第8話 受け入れられた替え玉
嫁入りから数日もすると、鞠子の体調もだいぶ回復してきた。
まだ全身が黒ずんでいるような感覚が抜け切らないが、起き上がって歩くくらいは平気になったし、食欲も戻ってきている。貴族の妾なんて日がな座りっぱなしでいることもざらだったから、外見だけならすっかり元通りと言ってもいい。
……なんなら、治ったならすぐに夫へ文を書け和歌を読めと乳母や父からせっつかれないだけ、以前より楽かもしれない。
そんなことを考えながら、鞠子はぼんやり庭を眺めていた。
壁で囲まれた塗籠を出て、几帳で間仕切りされた一角。空間を仕切る薄絹をすり抜けてくる風が涼しくて心地よい。庭に植えられた卯ノ花も、のんびりと枝を揺らしながら優しい香りを風に乗せている。
「おう、これは鞠子さま。おはようございます」
卯ノ花の裏手から、垣根を乗り越えて男が現れた。名は知らないが、鞠子の屋敷で働いている下男の一人である。
「さっき知り合いがタケノコを掘って来ましたんで。ぜひ昼にでも召し上がってください、と」
「え、ええ。楽しみにしてます……」
馴れ馴れしく話しかけてくる下男に、鞠子は頬が引きつらないよう気をつけながら笑顔を返した。
庭の側には几帳や御簾などの仕切りがなくて、だから下男とも直接会話しなければならない。今では顔を隠さなくても返事をできる程度にまで慣れてきたが、誰彼かまわず姿をさらすなんてはしたないにも程がある。
ちなみに、タケノコを持って調理場へと歩いていく下男の耳は、とがっていなければ毛も生えていない。
侍女もそうだったが、この里には獣耳ばかりではなく、普通の耳を持つ人間も大勢いるらしいというのがわかってきた。“石清水の狼”は都の他とも交流があって、付き合いのある集落から移住してきたり、流れてきた旅人がそのまま居着いたり、敵対した部族の捕虜とか賊を捕らえたのを雑役夫として働かせたりと、意外と外からの流入が多いのだとか。
下男の姿が見えなくなり、鞠子は肩の力を抜いて再び一人の時間を満喫しようとしたが、残念ながら静寂はさほど長くは続かなかった。
「鞠子、会いに来たぞ」
いきなり几帳が除けられて、樹丸が遠慮もなしに入ってきた。今日は単衣だけ着た軽装で、手には赤いアジサイの花が携えられている。
「土産だ。来る途中で見つけてな」
「あ、ありがとうございます」
樹丸は鞠子の隣に腰を下ろして、花を差し出した。一輪で花束のように咲く紫陽の花は、持った手が湿るのではないかというくらいに瑞々しい。
「昨日話した畑を通り過ぎて、大きなクヌギの木の陰になってるあたりで咲いてたんだ。青いのばかりの中に一輪だけ赤いのが混ざってたんだが、なにか土に違いでもあったのか。……ああそういえば、あそこは一昨年、スズメバチが巣を作ってちょっとした騒ぎになったんだ。それで葉黒の親父が……」
趣向も飾り気もなく、思いつくままに話す樹丸。
あれから数日。彼は毎日欠かさず訪ねてきては(この屋敷が頭領の住まいなのかと思ったら、別に家があって寝起きしているらしい)、綺麗な草花や木の実なんかを持ってくるようになった。その都度、採集した場所の光景だったり思い出だったりを話してくれるので、鞠子は屋敷で座っているだけなのに里や山中のことについて日ごとに詳しくなっていく。
「アジサイといったら、都じゃ青色にするために鉄クギを根元に埋めるって聞いたんだが、知ってるか?」
「まあ、そんなやり方があるんですか」
最初は緊張しっぱなしだったものだが、一緒に過ごす時間を重ねた効果だろうか。下男などよりよっぽど近い距離にも拘わらず、樹丸とであれば面と向かっていても平気になっていた。
そして少し相槌を打ったりすると、狼の若頭領はそれはそれは慈しむように目を細めるのだ。
「だいぶ、肩の力が抜けるようになったな」
「えっ。そ、そうでしょうか?」
話が一段落したころ、そう指摘された鞠子は反射的に背筋を伸ばして、「言った傍から」と苦笑をもらう。
「悪いと言ってるんじゃない。あんたにとって、ここが安らげる場所になってるなら嬉しいってだけだ」
「それは……皆さま、親切にしてくださってますから」
もじもじと、鞠子は答えた。
目を合わせるのも落ち着かなくて、アジサイの茎を弄りながらつっかえつっかえ言葉を紡ぐ。
「最初の日に、形代をやらせていただいた、おかげです」
「俺は無茶を振っただけで、やり遂げたのはあんただろう。だからこそ、皆が敬意を払うんだ」
「そんな、おそれおおいです」
また恐縮の殻に閉じこもろうとする鞠子に、樹丸はどうしたものかと首をひねり、ふと悪戯を思いついたように人の悪い笑みを浮かべた。
「どうしてもと言うなら、俺のおかげということにしてもいいがな?」
そう言って、気持ち前のめりになる。
「だったら、なにかしらの礼が欲しいもんだ」
「お、お礼ですか? えっと……形代なら、作れますけど……」
「いらん。この前の穢塚みたいなことでも起きない限りは、世話になる必要もない」
「え、えっと……?」
当惑する様子を楽しむようにニヤつきながら、樹丸は鞠子の髪に手を伸ばす。黒い毛先が男の筋張った指がもてあそばれて、鞠子は頬が赤らむのを感じた。
なにか返答を求められているようだが正解がわからず、熱を帯び始めた頭から湯気でも出しそうになっていると、誰かが裸足で廊下を走ってくるのが聞こえた。
「若、失礼します!」
「……間が悪いぞ、葉黒」
妙な雰囲気が消し飛ばされ、途端に樹丸は不機嫌な顔になって、指に巻き付けていた髪を離した。
解放されて胸を撫で下ろす鞠子を尻目に几帳をどけると、そこには灰色髪が平伏している。
「なにがあった?」
「はい、それがですね……」
顔を上げた葉黒は鞠子をチラと見遣ってから、樹丸の獣耳にヒソヒソと囁いた。
どうやら、面倒ごとらしい。
樹丸は小さく舌打ちをして立ち上がった。
「悪いな、鞠子。急ぎの仕事だ」
「えっと、わたしもお手伝いを……?」
「いや、そういうのじゃないから、ゆっくりしてろ。詳しいことは終わってから話す」
言葉少なく言い残して樹丸は速足で去っていき、葉黒も軽く会釈だけして後に続く。
二人を見送った鞠子は、ホッとしたような名残惜しいような複雑な心境だった。
……あれは、なんて答えたらよかったんだろう。
話の腰を折られたままになってしまったが、樹丸は鞠子になにを求めていたのか。考えても結論を出せる気がしない。代わりに思い出すのは、替え玉だと白状した際に投げかけられた台詞。
『あんたは、どうしたい?』
彼らが頭領の嫁として求めたのは別の姫君だ。今でこそ受け入れてもらっているが、ずっとここにいて許されるのか。とはいえ、都に帰る場所が残っているかも怪しい。
「……本当に、どうしたらいいのかしら」
穢れを負っている間は苦しくて考える余裕もなかったが、いつまでも先延ばしにできる問題ではなかった。
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