第32話「お前はもといた場所に帰れ!」

       ジャック9


 日下部先生に連れられて、落合久二と野茂桃子はやって来た。普段学生が使っている場所に大人がやってくると、なんだか狭く感じる。それが、野球選手とモデルなのだから、尚更だ。


「お邪魔します」


 二人とも放送室に入った途端にマスクと帽子を取り、丁寧なお辞儀と挨拶をした。


 落合久二は短髪で背も高くがっしりとしているが、優しそうな柔和な顔をしていた。


「はじめまして。ごめんね突然」


 気さくに私たちにも話しかけてくれたので、すぐに放送部の男子生徒に囲まれた。


 野茂桃子の方は、「懐かしー」を連呼しながら、放送部室の中をうろうろと動き回っていた。髪は明るい栗色に染めているが顔が小さい。磁石にくっつく砂鉄のように、女子生徒が彼女の後ろをついて歩いている。


 流石モデルをやっていることはあり、スタイルが良く、身長も高い。まさに大型カップルだな、と思った。


「まさに大型カップルだな、とかつまらないことを考えていそうだね」


 針ヶ谷さんに言われ、どきりとしながら「まさか」と返事をした。私と針ヶ谷さんは、一歩引いた場所で、彼らを眺めている。外交は瀧さんに任せておいたほうがよい、ということは針ヶ谷さんもわかっているようだ。


「桃ちゃん、落ち着いて」

「はーい、ごめんごめん」


 日下部先生がたしなめると、野茂桃子が笑顔を見せた。


 おや、と思い、訊ねてしまう。


「先生たちは?」

「同級生なの」

「仲良し三人組だったんだから」と野茂桃子が日下部先生に抱きついた。


「校舎の風景も桃ちゃんって呼ばれるのも、この部室の匂いも何もかもが懐かしいなあ」

「わたしはずっとここで先生してるから、あんまり懐かしくはないけどね」

「そうそう、日下部が先生になったって聞いて、向いてるなぁって思ったよ。いつも勉強教えてもらったなあ」


 落合久二が朗らかな口調でそう言うと、野茂桃子と日下部先生も頬を緩めた。当たり前のことだけど、先生にも高校生のときがあったんだなとしみじみ思った。三人が制服を着て、談笑をしていた光景が目に浮かぶ。


「初めまして、三年の天宮静香です。この度、インタビュアーを務めさせていただくことになりました」

「聞いてるよ。よろしくね。これからミスコンに出るんだってね」

「はい、わたしなんかがって気もしますけど」

「頑張ってね! 天宮ちゃん美人だからなれるよ!」

「ありがとうございます。精一杯頑張りたいと思います」

「それよりもさ、ハートのキングにも出るよね? ねえねえ、好きな子はいないの?」


 インタビュアーの天宮さんの方が矢継ぎ早に質問を受け、たじろいでいた。それを見た日下部先生が動き、四人を放送ブースに押し込んだ。


 ガラスの向こうには既に瀧さんが座っており、ヘッドフォンをつけていた。放送が十二時にスタートだからすぐにでも軽い打ち合わせをしなければならないらしい。


 瀧さんと天宮さんが右側に座り、手前に落合久二と野茂桃子が座った。放送は十分程度で、挨拶とコメントをもらうのだそうだ。生放送だとバレると、ここに人が押しかけてくる可能性がある為、コメントをもらったという体にするらしい。


 社交力が高い瀧さんと天宮さんは、すっかり落合久二と野茂桃子と打ち解けたようで、笑い声がこちらに漏れてきた。


「日下部先生が、落合久二たちと同級生だとは知りませんでした」

「二年の頃から、クラスの三役だったの。落合くんが委員長でわたしが副委員長で、桃ちゃんが書記だった。あれから十年かぁ。二人とも立派になっちゃってねぇ」


 先生と有名人が同級生で、同じ教室にいたのかぁ、と思うとなんだか不思議な気持ちになった。時間の流れに対する驚きなのか、有名人に対する距離感なのか、世界の狭さについてなのかは判然としない。


「昔から、あの二人は仲が良かったんですか?」

「落合くんは野球にしか興味が無いんじゃないかって周りに言われるくらい、野球に打ち込んでたなぁ。委員長なのに『俺は野球以外できないからなぁ』って仕事ができなくて、よく手伝ってあげたんだよね」

「二人、よく付き合うことになりましたね」

「そうねぇ。みんなが桃ちゃんを応援してたんだけど、落合くんはかなり鈍感だったなぁ。桃ちゃんがハートのキングで告白をして、上手く行ったって感じ」


 そんな話をしている間に十二時になり、チャイムが鳴り響いた。


 ミキサーの前に座る生徒が手で合図を送ると、ブースの中にいる瀧が挨拶を始めた。


「本日は、苺原高校文化祭二日目にご来校いただき、ありがとうございます。放送部三年の瀧裕次郎です。創立百十周年を記念し、スペシャルなゲストからコメントを頂きましたので、お聴きください」


 瀧がミキサーの前に座る生徒を見る。すると、空間が突き抜けるような不思議な効果音が鳴った。テレビで聴いたことがあるような演出で、様になっているなあと感心する。


「えーと、はじめまして。苺原ホエールズの落合久二です」

「ご来校の皆様、こんにちは。モモモこと、野茂桃子でーす」

「本日はお越しいただき、ありがとうございます。インタビュアーを務めさせて頂きます、三年六組の天宮静香です。早速ですが、お二人とも苺原高校の卒業生ということですが、久しぶりの校内の印象はいかがですか?」


 物怖じをしない性格なのか、声が震えることもなく堂々とした様子で天宮さんが話し始める。放送部員たちの高揚した顔を見ながら、きっとこれを聞く生徒たちも天宮さんのことを好きになるだろうなと思った。


 放送を聴きながら、針ヶ谷さんに訊ねてみる。


「ジャックは何をしてくると思う?」

「楽しみにしていなよ」

「随分余裕なんだね」

「佐野くんには黙っていたけど、五パターン想定していることがある」

「五パターンも?」

「まず」


 針ヶ谷さんが言って人差し指を立てたが、続く言葉が出てこなかった。


「まず? どうしたんだい?」


 声をかけたが、人差し指を口の前に立てて、『静かに』と止められてしまった。


 放送ブースに目をやる。緊張している様子の落合久二の腕をつつきながら、野茂桃子が高校三年生の時の文化祭の話、ハートのキングが付き合うきっかけでしたというエピソードを話している。


 そこでふと、話し声に交じって何かが聞こえてきていることに気づいた。


 おや、と顔を上げて確かめるように音を探る。この部屋は防音仕様になっているけど、それでも外から音が聞こえてきた。音がメロディになっていると気が付く。


 開けっ放しの扉の向こうへ移動する。音楽は部室に設置されたラジカセから流れているわけではなかった。窓の外からだ。


 移動して、窓を開ける。


 瞬間、ギターとベースの激しい演奏音が聞こえてきた。グラウンドの野外ステージかと思ったけど、ここまで聞こえてくるほど大きな音でやるはずがない。


 部員たちが放送室と部室を行ったり来たりする。外で何かが起こっている。


 私と針ヶ谷さんは顔を見合わせ、放送室を飛び出した。


 廊下を駆け抜けていく小さな背中を追いかける。やはり、謎を追う針ヶ谷さんは生き生きとしている。彼女とこうして走る自分もまた、文化祭二日目にしてやっとエンジンがかかってきたような気がした。私たちはぐんぐんスピードを上げ、音のする場所を目指した。


 屋上への階段を駆け上がると、階段の隅にケーブルが走っているのが目に入った。それを横目に上り続け、屋上へと続く扉の前に辿り着く。


 扉が開いている。既に十人以上の人だかりができていた。うちの生徒もいるし、ツンツン頭の来校者もいる。


 針ヶ谷さんと視線を交わし、人をかきわけて屋上に出る。


 大きくなった音が衝撃となってぶつかってきた。


 屋上には二人の男子生徒がいた。それぞれが楽器を構え、演奏している。


 ギターを演奏している腕章をつけた男子は弦をかき鳴らし、痩せた男子生徒が、肩からかけたストラップを伸ばし、首を横に振ってリズムを取りながら、ベースを弾いていた。


 彼らの後ろに並ぶアンプから、音がぐんぐん広がっていく。歪んだ音がどこまでも響いていく。景色がそこから塗り替えられていくようだった。


 ここが文化祭ではなくなっていく。ここは、彼らの場所だ。


 屋上には二人しかおらず、遠くにいくつも生えるビルの頭が見えるだけだ。世界が屋上で完結しているように見えた。屹然としていて、止めることを忘れ、見入ってしまう。


 風紀委員の腕章をした男子が、ギターの弦を弾き、私たちを一瞥したが気にせず歌い続けた。


 アレンジされ、ディストーションギターの音がずっと鳴り響くテンポの速いエイトビートになっているが、ビートルズの『ゲットバック』だった。


「帰るんだ! お前はもといた場所に帰れ!」と力強く英語で歌っている。文化祭で帰れ! と歌うのは、なかなかのジョークだ。


 どんどんベースのリズムが加速していく。足並みを揃えて、テンポが上がっている。ギターも同時に早くなっているので、演奏としてはズレていなかった。二人三脚のように演奏は重なり、どんどん前へ進んでいく。


 演奏が終盤に近づき、「ゲットバック!」と二人が繰り返し叫び、終わった。


 残響の中、針ヶ谷さんは拍手を送ることも感想を口にすることもなく、扉を閉めて鍵を回した。扉の向こうから、文句を言う声が聞こえてくる。心苦しいけど、無視させてもらおう。


「じきにここに先生が来る。時間が無いから、一つだけ質問に答えてくれるかい?」


 有無を言わせぬ口調で、針ヶ谷さんが迫る。やりきった顔の二人が顔を見合わせる。


「何でここで演奏をしようと思ったんだい?」

「俺だってライブをしたかったんだ!」


 背後から、ドンドンと力強く扉を叩く音が聞こえた。ノックなんて優しいものではない。拳で殴っているのだろう。「開けろ!」と不機嫌を露わにした大人の声が飛んでくる。


「なんで屋上で演奏したんだい?」

「屋上だからだ」


 痩せた生徒は格好つけるように右手を銃のポーズにして、針ヶ谷さんに向けた。


 針ヶ谷さんは、眉根に皺をよせた。何故人を殺したのか、と訊ねて太陽が眩しかったからと言われたような、理解に苦しむ顔をしている。


「針ヶ谷さん、ルーフトップコンサートだ」

「なんだいそれ」

「ビートルズが会社の屋上から突然ライブを始めたことがあったんだ。さっき演奏していたのも、その時の曲だ」

「そうじゃない。どうして、ここの屋上にしたんだ? 誰かに勧められたのかい?」

「えっと、そうだけど」

「誰?」

「知らない男子生徒だった」

「ありがとう」


 針ヶ谷さんが頷き、扉の鍵を開ける。すると、人だかりは消えておりお、代わりに教師陣が待ち構えていた。


 勢いよく、ガタイの良い男性教員が飛び込んでくる。彼は私たちを見ると、はーっと大きくため息を吐き出した。


「まーたお前たち絡みか」


 水柴先生が顔をしかめる。

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