第百十二話:鍛錬を重ねて
――宿の前に着いた頃には、時刻はもう夜。街灯の灯りが石畳に落ちていた。
扉を押すと、油の匂いと香ばしいスープの香りが混じり合って鼻をくすぐる。
珍しく客足は少なく、皆既に食事を済ませたのか食堂からは音はなかった。
カウンター奥にいる女将が、何やらごそごそしている。
(……ん?)
ふと視線をやった先で、彼女の手にあるのは布切れと――壁に飾られていた剣。
初めてこの宿を訪れた日、妙に印象に残っていた古びた剣。柄の部分には見慣れない紋章が刻まれているものだ。
埃ひとつなかったそれを、今は丁寧に拭き上げている最中らしい。
「おや、お帰り」
こちらに気づいた彼女が笑顔を見せる。その手は止まらない。布が刃を撫でる度に、微かな金属音が夜の静けさに混じった。
「ええ、ただいま帰りました……磨いてるんですか、その剣」
「そうさね。昔からの癖みたいなものよ、放っておくと落ち着かなくてね」
軽く言うが、剣を扱う手の動きは妙に馴染んでいた。
ただの宿屋の女将がするにしては、刃の角度、布を滑らせる方向……どれも迷いがない。まるで、長年身体に染みついた動作のように。
(あの握り方……ただの素人じゃない、か)
剣を握るには腕力だけでなく、重心の置き方や支点の使い方が重要になる。剣術:Lv.2という域にいるのもあり、その感覚は身をもって知っていた。
女将の所作は、武器をただ飾る人間のものではないとそう感じている。
「どうかした?」
「いえ。ただ、随分と手慣れていると思いまして」
「ふふ、昔取った杵柄ってね。昔は随分とヤンチャしてて。もう振り回すことはないけど、眺めて磨いてるとね、懐かしくなるんだ」
彼女はそう言って笑った。冗談めかしているが、目の奥に一瞬だけ鋭さが走ったように見えた。
それは一瞬で消え、いつもの柔らかな眼差しへ戻る。
「それはそうと、ご飯用意してあるから食べていきな」
「ええ、有難くいただきます」
ひとつ頷いた女将は、丁度剣を磨き終えそれから適切に剣を元の位置に戻していった。
その磨きをかけた剣は、ただの装飾ではなくいつでも実戦に戻れるかのような“現役”の匂いを帯びていた。
(誰しも一度は戦いを知り、今はそれぞれの“戦場”で生きている……か)
今思えば、この宿はほとんど冒険者が利用している。それに冒険者の出入りに慣れている態度。武器を前にした自然な仕草。そして今の剣の扱い。
彼女がかつて何者だったか、深く追及する気はない。だが、冒険者を客とする宿屋の女将としての気概を感じさせられたのは確かだった。
(俺は一人だが、周囲にも隠された強者はいる)
拳を握る。孤独ではない、というわけではない。だが、戦いに向かう時は結局、自分しか頼れない。
ならば、自分は戦いに殉じ、彼らは彼らの役割を果たす。それでいい。
足を動かし、食堂でご飯を食べてから部屋へ。背後からかすかに漂う油と鉄の匂いを感じながら、自室の扉を閉めた。
今夜は休む。明日はまた、炎と痛みを力へ変えるために。
◆
――翌朝。
宿の窓を開けると、ひんやりとした風が流れ込んだ。昨夜は十分に休めた。体の芯に残っていた熱も、今はすっかり冷めている。
軽く顔を洗い、ある程度の身支度を済ませてから食堂へ。
「おはよう、アル坊」
「おはようございます」
そこでは、既に女将が既に朝食を並べていた。短く挨拶を返し席に座る。
焼きたてのパンと卵、それに少しのハーブスープ。食事を取りながら考えるのは、昨日の鍛錬だ。
あの池での火炎耐性を上げるための鍛錬――監視の目があると分かっている以上、同じ場所を利用し続けるのは危うい。
(……今日は別の場所に移すか)
隠密を磨いた意味もある。実際に“視線”を撒きながら移動し、その先で火炎耐性の鍛錬を行う。そうすれば、二重の鍛錬になる。
食事を終え、荷をまとめ、宿を出た。
街の喧騒は始まっていたが、俺は人の少ない道を選んで歩く。歩幅をわずかに狭め、視線を意識的にずらす。監視の目があれば、少しでも“追いにくく”したい。
街中には決まって来ないようだが、それもいつもとは限らない。
城壁の外縁を抜け、小さな林に入る。木々の間を抜けると、小さな岩場に出た。ここなら水辺はないが、周囲に燃えるものも少なく、炎を扱うには適している。
腰を下ろし、持参した小型の火起こし魔道具を取り出す。掌ほどの石板に、赤い魔法陣が刻まれている。魔力を流せば、炎が立ち上がる仕組みだ。
指先に少しだけ魔力を込める。石板の中心が赤く光り、控えめな炎が揺れた。
俺はゆっくりと手を差し伸べる。掌に火が触れ、熱が走る。皮膚が焼けそうな感覚。だが、火炎耐性がLv.8になったからかその感覚も最初の頃と比べると容易なそれに変わっていた。
手を引かず、意識を集中させる。
昨日の鍛錬では思ったよりもポーションの消費は少なかった。これも高レベルの火炎耐性となっているため、HPの減少が抑えられているおかげだろう。
最初は目に見える速さで減少していったHPも、今は約三十秒ぐらい火に晒してようやく1%減るぐらいの割合。
今日の鍛錬では、出来る限りキリの良い数字――“火炎耐性:Lv.10”までは持っていきたい。
あくまでも計算でしかないが、Lv.10もあれば……蓄積された紅鎖スキルを解放しての《
もし仮にだが、完璧に安全を確保をするのであれば……
(“無効”か。無効系スキルは、ユニークスキルの類に入る)
例えば“火炎無効”というスキルが存在する。炎属性に関する攻撃その全てから一切影響を受けない。火傷も炎属性に付随する状態異常のため、それも無効の対象となる。
だが、その扱いは基本的にユニークスキルとなる。例外を除き、通常スキルのように鍛錬で取れるというレベルではないのだ。
(そもそもの話、“火炎無効”を持つ敵は見た目がいかにも……だからな)
炎を無理やり実体にしたかのような外見。炎で挑めば吸収されそうな、そんないかにもといった感じの敵なため、大人しく弱点に持つ属性で突破していた。
(出来ることは、耐性スキルのレベルを上げて、無効化に等しい所まで持っていく)
依存という状態異常を“不屈:Lv.5”で無効化に等しいほどに押さえつけているように。
火炎耐性もまた同じだ。Lv.10まで上げ、確かめてみて、さらに新たな技を得たら検証。足りなければ更に耐性を強化するのみだ。
(烈撃スキルの方も検証しないとだな)
衝撃波ぐらいであれば、今の物理耐性でもダメージはないようだったが……ゲームでは、“物理”は属性に含まない仕組みとなっている。
だから素手で技を発動する際に自分にもダメージが行くのは属性のみか、それとも別の要素か。最初は物理耐性が作用していると考えたが……それが正しいのか、近いうちに確かめなければならない。
そう考えると、確かめることが多いな。
そう思考を深めていると――
《特定スキルのレベルアップを確認》
《スキル《火炎耐性》Lv.8→Lv.9》
火から伝わる感覚が、また変わった。皮膚は破れない。火はそこにあり、俺はそれを握り締めることができる。
「……また一段と、か」
小さく呟き、手を離す。炎が石板の上でゆらりと揺れ続ける。
火炎耐性の成長は確かだ。だが、これはただの通過点に過ぎない。
「Lv.9。だが、限界じゃない」
水を一口含み、息を吐く。
火炎耐性が伸びるほど、炎との距離が縮まる。以前までは“脅威”だった炎が、“道具”にすることができるように。やがては“武器”に変わるのだろう。
様々なスキル、それらと焔撃を組み合わせる未来を想像し、俺は拳を握る。
日の位置を見てみると、時刻は昼頃になっている。ならばまだまだ鍛錬できる。上手く行ければ、Lv.10になった後、紅鎖スキルの試行も今日中に出来るかもしれない。
一段と緩やかに減少していくHPと相談しつつ、さらなる鍛錬を続けるのだった。
―――――――
ここまで読んでいただきありがとうございます!!
次も楽しんでくだされば幸いです!!💪
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