ポンコツ忍者、異世界でゾンビ勇者のお世話係はじめました!?
星神 京介
0 絶体絶命
「はぁ……っ、はぁ……っ!」
私は必死になって周りの空気を吸った。
それだけ私の体は酸素を必要としていた。
肺が焼け付くように熱い。
息をするのも精一杯だった。
千切れそうなほど酷使した両足はガクガクと震え、もう一歩も進めそうに思えなかった。
まるで生まれたての小鹿だ。
左腕からは生暖かい何かが流れ続けていて、視線を落としてみるとお気に入りの忍び装束が赤黒く染まっているのが見える。
お気に入りの忍び装束だったというのに。
任務はどうやら完全に失敗したように思えた。
ちらりと私は後ろを振り返る。
背後には切り立った崖が見える。
ごうごうと吹き荒れる風の音がまるで自分の運命をあざ笑っているかのように聞こえる。
はるか下の方には鋭い岩肌が剥き出しになった谷底が広がっていて、ここから落ちれば助かる見込みはないだろう。
思わずくらりとめまいがする。
(ここまでか)
私は忍び寄る私自身の運命を悟った。
前方と左右からじりじりと複数の敵の気配が近づいてくる。
その数はざっと十……いや、それ以上かもしれなかった。
気配の消し方、足の運び方、そしてさっきの質から察するに私と同じ同業者――すなわち忍者特有のものを感じる。
これほどまでの数の忍者を動員してまで私一人の口を封じようとするなんていったいどれほどの情報を掴んだと思っているのだろうか?
私は侵入したばかりだというのに。
いや、今はそんな詮索をしても意味がない。
状況は絶望的だった。
誰がどう見ても完全に詰んでしまっている。
私が万能の天才とおだてられることがあったとしても、手負いの状態でこれだけの人数差を覆せるような神業は持ち合わせてはいない。
語り継がれる物語の主人公のような存在だったらここから一発逆転の必殺技でもあるのだろうが、私には起こりそうもない奇跡だ。
必死に冷静になろうと思考を巡らせているが身体の方は正直で、心臓は万力でキリキリと締め付けられるように痛む。
それは腕の傷なんかではなくて、これから待ち受けている自分の運命を恐れているような痛み。
心のどこかずっと深いところでなにかが悲鳴を上げている。
懐に忍ばせていたお守りをぎゅっと握りしめる。
私の師匠でもあるおばあちゃんが持たせてくれた魂繋ぎの勾玉。
全ての厄災を取り払い、持ち主に幸運を授けてくれると言っていた。
こんなものに本当に力があるのかは分からないけれど、それでも今は何かにすがりたかった。
この状況をもしおばあちゃんが見越していたとしたら驚きだ。
私はもう一度形が手に残るほど強く握りしめる。
覚悟を決めなくては。
そしてこの状況を切り抜けないと。
私はゆっくりと頭を上げた。
風がびゅぅ、と一層強く吹き抜けて、私の髪を乱暴に揺らしていく。
フードがめくりあがりそうになるのを慌てて抑えたけれど、そんなことをしている場合ではないのは分かっている。
背中に突き刺さるような殺気がじわじわと距離を詰めてきているのを感じていた。
敵の集団は寸分の隙も無く包囲の輪を狭めてくる。
足音一つ立てていないと言うのに殺気を隠そうともせず、むしろ意図的にこちらにプレッシャーをかけるように放ってくるやり方。
どれをとっても私と同じ闇に生きる者たちの気配だ。
「なんでこんなことに」
私は後悔の念を口にした。
ギリ、と奥歯をかみしめる。
今回の任務はたしかに危険なものではあった。
隣国に潜入してとある重要拠点の情報を探る。
そこは軍事拠点として要所であり、守りもかなり厳重だった。
価値ある仕事でもあった。
だが私の技能をもってすればそこまで難しい任務ではなかった。
それに今回の任務は斥候であり、破壊工作など大掛かりなものではない。
それほど事前の準備を必要とするものでもなかった。
しかし結果は失敗した。
私の行動を予測していたかのように大量の敵兵が私を待ち構えていたのだ。
命からがら逃げだしたものの、ここまで追いつめられてしまった。
それにしてもいったいどこで情報が漏れたのだろう。
私を憎んだ誰かが最初から罠にはめようとして仕組んだことだったのか?
だったらそれにまんまとハマった私は間抜けすぎるけど。
とりあえず今はそんなことを考えている暇はない。
目の前の現実は練度の高い忍者に囲まれているということ。
憎たらしいくらい逃げ出す隙を与えてもらえない。
しかも崖の上。
だが逃げ場はどこにもありはしない。
「くっ……!」
呻き声が漏れる。
左腕の傷口がズキズキと脈打つように痛む。
出血がひどくなってきている。
どうやらなんとか誤魔化してきたけれど、血を流し過ぎたらしい。
頭も少しくらくらしてきた。
私は迫りゆく死の影に恐怖する。
だが諦めたくない。
死にたくない。
私にはまだやりたいことがたくさん残っているのだ。
甘味処の三食団子も抹茶パフェもまだ心ゆくまで堪能できていない。
そういえば店長がそろそろ新商品も登場すると言っていた。
この任務が終わったら溺れるほど食べてやるんだ!
そんな現実逃避じみたことを考えてしまうくらいには私は追いつめられていた。
そうでもしないと自我を保っていられなかった。
敵の気配がすぐそこまで迫っている。
まるで蜘蛛の巣にかかった蝶が身動きすることもできずに、ただ捕食される運命を待つようなじわじわと死が近づいてくる感覚に私は息が詰まりそうだった。
だがその中に見知った顔があった。
それは嫌なほどに馴染みのある人物だった。
嫌だ、と心が叫んでいる。
それは脳が現実を理解することを拒んでいるかのようだった。
私の思考は停止した。
それを見計らったかのように、わずかな衣擦れの音と共に包囲していた忍者たちの中から一人、ゆっくりと前に進み出た。
月明かりがその輪郭をぼんやりと照らす。
私の心臓はドクン、と嫌な音を立てて鼓動した。
まさか。
そんなはずはない。
「久しぶりね、ミコト」
静かで、氷のように冷たい声。
真夏の蒸し暑いような夕暮れだというのに、彼女の声は冷ややかだった。
その声が私の名前を呼んだ瞬間、全身の血が逆流するのを感じた。
間違いない。
その声も、その立ち姿も、そして何よりその独特の気配も私の記憶そのものだった。
彼女は――
「アヤメ……」
喉から絞り出すように彼女の名前を呼んだ。
かつて私が唯一心を許し、背中を預けられると思った仲間だった。
アヤメは私が育った忍者の里の中でも指折りの実力者で、私といつも成績を競っていた。
彼女には友達が多く、私には友達がいなかった。
私が早くに両親を亡くしていたということもあり、どうも人前で自己主張するのが苦手な人間だった。
それもあってか小さいころから引っ込み思案で、どうもみんなとなじめなかったのだ。
本当の自分をさらけ出すのがどこか怖かったのだ。
私は人と人との間に壁を作っていた。
そんな一人で過ごしていた私の手をアヤメは引っ張ってくれた。
アヤメは私の実力を認めてくれて、いつしか二人で話すようになった。
二人でこっそり里を抜け出して近くの町一番の甘味処の団子を頬張ったこともある。
そのあと偉い人にバレて二人で大目玉を食らったこともあったっけ。
あの時のアヤメの嬉しそうな笑顔は今でも鮮明に思い出せる。
あの頃は私の人生にとって本当に幸せだった記憶しかない。
しかし目の前の立つアヤメは私の記憶の中にある彼女とは別人だった。
月明かりに照らされた横顔は能面のように無表情で、瞳には暗い影が宿り、光をまるで感じさせない。
かつて私に向けてくれていた親愛の情は微塵も感じ取ることができなかった。
「どうして……貴方がここに……」
震える声で問いかけるのが精一杯だった。
むしろ信じたくなかった。
アヤメが私をここまで追いつめて、追手の彼らを率いて私の前に立っているだなんて。
だが彼女は私の問いかけには答えず、ただ冷ややかに私を見下ろしている。
その視線がまるで鋭い刃物のように私の心を抉っていく。
「まさか……貴方が情報を漏らしたの?」
疑問形ではあったが、私は確信していた。
大事なところでミスを犯す私であっても、侵入に気づかれるのがあまりにも早すぎたからだ。
だが彼女が私の情報を敵国に流し、先回りしていたのだとしたら納得がいく。
私の絶望を肯定するようにアヤメの口元がかすかに揺らいで、残酷な笑みが浮かんだ。
「なぁんだ。分かってるなら話が早いじゃない。そうよ。私があなたの情報を漏らしたの」
その言葉は私の心にとどめを刺すには十分すぎた。
頭が真っ白になって何も考えられない。
同時に胸の奥底からどうしようもないほどの悲しみと裏切られたことへの怒りが込み上げてきた。
「どうして……どうしてなの、アヤメ……っ!」
悲痛な叫びがほとばしる。
信じられない、信じたくないという気持ちと、目の前の冷酷な現実が頭の中でぐちゃぐちゃに混ざり合ってどうにかなりそうだった。
私達は仲間ではなかったのか?
一緒に訓練して、一緒に任務をこなして、一緒に笑いあった日々は全部嘘だったということなの?
だが私の問いかけにアヤメは心底くだらないという表情でフン、と鼻で笑った。
「アンタのそういう優等生的なところ、昔から嫌いだったんだよね」
吐き捨てるように言葉が紡がれていく。
それはあまりにも冷たく、それでいて無慈悲だった。
「アンタはいつもそう。甘すぎるのよ。だからこうして簡単に罠に引っかかる」
アヤメは淡々と、まるで他人事のように言葉を続ける。
私の記憶の中にある彼女の姿とはあまりにもかけ離れていた。
嘘だと思いたかった。
繰り出される言葉の一つ一つが私の胸にぐさりと突き刺さる。
たしかに自分が甘すぎることは師匠からも言われていた。
人を疑うことを知らず、簡単に信じてしまう。
それは忍者として致命的な欠陥だった。
私がどれだけ人よりも体術や忍術に優れていても、忍者というものは闇に潜み、人を操り、盗み、壊し、そして殺すものだと。
任務を最優先すべきで人としてどうありたいか、どうあるべきかという疑念は捨て去れ、と何度も教え込まれた。
でも私は騙されても自分の信じた道を歩みたかった。
それを肯定できるぐらい人よりも卓越した技量を身につければいいだけの話だ。
私はそう思った。
そして、それ以上の力を身につければいいと努力した。
その努力は私に人並み以上の忍者としての実力を授けてくれた。
だがその結果が目の前の出来事である。
そう。
分かっていたけれど、きっと私は根本のところから間違っていたのだろう。
「……っ!」
言葉が出なかった。
怒りなのか悲しみなのか自分でもよく分からない。
少しだけ目が潤んでいる。
景色がかすんで見える。
まるで私の脳が現実を理解することを拒絶しているようだった。
情けない話だ。
だが現実は自分の馬鹿さ加減をはっきりと伝えてくる。
たしかなことは彼女の方が自分よりも上手だったということ。
私はまんまと彼女の掌の上で踊らされていただけだったのだ。
彼女が私よりも優れた忍者だったというそれだけの単純明快な事実。
この状況もきっと最初から彼女が仕組んだ罠。
アヤメはどういった理由か分からないけれど、敵国に寝返り、そして情報を漏洩した。
それは紛れもない事実だった。
どんなに否定しても変わることはない。
そして私の弱さを利用してこの状況を作り出した。
完敗だ。
弁明の余地はない。
任務は失敗。
そして私は裏切り者の手によってここで命を落とす。
簡潔で単純な結末。
それが私に下された運命だった。
「分かったわ……」
搾りだすように言葉を紡いでいく。
自分でも気づいてしまうぐらい声が震えている。
本当に泣き出したいぐらいだ。
でも私は泣かない。
みっともなく命乞いをするつもりもない。
私は忍者の里の者。
しくじれば自分の命で責任を取る。
それが私達の掟だ。
どんなに甘い私でもそこだけは守らなくてはいけない。
「任務失敗の責任は……私が取る」
アヤメの顔をまっすぐに見据えて言い放つ。
彼女の瞳にほんの一瞬だけなにか別の感情がよぎった気もするけれど、それはきっと気のせいなのだろう。
彼女は裏切り者だ。
私が見知った人の形をしている畜生だ。
ここで捕らえられれば生き残ることはできるかもしれないが、私は尋問と拷問の末に里の重要な情報を敵国に渡すことになるだろう。
少しぐらい時間を稼いだり、偽の情報を掴ませたりすることはできるかもしれないが、彼らもプロだ。
いずれ本当の情報にたどり着いてしまうだろう。
それだけは絶対にさせない。
たとえ自分の命をここで絶つことになったとしても。
私はゆっくりと後ろに一歩下がった。
背後にはもう地面が無い。
ごう、と谷底から強い風が吹き上げてくる。
死の匂いが私をあざ笑うかのようにケタケタと笑っているようだった。
これまで散っていった死者の亡霊がまるで私を誘っているかのようだ。
これから起きる恐怖に足がすくみそうになる。
だが私はすべきことを成すだけだ。
私は覚悟を決めた。
「さようなら、アヤメ。私の唯一の友達」
周囲の忍者が何かを悟ったかのようにざわめく。
だけどこれが私にできる唯一のけじめ。
私は両手を広げながら目を閉じて断崖絶壁から暗い谷底へとその身を投げ出した。
ひゅーっとつんざくような風が耳元を通り過ぎていく。
自由落下だというのになんだか不思議と空を飛んでいる鳥の気分になった。
全ての感覚が他人事のようだ。
私という存在はここで終わるのだ。
身体を宙に浮かせたときにほんの少し後悔があったけれど、すぐに運命を受け止めようという気持ちになってくる。
これで良かったんだ。
任務に失敗した忍者など必要ない。
私みたいな甘い忍者など初めから存在してはいけなかったのだ。
でも今際の時だというのになぜだかアヤメの顔が浮かんだ。
あの冷たい瞳。
もし彼女を何か傷つけたことがあったのなら謝ろう。
もう二度と何も考えずに笑いあえたあの頃みたいに無邪気に遊ぶことはできないのだな、と思うと胸の奥がチクリと痛くなる。
おかしな話だ。
私はもう少しで死のうというのに。
私をこうした運命に導いた憎むべき相手のはずなのに。
何も考えず、あの頃のように無邪気に笑いあいたかったな、と。
でももういいんだ。
この苦しみも、痛みももう少しでなくなるはずだから。
思考が散乱していく。
目を閉じてからどれくらい落ちたのかは分からなかった。
ただ全身を包む浮遊感と肌を刺すような冷たい風だけを感じていた。
せめて苦しまずに逝けるといいな。
そんなことをぼんやりと考えいた。
その時懐に入れていた魂繋ぎの勾玉が急に熱を帯びだした。
それはもう火傷するかぐらいの熱さで、おまけにドクドクと鼓動を打ち始めている。
「なに……これ……っ!?」
私は驚いて目を開ける。
次の瞬間服の上からでも分かるぐらい強烈な光を放ち始めた。
それは眩いばかりの七色の光だった。
まるで小さな太陽がそこにあるみたいに、強烈で、温かくて、どこか神々しい光。
崖から落ちているっていうのにその光景があまりにも幻想的で、私は一瞬自分が置かれている状況を忘れてしまった。
風の音も、落下していく感覚もなぜか遠のいていく。
代わりに全身が優しいぬくもりに包まれていくのを感じた。
それはまるでお母さんの腕の中で抱かれているような不思議な安心感だった。
でもそんな感傷は一瞬だった。
勾玉から放たれる光と熱はどんどんと強くなっていき、私の意識はその激しいエネルギーの奔流に飲み込まれていった。
「あ……」
視界が真っ白に染まっていく。
体が溶けてしまいそうなほどの強烈な熱を感じる。
これが死ぬということなのだろうか。
私は未知の体験に胸を躍らせる。
そうして強烈な光と熱に包まれながら私の意識はぷつりと途絶えた。
それが私がこの世界で最後に感じたことだった。
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