もう悩まなくていいように。

「…ごめん顔洗ってくるね。」


「いってらっしゃーい!」「いってら〜。」


 卯月は駆け足で教室を出ていった。


「そんじゃ、俺も行きますか…」


 めんどくさそうに羽田君は席から立ち上がる。


「ついてくの?」


「ちがう。歴総の課題を職員室から持っていくんだ。なんだ?手伝ってくれるのか?」


「1人で行ってきなー。アタシはウズキを待つから。」


「ハハッ、そうか。」


 そう優しく笑って羽田君は駆け足で教室を出ていった。


 ###


 あれから少し経っても2人は帰ってこない。

 羽田君はともかく、卯月の帰りが遅すぎる。

 

 アタシは頬杖をつきながら薄暗い教室の窓の外を見た。


「雨…降ってんじゃん…」


 机の上には購買で買ってきたパンの袋と片付けられた弁当箱だけ。

 少し物寂しさを感じてしまう。


「…」


 ふと時計を見ると授業開始まであと3分しかなかった。


「やばっ!」


 急いで次の授業の準備をする。

 しかし、こんなギリギリなのに誰も準備しようとしない。席に着こうともしない。

 そもそも、誰も時間をみていなかった。


「ねぇ、アレやばくない!?」

「誰か先生呼んで!」


 何やら廊下が騒がしかった。

 鳥でも入ってきたのか?

 そんなふうに考える。


 心の中にある胸騒ぎから耳を塞ぐように。


「あれ、神美さんじゃない!?」


 誰かの一言で、アタシの胸騒ぎは確信へと変わった。

 冷や汗が止まらなかった。

 気づけばアタシは人混みをかき分けて、廊下の窓を開けていた。


 窓を開けた先には1号館の屋上に立つ卯月がいた。


「…!卯月っ!ダメ!」


 アタシの声は雨の轟音に掻き消される。


 声が届かない。


 何回も名前を呼んだ。

 声が枯れるまで。聴こえるように窓から身を出して。


 ###


 このあと、羽田君から何があったか聞かれたけど、この瞬間のことはあまり記憶に残っていなかったから何も言えなかった。

 ただ、覚えているのは…


 『卯月が落ちた』って事実だけだった。

 


 雨の音がうるさかったから何も聞こえなかった。

 誰が、何を言ったのか、覚えていない。


 誰か悲鳴をあげてた気がした。


 それが他人だったのか、自分だったのか…

 それももう、覚えていない。


「はっ…はっ…はっ…!くっ…!」

 

 ただ、ひたすら走っていた。


 向かうまでの途中何人かとぶつかったし、転んだりもした。その時はずっと『ごめん』しか言ってなかった気がする。


 一体誰に言ってたのかは、覚えていない。


 アタシは、1階へ降りて、2号館から1号館へつながる渡り廊下から、卯月が落ちたであろう中庭へ向かう。

 そして予想通り卯月はそこに居た。


「はぁ…はぁ…はぁ…っ…卯月っ!」

 

 卯月の側に人影が見える。

 その人影は1 2 3 4 5 6...と速いテンポで数えていた。

 切羽詰まった声をして、卯月の胸を圧迫している。

 赤い瞳が、まっすぐ卯月を見ている。

 

 ああ、羽田君が胸骨圧迫をしているんだ。


「はぁ…はぁ…羽田君っ!卯月は!?」


 懸命に胸骨圧迫を続ける羽田君と仰向きに倒れ込む卯月の周りを鮮やかな『赤』が囲っている。

 鮮やかな『赤』から何度も何度も波紋が広がっていた。


「嘘之、止血はしてある。心肺蘇生はできるか?」


「…卯月…?」


 目に映る卯月は、右腕、左脚がおかしな方向に折れ曲がっていて、胸から腕へと、小刻みに動いている。

 表情は悲しみでもなく、怯えでもないように見えた。

 広がった瞳孔で、遠くにある何かを見ていて、どこか後悔をしているような、そんな顔。


 土砂降りの雨の音より心臓鼓動がうるさい。

 重い空気がアタシの肺を締め付ける。

 自分が立っている感覚がない。

 今にも倒れそうだ。


「嘘之っ!できんのか、できねぇのか、はっきりしろ!時間がないんだ!」


「っ!できる!」


 羽田君が発したこの重い空気を切り裂くような大きな声により停滞していた思考が動き出す。


「聴け。俺はAEDを持ってくる人を待つよりその方が早い。戻るまで心肺蘇生をしてほしい。」


「わかった。」


「次から頼む。」


「任せて。」


 そして羽田君が数え終えると同時に交代し、即座にアタシは胸骨圧迫を開始する。

 卯月の側を離れた羽田君はものすごい速さで走り出す音がした。


「卯月っ!頑張って…お願い。」


 アタシは胸骨圧迫を続ける。


 羽田君が戻って来るまで…

 卯月が一命を取り留めるまで…

 

「諦めてたまるか…!」


 体が震えている。

 寒さによるものか、緊張によるものなのか、

 あまり良く分からない。


「頑張れ。頑張れ。頑張れ。」


 震える声で言い聞かせながら、力が入っているかどうか分からない胸骨圧迫をする。


「こ、ここにいたわ!」

「うわっ、すごい雨…あまり近づけないなぁ…」

「お、おい、どうなったんだ?」

「誰かいるくない!?」

「だ、誰か救急車!」

「でも、あの高さだからもう…」


 うるさい…!


 うるさいうるさいうるさいうるさい!


 黙れ黙れ黙れ黙れ!野次馬ども!

 人の命懸かっているんだ…!

 卯月の命が懸かっているんだ!

 動画撮る余裕があったら、突っ立ってる余裕があったら、手伝いやがれ人でなし!


「知世!すまん、少し遅れた。持ってきたぞ。」


 野次馬が寄ってき始めた頃に羽田君は傘とAEDを持ってきてくれた。


「ねぇ、このあとどうすればいい?」


「とりあえず卯月とAEDを雨から守って、AEDの指示に従う。そのまま続けられそうか?」


「そろそろ限界かも。」

 

「わかった。代わるから、AEDの操作を頼まれて欲しい。」


「うん。任せて。」

  

 そう言うとすぐに羽田君は傘を広げて卯月が雨に当たらないようにしてから胸骨圧迫を始めた。


「ぼ、僕も手伝います!何かできることは!」


 聞き覚えのある声がアタシ達の元へと寄ってきた。

 AEDを操作するため、目を離す事が出来ないがあの声は確か…


「えっと、一組の優地といいます!どうか手伝わせてください!」


「よし、わかった。119に電話をして、卯月を野次馬から見えないようにどうにか隠してくれ。」


「わかりました!」


 羽田君は優地君のことをチラッと確認して、的確に指示を飛ばした。それに応え電話をする優地が卯月を隠してくれるおかげでスムーズにAEDのパッドを貼ることができた。

 あとは電気ショックがいるかどうか…!

  

[電気ショックは不要です]


「よし、そのまま胸骨圧迫を続ける。人工呼吸を頼めるか?」


「わかった。」


「よし…おい!」


 すると羽田君は胸骨圧迫を続けながら豪雨に負けず、少し離れている野次馬どもに向かって大きな声で話しかけた。


「てめぇら何突っ立てやがるっ!走れる奴は職員室と保健室へ、それ以外は教室に戻ってろ!」


「っ!わ、わかった!俺、職員室に行ってくる!」

「私たち保健室行ってくるわ!」「う、うん!」

「お、俺らはどうする…?」

「あの人の言う通りだ、とりあえず戻るぞ!」

 

 羽田君の一言で皆は動き始めた。

 行動が遅くても、何もされないよりかはマシだ。


 …ねぇ、卯月。

 

 みんな、貴方を助けようと動いてくれてるよ!

 だから頑張って欲しい。

 みんなを安心させるような笑顔を見せて欲しい!


 お願いだから…

 もう、アタシの側から離れないで欲しい…!


「だ、大丈夫か!」

「君たち!なにしてる!早く教室にもどって!」


 やっと沢山の大人達が動き始めた。

 話がどんどん広がっていく。

 それに連れて協力者も増えていった。


「卯月…お願い……!」


 ### 


 それから事は順調に進んでいった。

 交代していきながら救急隊が到着するのを待ち、教師が救急隊達をここへ誘導。

 卯月は救急車に搬送され、アタシと羽田君も同行することとなった。


「優地はどうするんだ?」


「僕は学校に残って説明をしています。だから気にせず行ってきてください。」


 毛布に包まった優地君はまっすぐ羽田君を見つめる。


「優地君、アンタかっこよかったよ!あんがとね!」

「じゃあ行ってくる。あとは頼んだからな。」


「はい。また笑顔で再会しましょう!」


「ああ!」「うん!」


 バタンとバックドアが閉められて救急車は出発した。


 窓ガラスからグッドマークをして見送る優地君が見えた。

 

 アタシと羽田君はこの件の事情を聴かれ、救急隊員達が卯月のことで話し合う声が聞こえる。


 事情についてはうまく話すことができず、卯月と、隊員たちを見ることが多かった。

 

 その隊員達が話している内容は、気になったとと同時に、聞きたくもなかった。

 

 アタシが話せない代わりに、事情はほとんど羽田君が話してくれた。 

 でも、その話していた内容は思い出せない。

 卯月は無事かどうかしか気にかけていなかったから。


 ###


 救急車は清夏病院に着いた。

 そこでまた、いろいろ聴かれたりしたが、それも羽田君がほぼ話してくれた。


「そうですか…わかりました。ではあちらの待合室で待っていてください。」


「わかりました。」「…はい」


 そのまま指示された待合室で報告を待つ。

 窓の外から雨音が聞こえる。

 誰かが呼び出される音、人の会話、車椅子の音、歩く音。

 心臓の音。

 全部ハッキリ聞こえる。

 うるさいまである。


 病院特有の匂いが鼻を刺す。

 冷えた指先を温めるよう手を握る。


 誰も話さず、ずっと待った。

 その時が来るまで…

 



 ###




 ─ピッ…ピッ…ピッ…ピッ…

 

「卯月っ…!よかった…生きてるっ…!」


 アタシは、病室で静かに眠る卯月を見つめる。

 口に手を当て出てきそうな泣き言を必死に抑える。


「今回は本当にありがとうございました。」


 羽田君は医師に向かって深々と頭を下げていた。


「いえ、貴方達の懸命な処置がなかったら間に合いませんでした。」


 ###


 それから、医師の人から卯月がどうゆう状況か、これからどうするのか説明を受けた。


「それでは私はここで…」


「「ありがとうございました。」」


 医師から言われたことは、卯月は一命を取り留めたものの意識を取り戻すには少し時間がかかること、意識を取り戻しても精神的に問題がある可能性があるからケアをして欲しいことだった。


「…卯月……」


 アタシは卯月の寝顔を見つめる。

 卯月の顔は、まだ安心できていないような顔だ。


「知世、なんか欲しい飲み物あるか?」


「…水でいい。」


「わかった。」


 そうして羽田君は病室から出ていく。


「卯月…」


 雨音と心電図の音がこの個室に響き渡る。

 いつもの3人しか居ないこの個室。

 そして今はアタシ達だけ…


「…」


 卯月が起きたらどうゆうふうに接するべきだろうか?

 いつもの笑顔で?泣いてる顔で?

 怒ることはないな…

 

 アタシは一体どんな顔をするのだろう。


「おーい買ってきたぞー。」


「あ、ありがとう。」


 羽田君は水と緑茶を両手に持って帰ってきた。

 そしてアタシの隣に座り込む。


「嘘之。お前は少し休んだほうがいい。」


「え?なんで?アタシが休んだら…」


「…なんか、お前と卯月少し似てるよな。」


「…」


「違いは、卯月は他人を気にしていて、お前はを気にしている。」


「そう…だね」


「そして共通点は、自分のことを考えていない。違うか?」


「……」


「…俺の母さんな…。」


「…え?」


 羽田君は俯いてペットボトルを見ていた。


 ……初めて聞いた。

 羽田君のこと。

 しかも、話してくれないようなことを一番最初に話してくれた。


「今でもあの光景は鮮明に覚えている…」


 羽田君の目つきが変わる。

 今まで見たこともないような恐い目


「キッチンの床に倒れて頭から大量の血が母さんを囲っていた、あの光景。窓ガラスが割れていて、右側頭部に弾痕があったってさ…」


「……」


「最近夢に出てくるんだ。この光景が…。目覚めが悪いし、気分も悪くなる。ずっとこのことに悩んでる。」


 ペットボトルを握る力が強くなる。

  

「でも、なんで俺らが悩まないといけないんだよ?なんで傷つかないといけないんだよ?そんなのおかしいだろ?理不尽だ。不公平だ。」


 そして羽田君は目つきを変えないまま、卯月の顔を見つめる。だが、羽田君が本当に見つめているものは違うように見えた。


「…"復讐"してやるんだ。もう悩まなくていいように。」


「っ…羽田君…?」


 羽田君の赤い瞳がとても恐ろしく見えてしまう。

 この世のものでは表せないような恐ろしいもの…


「これが俺のやり方だ。お前はどうだ?」


 さっきの瞳が嘘のような顔をしてアタシの方へ顔を向けた。


「…アタシは……」


 突然のことで言葉が詰まってしまう。


「…そんなすぐじゃなくていい。…なあ、知世はこのあとどうするんだ?」


「え?ああ、アタシはずっとここにいるよ。ここが一番休めるからさ!」


「…そうか。俺はひとまず家に帰る。そして、当分学校には行かない。」


「…アンタも?」


「なんだ、お前もか?」


「うん。学校に行くより、卯月の側に居ないと。」


「そうだな。」


 羽田君は椅子から立ち上がった。


「協力して欲しいことがある。」

 

 羽田君はまだ、とても真剣な表情をしてまっすぐな目でアタシを見つめていた。

 その真意はもう…分かっている。


「…とうとうやるんだね?」


「ああ。反撃開始だ。」

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