第2話
父の仕事を手伝うようになって、数週間が経った。
私はますます錬金術にのめり込み、休日には街の薬草店や道具屋に出かけて自分なりの調合ノートまでつけ始めていた。
その日も珍しい鉱石の取り扱いがあると聞いて街の大通りに足を運んだ帰り道だった。
ガラガラと荷車の音、呼び込みの声、焼きたてのパンの匂い。だがそんな中突然それは現れた。
貴族の馬車だ。通行人たちが自然と道を開ける。艶やかな黒馬に引かれた深紅の馬車で飾り金具は手入れが行き届いており見た目からして上流貴族のものだとすぐに分かる。
私は道の端に避けながら何気なく視線を向ける。
するとほんの一瞬。揺れるレースのカーテンの隙間からひとりの少女と目が合った。
長く艶やかな銀髪。琥珀色の瞳。耳元を彩る宝石の耳飾り。
(あれ・・・アルジェリーヌ?)
馬車がそのまま曲がり角を抜けて視界から消えると道はまるで何もなかったかのように再び庶民や荷車が行きかうようになる。けれど私はその場に立ち尽くしたまま馬車が消えた方向をずっと眺めていた。
あの一瞬で向こうも私、エルメの存在に気が付いたのだろうか?でももしそうでもそうでなくても今の私には関係ない。何せここにいるエルメ・カパルは魔法も精霊王の加護も投げ捨て錬金術の楽しさに気が付いた庶民の娘だ。煌びやかな貴族の恋愛に首を突っ込むつもりは更々無い。アルジェリーヌの中身がどういう人物に成り代わっているのかも原作を見たので分かる。
(安心して、私はあなたの邪魔どころか視界にすら入らない存在に徹するから)
そこで踵を返し私は家に向かって歩き出した。
帰り道の石畳を踏みながら私はふと、あの物語の冒頭を思い出していた。
光よりも保身第一!。言うまでもなく悪役令嬢転生ものの人気作品である。原作乙女ゲームである光冠のセレナーデの世界で断罪ルートまっしぐらな悪役令嬢アルジェリーヌ・アグリスティア・ド・ラ=シルヴェラントに成り代わってしまった転生者が必死にバッドエンドを回避するため奔走する物語だった。
物語の始まりはちょうどアルジェリーヌが王子との婚約発表の直前だった。
そのタイミングでアルジェリーヌは前世の記憶が唐突に蘇りそして理解したのだ。
あ、これ乙女ゲームの悪役令嬢ポジションじゃん!・・・と
貴族の令嬢として華やかな生活を送り、王子との婚約が進みつつある中。急に現れたのが庶民出身の少女エルメ・カパル。
ゲームの中では魔法の加護に選ばれた特別な存在でまさに物語のヒロインとして王子たちの心を次々と射止めていく少女だ。
一方悪役令嬢であるアルジェリーヌはそんなエルメの対する嫌がらせや暴言、果ては犯罪未遂まで加えられ最終的にはルートごとに自滅・断罪・国外追放・処刑などろくでもないエンドばかりが待っていた。
当然アルジェリーヌになりかわった彼女はこう考える。
んなもん、やってられるかー!!・・・と
そして彼女はゲームの展開をどうにかして避けるため王子とは必要以上に接点を持たず、社交も控えめに、目下の者に対しても丁寧に接するといういわゆる空気令嬢戦略を取り始める。
侍女や取り巻きからは「お嬢様は一体どうなさったのか」などと心配されるほど徹底して悪役ムーブを排除したのだった。それでも世界はそう簡単には変わらない。
王子たちだけではなく他の攻略対象までなぜか彼女に興味を持ち、周囲の好感度が勝手に上がり続けてもそれでも彼女は諦めなかった。
「わたくしに地位も名誉も不要ですわ。ただ貴族としての務めを果たすだけ、それだけで十分ですの」
・・・だが彼女はこの時点ある誤算をしていた、それは本来ヒロインであるはずのエルメも彼女と同じく転生者であると同時に『自分こそがこの世界の主役』と信じて疑わない最強で最悪のライバルであることを。
それが光よりも保身第一!の序盤のストーリーだ。
そう考えているといつの間に家についていた。
私はそのままリビングのテーブルにノートを広げ、店で購入した鉱石を確認しながらノートに特徴や効能を書き込んでいると
「最近、よく錬金術の勉強をするようになったな」
いつの間にかそこにいたのか父が湯気の立つカップを手にふっと笑いながら言ってきた。
「うん。なんかね・・・楽しいんだ、錬金術」
私は手元のノートを見ながら答える。インクの染みたページには失敗と成功の記録がびっしりと書き込まれていた。
混合比率の調整、加熱時間と冷却速度、香草の組み合わせ。正解が一つじゃないところがたまらなく面白い。
父は私の言葉にうなずいて、ふっと目を細める。
「そうか・・・なら、エルメは将来は父さんの跡を継いでくれるのかな」
その一言に、私は思わず手を止めた。
(・・・あれ?)
どこか心の奥がかすかに揺れる。
原作のエルメは魔法の才能に目覚めて貴族の学園に行く。それが物語の導入で父親は錬金術士であると設定でしかなく、ストーリーの中ではほとんど描かれなかった存在だった。
でももしも。光冠のセレナーデの世界でも、光よりも保身第一!の世界でもエルメの父親は
(本当は、エルメに錬金術士になってほしいって思ってたんじゃないのかな・・・?)
それはただの想像にすぎない。けれどこの世界で一緒に暮らして、その背中を見て、一緒にものを作って、言葉を交わすたびにそう感じさせられるのだ。
「・・・将来のことは、まだ分かんないけどね」
私が苦笑しながら返事をすると父は「それもそうだな」と苦笑し、それ以上は何も言わずテーブルの上にそっとカップを置いて作業場に戻っていく。
未来のことなど分かるわけが無い、もしかしたら諸事情で錬金術が出来なくなったりまた別の物に興味が移る可能性だってある。
でもこれだけは言える。私はアルジェリーヌと敵対するつもりも異性と恋愛もするつもりは無い。
これだけは命にかけても変えない決意だった。
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