勇者は呼ばれる──誰かの段取りで

Suzubelle(すずべる)

第1話 星の導きと勇者召喚


星辰神殿の大広間は、まるで天体の縮図のようだった。


円形に設計された高い天井から、朝の陽光が神々しく差し込む。その光は、白い大理石の床に描かれた巨大な星図を淡く照らし、まるで宇宙そのものが神殿に降り立ったかのような錯覚を生んでいた。


一糸乱れぬ列をなす神官たちは、長衣の裾を揃えて跪き、祈祷の声を揃えて唱えている。空気には濃厚な香の匂いが漂い、時間の感覚さえ鈍らせる。


神殿の最奥、祭壇の前に立つのは星辰神殿の頂点──神官長セレス・アルノ。


高齢ゆえに痩せた身体ではあったが、背筋は真っすぐに伸び、星々を模した銀糸の刺繍が施された紺の法衣が、わずかに揺れるたびに静かな威厳を放っていた。


祭壇の上には天球儀と古の預言書が開かれ、無数の星を表す宝石が朝の光を反射している。


静寂を破って、神官長はゆっくりと顔を上げ、神官たちを見渡した。


「……星が、再び語りかけてきた」


掠れながらもよく通る声が、大広間に響く。


「月の巡りと陽の交わり、五つの流星の兆し──すべてが重なった。預言は、今この時こそが第二の扉であると告げている」


神官たちは目を見開き、祈りの姿勢をより深く取った。


神官長は目を細め、朗々とした声で続けた。


「時は満ちた。いにしえより続く約定に従い、我らは勇者を招かねばならぬ。世界の歪みを正し、災厄を鎮める唯一の道──それは、勇者召喚の再開に他ならぬ」


言葉が終わると同時に、堂内には再び祈祷の声が満ち、空気が張り詰めた。


それは星辰教の預言体系において「最も重い宣言」の一つであり、同時に王国の運命を大きく動かす合図でもあった。


太陽が南中を過ぎ、影がわずかに伸び始めた頃、神託の報が王宮へ届けられる。




玉座の間──王宮の最奥にある荘厳な空間は、金と紅を基調とした装飾が施され、天蓋が揺れ、燭台の炎が静かに揺れていた。


玉座に座すは、現王レオニウス三世。


沈思の表情を浮かべたまま、彼は膝上に置かれた文書──神殿からの神託の写しをじっと見つめていた。


やがて顔を上げ、重臣たちを見回す。


「……神託が下った」


沈黙を切り裂く言葉。重臣たちは一様に姿勢を正した。


「──お前たちは、どう見る?」


最初に口を開いたのは、白髪の宰相だった。


「召喚は、千年前の災厄をも招いたと伝わっております。再び異界の力を求めるには、覚悟が必要ですな」


続いて、軍務卿が頷く。


「王命であれば、軍は従います。しかし召喚者が暴走した場合、即応の措置が必要と考えます」


さらに、神殿代表の若き神職が低く言う。


「兆しを見た時点で、神託が近いことは承知しておりました……が、それでも、これが定めかどうかは信仰の中で問わねばなりません」


王は静かに目を閉じ──そして、ゆっくりと開いた。


「いにしえより続く約定に従い、我が王国は再び異界の門を開く。我は、決断した」


重臣たちは一斉に膝を折り、頭を垂れる。


「勇者を──召喚せよ」


重々しい声の合唱が、玉座の間に響いた。





 王都行政区、その北端に建つ石造庁舎の三階。その南端にある一室──財務府監査課。


名目こそ堅いが、実態は王国中の“厄介ごと”の最終処理場である。


予算案の精査、再調整、執行状況の監査、議会への資料作成、そして面倒事の処理まで、すべてが押し寄せる。


その朝一番、届いたのは一通の書簡だった。


「……召喚、決まったそうです」


書類棚の隙間から顔を出したラインハルトが、眼鏡をくいと押し上げながら告げる。


「勇者召喚、王命により発動決定です」


「……また無茶なことを」


天井を仰いでぼやいたのは、中堅調査官バルド。


「今の執行状況、知らねえわけでもあるまいに」


最古参の金庫番・デュランが静かに言う。


「緊急予備費は昨年の災厄対応で底を突いた。残りは、どこにもない」


「──で、やるんですか」


陽気に口を挟んだのは、出納係カイル。お茶請け片手に笑いながらも、目は真剣だった。


「やるしかないだろう」


その重い声を発したのは、課の長──王室会計監査官グラム。


身の丈190超の巨漢でありながら、指揮も実務もこなす実力者。


「議会通す? 間に合わん。召喚陣、祭具、礼金、生活費──ぜんぶこっち持ちだ」


「金は出ない。なのに準備は全部こちら」


会計審査官ノエルがペンを走らせながらつぶやく。


「え……じゃあ、どうやって……」


新人補佐ユーリが慌てて声を上げる。


「王命が出たってことは、即日動かないといけないやつでしょ!?」


「そういう時のための“俺たち”だろ」


バルドが静かに書類を脇に積み直す。


「──まずは必要物品の洗い出しと代替案の検討だ」


一斉に動き出す部員たち。


「あと、念のため“前回の召喚記録”、確認しとけよ」


部屋が静まり返る。


「……あの件、保管庫に残ってるんですか?」


「王室記録課の申請が通ればな。誰も触れたがらねぇが」


「例の“帰らなかった勇者”か……」


その一言に、ユーリの背筋がぞくりと震えた。


──こうして、突発の勇者召喚案件に、王国の問題処理最前線・財務府監査課がまたひとつ巻き込まれることとなった。

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