橋の下のオーケストラ

ビックバンブー

一章【橋の下のオーケストラ】

南東北だか北関東だかと言われている、栃木県と茨城県と千葉県北部の東京の玄関口のハブ駅の一つ、北千住駅の改札を抜けると、人の息と笑い声が混じった濁った風が顔に触れた。


土埃と排ガスの混じった、どこか懐かしい匂いだった。


午後1時。早春の陽射しはまだ柔らかい。

けれど、北千住の空はどこか硬質だ。

再開発ビルのガラスに反射した陽光が、冷たく路上を照らす。

誰かの人生を焼き尽くすには、まだ温度が足りない。

歩く。

駅の西口を出て、ルミネを背にして土手の方へ。


北千住、かつては東京都内の治安ワーストの代名詞だった街が、今では「住みたい街ランキング上位」の顔をしている。

けれどその裏側には、今も生活のざらつきが残っている。

朝から飲める路地裏の居酒屋。

昼から空き缶を鳴らす老人。

無言で並ぶ弁当屋の行列。

東京という都市の「終点」であり、「出発点」でもあるこの町には、「音」がある。昔の日本にはあった何とも言えない、感情を持った人間の出す「音」がまだ残っている。珍しい街。


―――


千住新橋。通称「オケ橋」。

今向かっているのは、その橋の下。

SNSにはびこる都市伝説には

「交通量多い橋なのに音楽が聞こえる」

「その音を聞いた者は、人生が少し変わる」

「一人で聞くと連れ去られる」

「やけに顔色の悪い男がいる」

SNSや匿名掲示板では、その噂が静かに息づいている。馬鹿げた話だと思っていた。

そんな、SNSの都市伝説ともただの噂とも思える、誰も確認に行かなそうなネタを調査に行くのが俺の仕事。

世間一般でいうところの、売れないフリーライターだ。


―――


名前は飯田大地。通称ダダ。

ジョジョみたいなアダ名は気に入っているが、波紋もスタンドも出せない。吉良にも会ったことない。


茨城県の玄関口と呼ばれる町で育った。地元の人間からすると川を越えたらすぐ千葉県であり、実際ほぼ千葉県だと思って暮らしていた。

東京の中心地、上野まではわずか40分。

そんな微妙な立地にある南東北地方(北関東ではない)の小さな町に、1980年代、俺、ダダは生まれた。


農協職員の母と消防隊員の父の一人息子として誕生した俺の生まれ方は、少しばかり劇的だったらしい。

出産時、へその緒が首に三重に巻きつき、心肺停止状態だった。産声を聞く前に看護師の驚く声が聞こえたと母はよく話していた。

最初は息をしていなかったが、背中を強く叩かれて息を吹き返したという。


冗談交じりに「テレビと同じ原理で生き返った」と笑いながら話してくれた母の顔は、どこか誇らしげだった。

死にながら生まれてきたのか。

生まれながら死のうとしてきたのか。

なんだか面白い状態での生誕らしかった。

新生児の頃は黄疸が強く出たりと健康に不安もあったが、無事に成長し、人より少し感覚が鋭敏になったような気がしていた。


それはもしかすると、生まれた時の酸素不足の影響かもしれないと冗談めかして考えるようになった。

鋭い感受性のおかげで人の感情を人一倍強く受け止めるようになり、やがてそれが自分の個性として受け入れられるようになった。


そんな好き勝手に、感受性強く生きてきたので、もちろん独身の45歳。


下北沢駅の昔にTSUTAYAがあった出口から坂を下って、王将の手前を左に曲がり、池ノ上駅に向かう途中の教会の向かいにある、2階建ての古びた建物に住んでいる。


家賃4万5千円の下北沢の木造アパート「小嶺荘」。

隙間風は友達みたいなものだ。


このアパートには、夢を見なくなったのか、まだ見れていないのか、そんな、まだ何者でもない人たちが住んでいる。

劇団を辞めた役者、バンド解散後のドラマー、離婚して戻ってきた元保育士。

俺もその一人だ。

右目だけが黒い伊達メガネ。

左目は透明。見える世界と、見たくない世界を分けるフィルターだ。


かつては、戦場カメラマンだった。


きっかけは、 中学の図書館で偶然手に取った、一ノ瀬泰三の『地雷を踏んだらサヨウナラ』だった。

タイトルに惹かれた。

ドキュメンタリー的エッセイで、戦場ではいつ死ぬか分からないが、それでも前へ進むという強い意志と覚悟を、50文字以上の文字など読んだことなかったのに覚悟を受け取った本だった。

極限の中、血と泥と、それでも生きようとする人間の写真、当時、報道されにくい子供や女性の写真が、脳裏に焼きついた。


衝撃だった。


まさに、「写真は“記録”ではなく“感情の引き金”となる」引き金引かれて人生決まった。


「誰かが行かなくては伝えられない。誰も行けないなら、自分が行く」——若さの傲慢だったが後悔はない。


ありきたりな高校を卒業し、写真の専門学校に通い、撮り方を覚えたら、早速退学し、飛んだ。

東南アジア、中東、アフリカ。

死と隣り合った土地を、十数年歩き続けた。

そして、アフガニスタンとタジキスタンの国境付近での爆風。

アフガニスタンの山岳地帯で、砲撃に巻き込まれた。

ボロボロで日本に強制送還され、奇跡的に生き延びたが、右目の視神経が損傷しほぼほぼ見えない、色が無くなり、ずっとピンぼけしている状態になった。


世界が変わった。ピンぼけの世界に


ピンぼけの世界に変ったら、「音」が見えるようになった。


医者は「PTSDの一種だろう」と言った。

続けて、「しかし、失明し、音が見えるようになるとは、脳が視覚の喪失を補うために、聴覚や他の感覚を視覚的に再構成して知覚する状態と考えられるかな。実際に一部の盲人が体験している「共感覚的な感覚変換」や、「感覚代行技術」なのかもね」


「はぁ」

と適当な相槌をしたが、俺は知っている。

これは、誰かの感情を、音として感じ取る力なんじゃないかと。

例えば、音が見えるようになってから、小鳥のさえずりは淡い黄色で見えたり、車のクラクションは、赤い閃光のように見えたり、近くの人が楽しそうに話していると柔らかい薄い青いリボンが交差した曲線のように見えたりした。


つまり、感情や状況を色や形状、強さで見れるようになったのだ。あまり人には言っていない、言うと馬鹿にされるし、逆に取材されそうで怖くて言ってない。

音が見えるってことは、便利な特殊能力なんかじゃない。

最初の頃は興味本位で楽しんでいたが、気づけば、周囲のすべての感情が波のように押し寄せてくることに耐えきれなくなっていた。

たとえば、駅のホームで急いでいるサラリーマンの焦りの赤が視界を埋め尽くしたり、家路を急ぐ主婦の漠然とした寂しさが青色の霧のように俺の周りにまとわりついたりする。

それはまるで、見知らぬ他人の感情を背負わされて生きているようだった。

いつしか、俺はその重みに疲れ、目の前にフィルターをかけることでしか正気を保てなくなっていた。

今は、右目にだけ深い黒色の入ったサングラス型のメガネをかけている。

街では少し変わったファッションと見られるが、これはファッションなどではない。右目を覆うレンズは真っ黒で、わずかに青みがかった濃い色彩。

俺が持つ、感情を「音」として視覚化してしまう力を抑えるための、ただ一つの方法だ。


精神的に限界が訪れた時、馴染みの眼鏡屋の老人が特殊なレンズを作ってくれた。

最初は半信半疑だったが、その右目だけのサングラスをかけると、世界が穏やかな色に戻った。

感情は依然として感じ取るが、それはあくまで微かな輪郭としてのみ伝わり、圧倒されることはなくなった。

右目にかけたこの特殊なメガネは、俺にとっては世界と自分を隔てる唯一のフィルターであり、防波堤のような存在になった。

街を歩くとき、取材をするとき、そして日常を生きるとき、この片目のサングラスだけが俺を守ってくれる。

だから今日も俺は、この右目だけ黒く染まった視界の中で、静かに生きている。

そんな特技みたいなのを生かせるフリーライターを生業としている。

都市伝説、社会の裏側、町の片隅で起きる名もなきドラマを追いかけている。

もちろん、それだけでは食べて行くことはできない。


―――


古びたビルの地下、細い階段を降りた先に、ひっそりと構えている。

カフェと骨とう品屋が併設された空間。

店の入口は目立たず、看板には「chimera」とだけ筆記体で何かの骨で作られている。

日によって店名の綴りすら変わるように見える。

客が入って行くのは見たことあるが、出てくる所は見たことない。

誰が買うか分からないボロボロの布や、何語で書いてあるか分からない全三十巻の本や、見たことない色使いのガラス食器、録音テープ、などを扱っている下北沢駅近くのどうやって儲かっているのか分からない、地元の人々も「たまに開いてる不思議な店」としか認識していない「キマイラ堂」でアルバイトをしている。


店主のやっくんのことを説明しようとしても、何から話せばいいのかよくわからない。

たまにふらっと帰ってきて、棚に何か置いていく。

使い方も、意味も言わずに。

世間のレールから脱線した人。

やっくんは、どこで生まれたのか、何をしてたのか、誰も知らない。

店に来た客が聞いても、「忘れた」とか「インドの山奥で茶を淹れてた」とか、適当なことばかり言ってた。

店にはいないけど、誰よりもこの店のことを気にしているし、誰よりも、俺の顔色に敏感な人だと思う。

そういや、やっくんが前に海外から帰ってきた時に言ってた。


「世界はね、言葉じゃなくて雑音でできてるよ」って


どこでどうやって手に入れてくるか分からないが世界中の見たことない雑貨や古本を仕入れてくるというか送ってくる。


ロシアの聞いたこともない詩集、チリの誰かのポスター、ナイジェリアの何かのマニュアル、チベットの即身仏みたいな人形、タイの持ってきちゃいけなさそうな仏像、ジャンルも言語も国もなんの制限もなく送られてくる。


俺の仕事は、それらを開封し、分類し、棚に並べること。

値札もやっくんの手書きだ。とてもじゃないが、俺は手が出ないし、買わない値段だ。


―――


カフェスペースは6席ほど。

コーヒーの香りと、アンビエント音楽のような小さな音楽。

アンティークのスピーカーから流れるのは、誰も知らない国の民謡や、名前のないジャズ。

提供されるのはコーヒー一択。

しかもメニューは存在せず、注文すら不要。

カフェスペースに座れば、俺が勝手にコーヒーを出すシステムだ。

一杯500円。現金のみの強気の清算方法だ。


雑貨と古書を売っていて、コーヒーが飲める店は珍しいが、やっくんがそうしてほしいというので、そうしている。

気まぐれな日は、焦げ目の強いガーリックトーストが一切れだけ添えられることもある。

それを口にできるのは、何しているか分からない常連だけだ。


店に置いてある古本は何がかいてあるか読めるんなら、立ち読み自由。


奇妙なことに、キマイラ堂の売上は年々上がっている。

それも、カフェの収益ではない。

ふと現れる“何かを探す客”が高額で“何か”を買っていくのだ。

その客たちは、スーツ姿であったり、民族衣装であったり、顔を隠していたり、顔中ピアスだったりする。

共通しているのは、会話がほとんど交わされないこと。

そして、彼らが手にするのは、棚にある、わけのわからない何かだということ。

レシートも領収書もない。 キャッシュのみ。 買った品の説明を尋ねる者もいない。 ただ、静かに、礼儀正しく支払っていく。

客が来ると、音が歪む時がある。

意味のないラジオ波が店内に混じる日があるような日常的違和感を少しだけ感じる時があるが、そんなことは気にしない。


秘密の取引所みたいだ。 けれど、ダダにとってはそれが日常だ。

ほぼ毎日、店に立ち、毎日コーヒーを淹れる。

それがダダの居場所でバイト先。


―――


そして今日も、キマイラ堂で予定を済ませて、小田急線から代々木上原で千代田線に乗り換えて、一時間程電車に揺られて、オケ橋へ向かっている。

10日前から通い続けているのだ。

オカルト系編集者に、

「10日間オケ橋に通って、噂は本当か検証してきてくださいよ!」

「面白かったら記事買いますんで!」

「取材費は建て替えでおなしゃす!」

こんな10歳以上も下の編集者に雑にお願いされても怒らない。

怒らないし断らないのは、仕事をいつも振ってくれる貴重な存在だから。

どうやら、昔の俺の写真が好きだったらしい。俺のこと好きなやつはいいやつ。

10日前の「初日」は誰もいなかった。音もなかったのだが。

つづく

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