恋のつまさき

奔埜しおり

「ともだち」

図書室の妖精

 頬を撫でていった柔らかな風が、視線の先にある、図書室のカーテンをふわりと持ち上げる。一緒に、窓際の席で本を読んでいた女子の、肩まで伸びた黒い髪も揺らしていった。


 絵だと、思った。

 その風景が綺麗とか、そういう意味ではなく。目をそらせば消えてしまいそうな、そんなはかなさを感じる、幻とかそういう意味で。


 彼女の表情が見えない程度には離れているのに、ページをめくる音が聞こえてくるような気がした。


「アサヒー?」


 軽やかな声と一緒に、ひょこっと丸っこい瞳が俺を覗き込んでくる。

 同時に一気に音が耳になだれ込んできて、現実に引き戻された。

 あれ、俺なにしてたんだっけ。


「び……っくりした」

「こっちがびっくりしたー。いきなりぼーっとするんだもんよー」

「あー、それはごめん」


 唇を尖らせる青井あおいに謝る。


「ま、別にいーけどっ。なに、面白そうな部活見つけた?」

「いや、部活っていうか」


 そうだ、今は放課後の部活体験の時間で。

 青井が運動部全部見たいとか言うから、山田やまだと三人で色々な部活をまわっていたんだった。


「なに、妖精見てたのか?」


 おおよそ、妖精というファンシーな単語と相容れなさそうな低い声。

 俺と青井は、山田を見た。


「なに? よーせーって」

「ほら、図書室にいるだろ。本読んでる黒髪の女子」


 山田が指さした先を、青井が見て、首を傾げる。俺もそちらに視線をやる。

 そこでは、先ほどの女子が、変わらず本を読んでいた。


「いるけど、妖精って?」

「中二のとき同じクラスになったんだけど。いつも本読んでるか、図書室行ってるかだったから、クラスの奴が『図書室の妖精』って」


 図書室の妖精。

 そのあだ名は、図書室に溶け込む彼女にとてもしっくりきた。

 同時に、どうしてか、胸が締め付けられた気がした。


「へー。で、アサヒはリクのゆーとーりなの?」

「え」


 急に話を振られて面食らう。

 リク? ああ、山田か。言う通りって、なんて言ってたっけ。


「妖精を見てたのかって」


 苦笑交じりに、山田が補足してくれる。

 ああ、とやっと頭が追いついて、思わず笑う。

 意識を持っていかれすぎだろ、俺。


「なんか、見ちゃって」

「まあ、珍しいよな。部活体験もせず、図書室で本読んでるなんてさ」

「図書室、オレ授業以外で行ったことないんだよなー」


 退屈そうに頭のうしろで腕を組みながら、青井が言う。

 山田がハハッと笑う。


「見るからに縁がなさそうだもんな、お前は」

「リク、それ、褒めてないだろー」

「どうだろうな。で、次どこ行くんだ?」

「ハイハイハイ! オレ、バスケ部!」


 元気よく右手を上げる青井に、挙手制かよ、と山田が笑う。

 クルクルと表情が変わる青井に、俺も笑ってしまう。


太田おおたもそれでいいか?」

「俺はどこでも」

「ん、じゃあバスケ部だな。体育館行くぞ」

「よっしゃ、オレ一番!」

「ぶつかるなよー」

「……山田、保護者みたいだな」

「うっせ、ほら、太田も行くぞ」


 青井を追いかける山田に肩を叩かれる。

 俺も追おうとして、ふ、と図書室のほうを見た。


 図書室の妖精と呼ばれている彼女は、本を読み終えたのか、ちょうど立ち上がったところだった。


「……サイズも妖精じゃん」


 小柄な子だった。

 図書室の棚が、どのくらいの高さまであるのかは知らないけれど、もしかすると届かない棚があるのではないか、と思うくらいには。


 図書室の妖精。

 しっくりくると同時に、どうしてこんなに悲しくなるのか。

 少し考えて、でもわからなくて。

 小さく首を傾げた後、俺は青井たちを追いかけた。

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