第16話 初恋

 夏休みも終盤となり、匿名の手紙が指定した日となった。及川明人の心臓はいつもより速く鼓動していた。

明人は几帳面な性格で、どんな予定にも余裕を持って臨むタイプだ。この日も約束の15分前には到着しようと、実際にはそれすらも十分すぎるほど余裕な時間にバスに乗り込んだ。しかし 正確に言えばただ落ち着かず、時間をどうしようもなく持て余していただけだった。


 バスの窓から流れる街の景色を眺めながら、明人は今日これから起こり得る可能性を頭の中で整理していた。

何よりもまず、これが手の込んだいたずらである可能性を前提に、そしてもしそれが現実となっても落胆しないよう、何度も自分に言い聞かせた。

期待と不安が入り混じった複雑な感情が、彼の胸を締め付けていた。

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もし いたずらならば、犯人は誰なのか?


 今の明人が置かれている状況は少し離れたところから見るとモテていると誤解されることもある。それに対し、現状を知っている身近なクラスメートは決してそうではないことをよく理解している。

以前、「もしなれるなら俺の立場になってみたい?」と問いかけた時、間髪入れずに「嫌だ!」と答えたクラスメートもいた。


 ツクミアキに関する情報も、すべて男子経由で得たものだ。

「そんなに似とるん?」と尋ねると、「鏡で自分の顔を見ればいい。テレビのそっくりさん大賞に出れると思うよ」と、インターネットのない時代ならではの、そして可能な限り明人を傷付けない表現で教えてくれた。

彼らは明人の心情を気遣いながらからかうことはあっても、悪質ないたずらを仕掛けるような人はいないと明人は信じている。


 では、もし犯人が女子に限定すると誰か?これは全く見当がつかない。

半年前まであれだけ騒動を繰り広げた親衛隊の存在さえ事前に把握できなかったくらいなのだから、考えても無駄だと彼はすぐにこの思考を打ち切った。


 いっそ誰だったら嬉しいかと妄想にふけってみようかと思ったが、それすらも情報不足で難しい。高校に入ってからの女子との関わりがあまりに浅すぎて、判断材料は自分の好みの外見かどうかくらいしかない。むしろ、小中学生のころの同級生のほうが少しは知っている。


”それなら小学3年の時の井森かな…”

そうは言っても、実際に小学生が来たら困る。


 誰を初恋の人とするか その判断基準がわからない。基本的に明人は生まれた時から女性が好きだ。常に誰かを好きではあるが、ただ、時が経っても衝撃を覚えているのはその女子となる。

今まで出会った女子と骨格から違った。例えるとエルフを具現化したような女子だった。よく下校途中に偶然、遭遇したらからかったものだった。改めて思い返してみると悪いことをしたなと思った。

 同じ進路を歩んで同じ高校に通い身近なところにいるが、もうその存在を全く意識していない。明人に強い印象を与えたのは、あくまで『小学3年生』の彼女だった。


”土本はどうしているんだろ…”

小学6年生の時、催し物の準備のためにクラスメートの家に同じ班の男女が集った。

その帰り、女子と二人っきりで帰るのが恥ずかしくて明人は一人で走って帰った。

次の日、その時取り残された土本タキから

「昨日、どうして逃げたの?」と問われたことが今でも忘れられない。

彼女は年の半ばに急に引っ越していなくなった。


 今の明人の女性の好みあくまで大人の女性だ。巷で人気の女性アイドルのWinkや酒井法子さかいのりこですら対象外だ。該当するのは今井美樹いまいみきあたりじゃないだろうか。

具体的には色白でおしとやか、そして激やせ45㎏の自分より体重が軽い女性だ。最後の条件で、多くの女子が彼のフィルターから漏れてしまうだろうと、少し自嘲気味に考えた。

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 そんなことを考えているうちに、バスは市街地近くの市民病院の前を通りかかった。この交差点では、将来の姿が想像できないほどの大規模な工事が続いており、その姿に明人の思考も一時的に途切れ見入る。


 待ち合わせ場所の思案橋しあんばし(ちめい)は、未成年には無縁の場所だ。明人にとっては初めて足を踏み入れる場所であり、それも相まって緊張感がさらに高まっていった。


”もし、いたずらじゃなかったら…”

いつもの江藤さおりの机にうつ伏して泣く姿が脳裏をよぎった。いたずらであったほうが明人にとって楽な展開となるのは明らかだ。

バスを降りて目的地までの足取りは、明人の動揺を映し出すかのように不必要に速かった。


どちらに転んでも明人にとってキツい時間が始まった。

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【第16話補足】

・エルフ:この時点ではエルフという言葉はイメージが確立していない。ちょうどこの時期に発売されている小説『ロードス島戦記』(角川スニーカー文庫)以降となる。

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