたいなヘアピンがあって突き当たると十和田湖だ。これは、


「右に行くわ」


 湖畔道路を走って行くと街がある。十和田観光の拠点みたいなとこで良さそうだ。


「適当でエエか」


 ちょっと早いけど、もうそんな時刻か。たしかに腹時計はそうなってる。十和田湖ってこんなに大きくて綺麗な湖なのに昔は、


「昔どころか明治までそうやった」


 魚が棲んでいなかったと聞いて驚いた。鮒や鯉ぐらいはいなかったのかよ。十和田湖畔にはかつては鉱山もあったそうで、そこで働く人は干物か塩漬けぐらいしかオカズがなかったそうなんだ。


 そこで新鮮な魚を食べてもらいたいってなって、鯉とかサクラマスを放流してみたそうだけど上手く行かず。延々十八年もかかってヒメマスの放流から繁殖に成功したんだって。もちろん食べるのはヒメマス定食だ。


 それから少し散策だ。ここにも乙女の像があるけど置いてあるところも、知名度も色も地味だな。だってさ、田沢湖のは金ピカだったもの。さらに歩いて十和田神社だ。これも古い神社みたいで坂上田村麻呂が創建ってなってるぐらい。


「ここはもう一つ縁起があってな・・・」


 十和田神社からバイクに戻りながら話してくれたのだけど、昔々、八郎と言う大男が十和田湖まで木の皮を剥ぐ仕事に出かけたんだそうだ。樺細工の原料みたいな採取かな。そこで腹が減ったからイワナを獲って食べたのだけど、無性に喉が渇いたんだって。


 八郎は持って来ていた水を飲み尽くしても喉の渇きはまったくおさまらず、川の水までガブガブ飲んだんだって。


「急に糖尿病になったんやろか」


 医学的分析を入れるな! 川の水まで飲みまくった八郎なんだけど、ふと気が付くと大蛇になってしまっていたんだよ。それも中途半端な大蛇じゃなく、なんと三十丈・・・これってどれぐらいなんだ。


「一丈は十尺で、一尺は三十センチやから九十メートルぐらいやな」


 こういう役にも立たない知識が豊富なのがコータローなので助かるんだよ。


「それって褒めとるんか」


 どう聞いたって褒めてるでしょ。そのまま十和田湖の主になったのだけど、そこに坊主が現れる。南祖坊って名前らしいけど、七日七晩も泥仕合をやった末に大蛇の八郎を十和田湖から追い出してしまったんだよ。


「酷いことするで」


 ホントだ。坊主なら大人しく寺でお経でも唱えとけよな。それで坊主は八郎に代わって十和田湖の主になったそうだけど、十和田湖を追い出された八郎は鹿角に逃げ込んだのだけど、


「そこでも神さんに追い出されて・・・」


 今度は神様かよ。こういうのを神も仏も無いって言うんだよ。そこまで行くと宗教ファッショだろ。哀れ鹿角も追い出された大蛇の八郎は八郎潟にって・・・その話って、


「そうや、田沢湖の辰子伝説に繋がるんや」


 でもさぁ、伝説のスケールとしては壮大だけど、やっぱり話が尻切れトンボだよ。その手の話って、さらなる後日談がセットになるのが定番だもの。白雪姫だって、シンデレラだって、眠れる森の美女だって、


「王子様とお城でいつまでも幸せに暮らしましたやろ」


 それぐらいのオチぐらい付けるもんだ。


「そうやねんけど、生物学的に無理があったんちゃうか」


 生物学的って言うけど・・・女が龍で男が大蛇だから生殖行為が難しかったってこと?


「とくに男は大蛇のままなんが伝説や」


 そうなると女は龍のままで交わらないとサイズが合わないよな。龍と大蛇って、どうやってやるのだろ? つうかさ、龍ってそもそも空想上の生き物だから、


「龍も大蛇も龍って一括りに出来んことも無いし話は伝説や」


 そうだ、そうだ。


「この手の話の女の幸せって何になるかやねんけど・・・」


 女の幸せ? そんなもの愛する男と暮らすことだし、その形態の一つが夫婦だ。それにだぞ、


「浮気なんかして、夫婦喧嘩になったら大変やし、それだけで伝説が出来るはずや」


 怪獣映画も真っ青の夫婦喧嘩だものね。そういう伝説が残らなかったから夫婦仲は良かったはずだけど、


「そやけど愛の結晶に恵まれなかったんやろ」


 女の幸せってそっちか。昔も昔、大昔の時代設定だから、


「神代の時代まで遡る話やないで」


 はぁ、十和田湖から八郎を叩き出した坊主は法華経を衣の襟に指したら九頭の龍になったって変身物の特撮かよ。そこは伝説だから置いとくとして、コータローが年代特定に注目したのは法華経みたいだ。


 というか、昔々と言いながら坊主が出て来る時点で古い話と言っても、仏教が日本に伝来した後の話になるよな。法華経は聖徳太子の頃に伝来したとなってるらしいから、それ以降の時代の伝説にならざるを得ないのか。


「八岐大蛇より何百年も後の話になる」


 そ、そうなるか。


「それとやけどその坊主も生臭や」


 十和田湖畔に松倉神社ってのがあるのだけど、ここにはその坊主を恋い慕って十和田湖まで来た松子姫が祀られてるんだって。ちょっと待った、今どきの坊主は結婚してるのも増えてるけど当時は、


「ああそうや。女色は絶対のタブーや。そやのにそんな女までおった事になる」


 コータローは大蛇と九頭の龍の話の展開にも違和感があるのか。言われてみたらそうで、この手の話なら大蛇は悪じゃないとならないのよね。たとえばだ、十和田湖の魚をすべて食べ尽くして周辺の人々が困ってるとかだ。それを聞きつけた坊主が悪の大蛇を退治してみたいなストーリーになりそうだよな。


「そやろ。八郎は訳が分からんうちに大蛇にされてもて、大人しく十和田湖に棲んどったのに、そこに勝手にずかずか入り込んできて大蛇退治ってなんやねん。これのどこに勧善懲悪の要素があるねん」


 たしかにそうだ。坊主が十和田湖の主になりたい理由って、


「夢の中の杖を突いた白髪のどこの馬の骨かわからんジジイのお告げに過ぎん」


 仙人みたいなものだろうけど、


「ここも変やろうが。坊主が出て来とるのに仏さんが出てへんやんか。つまりは坊主の勝手な妄想や」


 コータローも飛躍するな。


「それとやけど、十和田湖の主になったはずの坊主はなんもしてへんやんか。こういう話の展開やったら・・・」


 そうなるよな。坊主の功徳とやらで、十和田湖に魚が溢れるぐらいにならないとおかしいよ。坊主の話はその辺にして八郎潟の大蛇と、田沢湖の龍が結婚するのだけど、


「子どもが出来たら子孫が広がるやんか」


 龍と大蛇が新居にしたのは田沢湖になるけど、なにしろ九十メートル級の夫婦だから手狭だよな。子孫は東北の湖沼に広がるぐらいが無難な展開で、湖沼の王と女王ぐらいになってもおかしくないか。


「そうなってへんって事は、子どもに恵まれんかってんやろ」


 なってたら後日談があるはずだものね。そう考えるとなんか救いがない悲恋の話になっちゃうけど。


「当時はな。そやけど、今はちゃうで。子どもなんか出来んでも幸せに決まっとる」


 千草も子どもは出来そうにないけど、


「子どもが出来へんことのどこが不幸やねん。千草はいつの時代の人間や。そんなもん昭和の時代に消え失せたわ」


 地団太を踏んで怒ってどうするのよ。


「龍と大蛇はな、田沢湖で幸せに、幸せに暮らしとるに決まってるやろうが。その証拠に金ピカのたつこ像まで出来てるぐらいや」


 でもさぁ、今だって結婚して夫婦になれば、


「オレはな、子どもなんか大っ嫌いなんや。千草もそうやろうが」


 ありがと。コータローには感謝してる。やっぱり千草の夫になれるのはこの世でコータローだけだ。愛してる。

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