月の失言 【黄泉と異神シリーズ4】

taktak

「テンゼン、ヤマ当たったな、サンキュー。」

 日吉が後ろの席から身を乗り出しながら、石上典善のりよしの答案用紙をのぞいてくる。典善のりよしと呼ぶ者は少ない。親ですら典善てんぜんと呼ぶ。

 

「あ〜、負けたか。どこ間違えた?」

 

 と、いつもの様に典善の答案をひったくると、自分の答案と見比べる。

 日吉はいい奴だが、夢中になると若干身勝手な所がでる。そんな子供っぽい所が、典善にとっては付き合いやすい要因の一つだった。

 

「ここと、ここ。計算の凡ミスだよ。見直ししたんだけどなぁ。」

 

「ははっ。残念だったな。俺はあってる。今回は神様は助けてくれなかったか。」

 

 と皮肉混じりに肩を叩いてくる日吉に、そこそこ露骨に嫌な顔をすると、日吉は笑いながら「冗談だよ、真に受けんなって。」と自分の答案用紙も押し付けてきた。

 

 いい奴なんだけどなぁ……と典善は不貞腐れた顔をしながら日吉の答案のミスがどんなだったのか眺める。


「テンゼン君は、神様がついてるから良いよね。」


 これはクラスの、というか、石上典善に近しい地元の人間であれば、全員にとって共通認識だった。

 別に宣伝してるわけではない。むしろ、自分が石上神社の関係者だと喋る事は、最近はできるだけ避けるようにしていた。

 だが、石上神社は地元の信仰が厚いため、家業を手伝っていると、祭りや年末年始にどうしても顔が知られてしまう。小学生の頃は誇らしかったし、大人達も褒めてくれるので嬉しかったが、最近はそれが一概に良いことではないんだ、と言う事に薄々気が付いていた。


「あ、緒方だ。」

 

 と日吉が声を出したので顔を上げると、クラスの入り口に髪の長い眼鏡の女子が立って、クラスメイトの女子に何かプリントを渡していた。

 

「相変わらずデケェな。」

 

 確かに緒方は背が高かった。クラスメイトと並んでいると、同じ制服姿のはずなのに、その落ち着いた大人の雰囲気が合わさって、先生が生徒に話しかけているかの様に見える。

 緒方月おがた つきは典善とは別の意味で有名だった。

 いわゆる才女で、常に全国模試の上位に入るレベルの秀才だった。緒方と全く交流がない典善でさえ、彼女の優秀さは風の噂で聞いていた。

 

「ほんと背が高いよな。スポーツやらせても多分強いんだろうな。」

 

 典善は特段興味もなく振り返ると、日吉が変な目でこっちをみている。

 

「……何だよ?」

 

「……いや、俺はテンゼンのそういう純真な所が好きだよ。」

 

 とよく分からないことを口走りながら典善の頭を撫でてこようとするので、日吉の顔を手で押し除けてやった。


 

「林間学校には自由時間もあるけど、勝手な行動は慎みなさい。あくまで課外活動と勉強合宿ですからね。夜も基本的に外出禁止。消灯時間厳守よ。」

 

 ホームルームが終わると、担任はそう言って教室を出て行った。

 塾の時間まで少し余裕がある。どこで時間を潰そうかなと思いながら教科書を鞄に詰めていると、

「なあ、テンゼン。アイス食いに行こうぜ。」

 と日吉が帰宅部仲間と誘ってきた。どうせ同じ塾なので一緒について行くことにする。

 ワイワイ騒ぎながら塾近くの繁華街に足を運ぶ。行きつけのファストフード店で、ボックス席を占領すると、お互いのテスト結果の総評と、林間学校でどうやってルールを破るかについて相談をしていた。

 

「……あれ?緒方だ。」

 

 と友人の一人が言った。

 ん?と思って典善もその視線の先を追うと、店の窓から、人混みの中を颯爽と歩いく黒髪がみえた。視線をあまり動かさず、人波を気にしない足取りは凛としていた。

 

「あいつ、普段車迎えのはずだけど、今日は違うんだな。」

 

 と友人が呟く。

 

「そうなのか?」

 

「ああ。一組の吉田が言ってたけど、何か塾が遠いらしくてさ、お手伝いさんが送り迎えしてるらしい。さすが医者一族。金持ちぃ。」

 

 と呟くと、また友人との馬鹿話に戻った。

 

 典善はそちらに乗らず、人波の向こうに消え去ろうとしている緒方の頭を見ていた。

 揺れる黒髪に合わせて、髪の向こうで何かが、チラリ、チラリと揺れる。心なしか、あたりの風景に比べて、彼女の周りだけが、薄ぼんやりとけぶって見えた。

 典善の中で、何かがそれをいぶかしんだ。

 

「……わりぃ。ちょっと野暮用。」

 

 とバックを肩にかけると典善は立ち上がった。

 

「どこ行くんだよ?もうすぐ塾の時間だぜ?」

 

 と友人の一人がキョトンとした顔で聞いてきたが、典善は、いや、マジで、というとしどろもどろに立ち去ろうとする。

 困って視線をめぐらしていると日吉と目が合った。日吉は何か気がついたらしくうなづくと、

 

「先生に腹壊して遅れるって言っとくから。後で連絡よこせよ。」

 

 と言うと、友人達に別の話題を振った。

 典善は日吉に感謝の一瞥を向けると、足早に店を出て、緒方が立ち去った方向に向かって駆け出した。


 こういう時、祭神の加護はとても役に立つ。

 緒方を見かけて追いかけ始めるまで、それなりの時間差があったため、普通なら見失う可能性は十分にあった。

 でも、典善は迷う事なく街中を駆け抜ける。

 案の定、3ブロックほど走ってふと左を向くと、横道をスタスタと歩いて行く、同じ中学の制服が見えた。

 典善は少し足を緩めると、どう声をかけたものか考える。全く考えずに飛び出してきてしまった。一瞬でいいから体に触れるだけで良いのだが、よく考えたら、見ず知らずの奴にいきなり「触っても良いですか?」とは聞けない。しかも相手は女子だ。

 だが、あんまり逡巡もしていられない。相手を見失ってしいそうだし、いつまでも追いかけてストーカーと間違えられたら警察を呼ばれるかもしれない。

 悩んだ挙句、偶然を装って身体をぶつける事にした。走って、ぶつかって、ごめんなさい。自然だし、どうせ相手は何があったかわからぬままに終わるのだ。決めてしまえば、典善の行動は早かった。

 腕時計を気にしつつ、何かに急かされている風を装い、徐々に駆け足になる。緒方の背中が近づいてきて長い髪の流れが見える。

 そして、その黒髪の幾筋の間から、ザワリと何が顔を出す。それは小さくて何かわからない。強いて言えば、白い指先のようにも見えた。

 典善は意を決する。やはり見たては正しかった。本当に心を急かされて緒方に近づく。そして、軽く肩を触れて走り去ろう……とした。

 

 あと一歩に近づいた瞬間、緒方が足を止めてくるりと振り返った。

 

「どわぁっ!」

 

 と演技ではなく本当に仰天の声を上げながら、典善は緒方と正面衝突した。予想外のことで典善はつんのめって転び、緒方は尻餅をついた。

 

「……ご、ごめんなさい!大丈夫ですか!」

 

 と慌てて身体を起こしながら、手を差し出す。突き飛ばすつもりなど1ミリもなかったぶん、本気で申し訳なかった。

 緒方は差し出された手を見る様子もなく、冷静にスカートのほこりを払いながら立ち上がると、ズレたメガネをひょいと両手で直した。黒縁の眼鏡が夕陽を受けてキラリと光る。

 

「すみません!ちょっと焦ってて……怪我ないですか?本当にごめんなさい!」

 

 典善は平謝りする。もう演技とかどうでもよくなっていて、本気で相手が心配だった。

 その様子を緒方は無表情に見ていた。

 典善が焦ってペコペコしている姿を冷静に見つめながら、腕を組んで何か考えている様子だったが、ふと口を開く。

 

「二組の石上くんよね?」

 

 えっ?と典善は止まる。明らかに不自然に止まってしまい、しまったと思う。でも、どうしようもない。むしろ相手が自分を知っている事に驚愕して動けなかった。

 

「追いかけて来てたのに気がついたらから、曲がったの。尾行の確認よ。」

 

 と涼しい顔で緒方は言った。

 緒方は背が高い。細くすらりとした長い足を肩幅に広げて腕を組んでいると、典善より多少背が高いくらいかもしれない。先生に怒られている感覚になり典善は完全に上擦った。

 

「何か用?」

 

 えっ?あっ?いやっ……!と典善は言葉に詰まる。

 言えない。

「君の背中に、オバケがついてたから、祓っといたよ!」

 ……言えるわけがない。


 気の利いた言い訳が浮かばず、しどろもどろの典善を、緒方はじっと見ていた。しかし、冷や汗まみれの典善に悪意がないのを悟ったのだろうか。軽く鼻を鳴らすと、

「まあ、いいわ。私も急いでるし。」

 と言うと、もう一度服についた埃を払って、

 

「次は気をつけてね。」

 

 と言って、もといた通りの方に戻っていって、そのまま人混みに消えてしまった。


 典善は、緒方の後ろ姿が見えなくなっても、その背中をずっと見ていた。

 正直、さっき祓った怪異よりも、緒方の方がよほど奇怪に感じた。 

 

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