18:称賛はわたあめ、批判は火傷


「……ノキ先生、アカウント消さなきゃいいけどな」

「え?」

「アンタも【ツク・ヨム】で書いてるなら分かるだろ。Web小説ってのは、読者の感想がダイレクトに作者に伝わる。それが良い方向に働いてる時はいい。でも、長く書いてりゃそうじゃない時も必ずある」


 部屋の隅で、エアコンが低く唸っている。その音に混じって、先生が小さく舌打ちするのが聞こえた。


「ほとんどの作者が――百の褒めより、一の悪意にやられやすいってことだ。どんなに称えてくれる読者がいても、たった一行、一言の否定で、メンタルが全部もってかれる。それで筆を折るやつなんて山ほど見てきた」

「そ、そうなんですか!?」


 思わず目を瞬かせてしまった。

 実感がなさすぎて、にわかには信じられない。

 だって今の俺にとって、他の読者からの評価なんて、どこか遠くのノイズみたいなものでしかない。余生先生のコメント以外は、正直ほぼ覚えていないのだから。


 驚いて言葉を返す俺に、余生先生はわずかに眉を動かしたあと、不思議そうな顔を向けてきた。


「アンタは、違うのか」

「俺は……その、一人でも褒めてくれる人が居たら、それで書き続けられるので」

「いや、そんなワケな——」


 言いかけて、余生先生は目尻をぴくりとさせたまま、ふっと肩の力を抜いた。


「……いや。アンタなら、確かにそうなんだろうな」


 まさか、そんなふうに返されるとは思わなかった。

 その一言のあとの沈黙が、なんだかいつもより、やさしく感じた。


「ノキ先生が、アンタみたいなタイプなら……いいけどな。あんなに良い作品書くのに、まともに褒めてるやつ、俺くらいしかいないし。しかも俺、感想書くの下手で語彙力カスだし。挙句に他の読者とやり合ったりして、感想欄荒らすし……ほんと、申し訳ない」

「そ、そんな!多分、ノキ先生は喜んでると思います!」

「気休めはいい。これも俺が一番分かってるから」

「えぇ……」


 ……いや、気休めなんかじゃなくて、本気で喜んでますから!

 自分の書いた作品が、こんなふうに褒められるだけでも夢みたいなのに、熱を持って語ってくれるなんて。

 しかもそれが、俺のいちばん好きな作家だなんて。


「あー、俺のせいでノキ先生が筆折ったらどうしよう」


 余生先生の不安げな言葉に、俺は、思わずかぶりを振っていた。


「そんな事ないです!絶対、大丈夫です!ぜったいに!」

「だから、慰めはいいって」

「慰めじゃない!慰めじゃなくて、本当にそう思って……!」

「いや、アンタが本気でそう思ってても意味ないから。俺が筆折る心配してんのは、ノキ先生だし」


 怪訝そうに呟く余生先生の横顔に、嬉しさに交じって、チクリと胸に痛みを感じた。

 余生先生は、いつも“ノキ”を気にかけてくれる。まっすぐに、真剣に。俺なんかより、ずっと。


 なのに、俺は——。


「の、ノキ先生は……筆折ったりしないよ」

「はいはい、雑な慰めどうも」

「うー……」


 口の中で言葉を丸めたまま、結局なにも言えなかった。

 本当は、どこかで伝えるつもりだった。けど、そのタイミングは静かに遠ざかっている。


——ほんと、ノキ先生すごいわ。マジで尊敬する。


 余生先生は、ノキ(俺)を、本当に〝すごい人〟だと思い込んでいる。

 だからこそ、毎日のように届けられる熱のこもった感想が、たまらなく嬉しくて……それと同じくらい——〝怖い〟


(もし、俺がノキだって知ったら幻滅されるかもしれない)


 それが怖くて、何も言えない。

 ぬるくて、心地よくて、それでいて後ろめたいこの居場所に甘えながら、俺はきっと、これからも余生先生にだけ分かってもらえればいい「物語」を書き続けてしまうんだと思う。


(ほんと、俺って最低だな)


 自己嫌悪に沈みかけた、そのタイミングだった。


「あ、そうだ」


 余生先生が何かを思いついたように、ぱっと顔を上げた。


「ってか、アンタもノキ先生に感想書けよ」

「っへ!?」

「俺とアンタで二人分。新しいコメントがあったほうが、ノキ先生も嬉しいだろうし」

「あ、いや。そのっ」

「ほら、パソコン出せ。で、今書け」


 あまりに唐突すぎて、思わず目を剥いてしまう。余生先生はズンズン俺のそばまでにじり寄ってくる。

 俺が、自分の小説に感想を書く?それは、いくらなんでも無理過ぎる。


(書けるわけない。自分の小説に感想なんて……!)


 そもそも、自分の作品に「感動しました!」とか言うの、恥ずかしすぎるし!

 俺は腕の中のリュックをぎゅっと抱きしめたまま、ハクハクと口を開くだけで何も言えなかった。


「なんだよ、アンタ。あんなに感想言うの好きなくせに、なんでそんなに嫌がるんだよ」

「す、好きなんですけど。でも……俺」


 うまく言葉が見つからずモゴモゴしていると、余生先生がふと呟いた。


「そういや、アンタ。俺の小説にもコメント残したことないよな」


 今さら気づいた、というような顔だった。

 でも、その言葉に、俺は一気に血の気が引いた。


「あ、あの……まさか。俺のアカウント、知ってるんですか?」

「は?知るかよ」


 当たり前だろ、とでも言わんばかりに返された言葉にホッと胸を撫でおろす。

 けれど、じゃあなんで?


「アンタの感想なんて、読めば一発で分かる」

「っ!」


 徐々に脈が速くなるのを感じた。


「そ、そっか。分かるんだ」

——いい、言わなくても分かるから。


 ほら、余生先生は「分かって」くれる。

 でも、それは「ノキ」じゃなくても「直樹」でもそうだ。


「別に、感想が欲しいわけじゃないからいいけど。あんだけ俺に感想言いたがるアンタが、書きこまないなんて、なんか理由あんの。Webには感想は書かない主義とか?」

「あ、いや……そういうんじゃなくて。ただ」

「ただ?」


 余生先生の真っ直ぐな視線に、俺はほんの少しだけ目を伏せた。

 主義とかじゃない。だけど、譲れない感情がある。


「他の人の感想を読んで、自分の思ったことを……汚したくないし。俺の感想も、誰かに……奪われたくないから」


 だから、感想欄はできるだけ見ないようにしてる。

 余生先生の作品を初めて読んだあの日から、俺の中には〝自分だけの感想〟があった。

 でも、コメント欄を見てしまった日。褒め言葉でさえ、誰かに先を越されたような気がして、素直に受け取れなくなっていた。


 自分でもバカだと思う。けど、それでも俺は——。


(俺が、一番……余生先生の作品のこと、分かってる)


 そんな、どうしようもない独占欲が込み上げて、リュックをぎゅっと握りしめた。

その様子を見ていた余生先生が、ふっと、堪えきれないように笑う。


「自分の感想、奪われたくないって……なんだソレ」

「ごめんなさい。俺、気持ち悪くて」


 自分で言ってて恥ずかしくて、思わず目をそらした。


「やっぱ変わってるよ、アンタ」

「そ、そうですか?」

「うん、変わってる」


 そう言って、余生先生は今度こそ本当に楽しそうに笑った。馬鹿にする感じじゃなくて、ただただ面白がるような、優しい笑い。

 それが、この時の俺にとっては、なぜだかものすごく嬉しかった。


「でも、そういう事なら無理強いはしない。他人の感想に汚されたくないってのも、なんとなく気持ちは分かるし。ノキ先生の感想欄、見てるとマジでムカつくし。……あぁ、そっか。これって『汚された』って感覚だったか。なるほどな」


 そう、何故か妙にしっくりと納得してくれた余生先生に、俺はホッと胸を撫でおろした。どうやら、アカウントバレの危機は脱したようだ。


「でも、アンタ。俺には最初からガンガン感想言うけど、それは〝奪われた〟とか〝汚された〟って感じないわけ?」

「あー、それは……全然ないです」

「なに、俺のことが好きだから?」


 余生先生がふいっと体を離し、やや鼻にかかった声で聞いてくる。少し語尾が上ずってる。これは、たぶん、からかってるやつだ。

 でも、これに関しては、ちっとも照れることなんてない。


「はい!俺、余生先生になら、奪われても汚されても全然平気です!」

「……っぅ」


 その時の余生先生は、これまで見てきたどの瞬間より、真っ赤に染まっていた。


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